姫君と騎士

 世界が歓喜の声をあげた。

 壇上で黒髪の男が剣を抜いた。白刃が光を宿して煌めく。彼は優雅な動きでそれを胸前に掲げ、その場に集った院生内で最も高位に位置する身として相応しく礼をした。
 その礼を受けたのは、院の高く澄んだ青空よりも尚青い瞳の娘だ。世界の意思に選ばれた唯一人の姫。
 鐘が鳴り響く。
 掲げられた紋旗の空を、緋の鳥が翼を大きく広げて飛んでいた。
 同時に散開してその光景を前にしていた姿形からして皆違う者たちが、それぞれの最高の礼をもって姫君を迎える。ある者は深く腰を折り、あるいは得物を振り上げ咆哮する。
 院における最高位の御方を迎える儀式としては随分と簡略な物だったが、権威付けの必要もない関係なのだから、それも当然の形であった。むしろ必要以上に飾り立てはせず、しかし選ばれた人に敬意を持って接するそれは、彼らが天駆ける騎士たちと称されるのも頷ける光景だ。
 暫くの間空いていた姫の正式な誕生に世界があげた歓声は、今この時分も任に就いている院外の騎士達にも届き、彼らは自分たちの新たな誓いの相手に一時想いを送っているだろうと想像が付いた。
 対する姫は、これまでの院の生活では見られなかった大人びた表情で微笑みを浮かべ彼等に応えた。
 同時に壇下に控えていた、小柄な人が進み出る。その動きにあわせ、まるで潮が引けるように沈黙が舞い降りた。金属製の糸を織り交ぜた飾り緒が揺れて鳴らした音でも、空高くまで響きそうだった。
 そうして姫の前に立ったのは“栄誉ある白オナー・ホワイト”と言う二つ名に合わせ、白を基調とした正装に身を包んだ青年だ。彼の年格好を考慮して、華美ではないがすっきりとした儀礼服だった。但し腰に帯いた剣だけは何時もと変わりない。
 常は少年と言っても通用する彼だが、これから正式に院最高位の騎士として立つ。その剣を捧げる誓いだけは、最も力ある騎士として避けられない儀式であり、縛め。
 けれど跪きもせず、昂然と顔を上げ、白たる青年は姫の手を取った。
 その瞬間、傍らに控えた黒髪の騎士以外では二人に最も近い位置に居た子供の姿をした者、前任の白のもとに仕えた公安の飛翔が、額の眼を細めた。

「逃げ出そっか」

 本来その背で翻っているべきマントが外され、空に放り出された。
 唯一二人を止められる位置にいた黒髪の騎士は手を伸ばして走り出しかけた姫の肩に触れたが、彼の方を向いた二対の瞳は子供そのものの輝いた眼差しだったので、仕方なく笑って手を離した。
 小言くらいは覚悟せねばならないが、そもそも院に君臨する二人を止めるなど誰に出来よう。
 黒髪の騎士から姫君を渡された白──新たな姫からの任命を受ける迄空位にされたため、正式には未だ白でも院生でもない青年は、こちらも笑って帰還までの後始末を密かに頼んだ。
 そして姫と呼ばれる娘は、間近で交わされる男たちのやりとりは気にせず長い衣の裾をたくしあげた。その様には男も女も思わず唖然としたり、目を背けたが、それより装いに似合わぬ短パンを履いた脚が出てきたことで頭を抱えた者の方が多かった。
 刹那にそれだけの動きが行われ、そして手に手を取り合った唯一の選ばれし姫君と最高位の騎士は駆け出した。

 それはやんちゃな悪戯の域を出ていないものの、運命から逃げ出そうと言う足掻きだったのかも知れない。
 三本の足を持つ翼鳥が剣を掴んだ紋章は、けれど何処まで行っても風に靡かれていた。