天駆ける騎士の奇想曲

たねまくひと

 草原は何処までも続いていた。
 地平線の先まで、一様にくるぶしの位置で葉が海藻のように揺れている。それはきっと、この世界を覆い尽くす緑の風だ。
 大地に両足で降り立ったフォウルは、猫のそれに酷似した瞳を細めた。
 見れば、豊かな栗色の髪を纏めた娘が似合わぬ老婆に等しい姿勢で草を掻き分けている。引きずる動きで一歩進む度に、突き出た尻が揺れた。
「なにをしてるんだ?」
 初めに返った応えは簡潔だった。
「言葉を」
 それだけの単語を言うのに、娘は何かに追い立てられているかの如く心の臓の鼓動より早い拍子で口を動かした。
「わたしの汚れた葉の根を抜いて、美しい言の葉の種を植えたいの」
 暫し間をおき改めた調子は先刻より落ち着いていたが、肺の辺りに不自然な力が入り硬質の響きを伴っていた。
 後ろ手に娘が指したのは蔓で編んだ手提げだった。所々枯れた色が通った蓋を滑らせると、フォウルは持ち主の許可を待つ事無く、中の一粒を摘み上げた。
 赤ん坊の小指の爪ほどもない、小さな黒い欠片。これが何か名のある植物の種なのか、それとも彼女が言う通りの言葉の種なのか、フォウルには分からなかった。どちらにせよ、それは問題でない。
「お前の?」
 フォウルは欠伸するように口の端を大きく伸ばした。
「普通に話してるじゃないか」
 娘は首を曲げ、顔だけでフォウルに向き直った。
「駄目よ」
 声に視線ほどの鋭さはない。
 溜息と共に吐き出される音に従い細い睫毛が伏した。そのまま、また同じ作業に戻る。髪の一筋が風に乗って浮かんで落ちた。
「このままじゃ駄目なんだわ」
 彼女が言うことは殆ど独り言のような調子で内に籠もる。
「その気がなくても相応しくない事を言って、他人を傷付けてるんだって」
「言われて?」
 不意に娘の動きが止まった。一枚の葉を掴んだまま、何度も、繰り返しその葉脈をなぞる。辺り一面に広がるものと同じ葉にしか見えなかったけれど、きっとそれが彼女の言の葉なのだろう。
 彼女の向かいに回り、同じようにしゃがみ込んだフォウルは再び問いを発した。もっともこの世界の法則など何も知らずに来たのだ。少しばかり疑問を抱いても仕方あるまい。
「それで、その葉を引っこ抜けば済むのか?」
 娘は応えなかった。言の葉を植え替えよう等と言う彼女だから、そもそも応えるものを持っていなかったのかも知れない。
 陽を受け成長した葉には何か輝けるものが宿っているように見えた。別段彼女のだけではない。今彼女の崩れ落ちた膝で押し潰された哀れな葉だって、それでも懸命に咲いている。
 良いも悪いもあるものか、とフォウルは思う。
「言葉さえ変われば良いのか?」
 摘んだままだった種を指先でころりと転がし、それと同じ気軽さで問いを続ける。
 娘は覇気のない表情を持ち上げた。
「ううん、でも──」
 どちらかと言えば、これが地なのだろう円い声。
 その時フォウルが無造作に跳ね上げた種は、しかし寸分たりとも過たず月の弧を描いて娘の口に飛び込んだ。
 見開いた青金の眼に映る己の姿が揺れる。
「ほら、これで美しい言の葉もお前の中にある」
 喉が上下に薄く動き種が飲み込まれたのを認めると、フォウルは頬を持ち上げた見せた。
 本当に?
 声と一緒に漏れていくのを防ごうと、彼女は唇の先だけで問い、それから直ぐ両手を口の前で交差させた。白い指の背や腹に着いた泥が、ほろほろと涙のように零れていく。
「オレは種を蒔いただけ。水をやり育ててやるのはお前の仕事だけど」
 大丈夫に違いない。
 彼女の言の葉は、輝きながら風に揺れていた。