小話「衣装部屋」
所属教室へ中途編入と言うことで託された少女──と言っても身長は己とさほど変わりない──を先導し、サルゴンがまず扉を叩いたのは院の中央校舎に存在する衣装部屋だった。
返事は期待せず扉を開く。
瞬間、背後の娘が驚いた、と言うより圧倒されて息を呑んだ。
部屋中にぎっしりと服が吊り下げられている。殆どが白を基調としたその衣装は、院の既製制服だった。既製ではあるが、デザインや大きさ、色合い、飾り付け、一つとして同じ物がない事も事実だった。
少女を伴い足を踏み入れた途端、湿度の低い空気がまるで膜のように身体を取り囲み、首を竦める。足を動かせば床にほど近い空気が掻き乱される。
微かな衣擦れの音がする方向を目指し、サルゴンは部屋の奥へ奥へと進んだ。
部屋の中にいる者の正体は分かり切っていた。
だから探し人の背中が見えた瞬間、サルゴンは迷うことなく相手を呼んだ。
「先輩」
背を向ける人の針を持つ手が止まり、顔が持ち上げられた、と分かったのは、壁一面が鏡になっている為だ。
「なんだ、サルゴン君か」
入る前に掛けた呼び声は届いていなかったのだろう。この部屋は少しばかり広過ぎる。作業に熱中していたとすれば尚更。或いは気配を消して忍び寄れば、不意を付くことが出来るかも知れない。特別意味のある行為とも思えなかったが。
続いて、サルゴンは背後に控えた少女を呼んだ。
「スクード教師が言っていた例の編入生です。天麗、こちらがうちの現教室長チチル先輩だ」
鏡越しに届けられる確認の視線。奇妙な対面に、可哀想に少女はまごつき、それでも確かに頭を下げた。
「あ、あの……初めまして」
しかしチチルが応えたのはサルゴンに対してだった。
「制服合わせくらいやってやんな」
彼女が言うことにも一理ある。教室長として新人の世話を焼くのは、決定事項でこそなかったが、来年からはサルゴンの役目なのだ。己が天麗を託されたのもそれを踏まえてだろう。
だが、サルゴンがチチルを頼った事にも理由がある。
「同性の方に任せます」
俺や教師ではセクハラに当たるでしょう、と口の中で呟いたのも、聞こえていたのだろうか。
「恋人一筋の野郎が一人前の口を利くねぇ」
サルゴンは敢えて咳払いをした。年下の恋人の事を出されると、どうしてもそちらに注意が向いてしまう。
ちらりと確認した少女の表情は困惑を窮めていた。
「先輩、天麗が驚いてます」
「えっ、いえ……その、ごめんなさい」
高い背を縮めるようにしてもう一度彼女は頭を下げた。そう謝らずとも構わないのに。
言おうとしてサルゴンは止めておいた。ああ見えてチチルは世話焼きだ。
案の定、針はもう動くことがなかった。
「可愛い子だね」
チチルが手にしていた薄布を真上に放る。あっと反射的に天麗があげた声は布と共に、宙を滑って現れた衣装掛けに拾われた。続けて腹に響く振動音がして、部屋の中全体が動き始めた事をサルゴンは知覚した。大きさで、色で、デザインで、この部屋の仕掛けそのものが整理を行うのだ。だが以前より更に便利になって来ているように感じるのは、きっと彼女が部屋に術を掛け直していっているからに違いない。サルゴンは少しばかり呆れたが、別段、問題がないことも知っていた。彼女の来年の役目ももう決まっているからだ。
――院生として衣装関係の事務に就くのである。
「大丈夫、このチチルさんが腕によりを掛けて見繕ってやるからさ」
立ち上がったチチルは天麗より更に背が高かった。サルゴンの頭上に拳一つを乗せた高さだ。ふと彼は腕の中に包み込まれるほど小柄な恋人の事を想い、密かに唸った。
その間にも、自律移動の術を掛けられた衣装棚が、天麗の体型に合わせたサイズの制服を乗せて集まってくる。仮に二、三の修正点があっても、チチルの手に掛かれば直ぐに直せるだろう。
「は……い、お願いします」
最早ろくに言葉も思い浮かばぬほど驚いた天麗の口から、呆然とその言葉だけが零れて落ちた。
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