あれは
「なんだあれは」
懐かしき師との再会は、唐突な一言によって封切られた。
一体どれほどの年月を過ごしてきたのか検討も付かないほど巨大な大樹の枝上に、庵と称すのが相応しい小さな小屋がある。その狭い中に腰を下ろした四人の男たちは、皆一騎当千、“世界の意思”に導かれた騎士。しかしそれを感じさせることもなく談笑している姿は、この時を平和なものと知らしめていた。
一瞬の間を置いてから、リカルドは師の指したそれに目をやって頬の文様を歪めた。
眼下に、方々へ跳ね返った茶色の髪と丹念に梳かされた黒髪が転がり回っていた。時折紙吹雪のように回っている白い欠片は、彼らの足下一杯を埋め尽くす花。
あれで捜し物が見付かるのだろうか、とセトナは立ち上がり肩を竦める。
見なくともその光景は思い浮かんだのか、サイファがそのまま空に溶け出しそうな笑みを浮かべた。
そして疑問の声を発した残りの一人は、呆れた様子で薄い茶を啜った。
彼、飛翔・クァイ=零は複雑な男である。先代“白”の旗下で公安の任に就き、フォウルの下でも武部門筆頭教師を務めていた院の騎士。
だがその姿形は小柄なフォウルよりも更に小さく、一見只の子供かと見紛う。──馴染みのない者は、その額に開かれた第三の眼に驚かされるが。
彼の一族は生まれ落ちた時から殆ど外見上の変化を見せない。院を離れる、そろそろこの姿を保てなくなるから。そう言い出された時には、だから皆が驚いた。
もともと唐突に言い出す癖があるのも事実だったが。
「あれはね、子供が子供を育ててるんです」
「喰うのか?」
静寂が訪れた。
強い自制心を備えた院の騎士たちは、動揺を現すことはなくただその言葉を吟味していた。
もっとも、彼らを鍛え上げた飛翔からしてみれば、リカルドの頬を流れた汗であるとか、今にも吹き出しそうなセトナの口元であるとか、まだまだ修行が足りないのだが。
「……食べてるんですか?」
控えめに問われたそれに、軽く首を振る。
「やめた。おかげで老いた」
「そうは見えないですがね」
幼体と成体の違いも分からないくせに、と言いかけて飛翔は口を噤んだ。ひょっとすると彼らならば見分けられるかも知れない。教えなかったのは自分だ。
誰もが、歳をとった。
いや、それはあの子供を育てている子供にだけは当てはまらないことか。
自分の分だけ茶を注ぎ席に着き直したセトナ・現人は、手にした椀をゆらりと手の中で転がしながら視線を師に当てた。どうしてもその向きは下がりがちになる。
「なんなら食べるか? オレ達を」
老いたと言うならば。
「不味そうだな……まあ力は付くだろうが」
値踏みする様子を見せられ、リカルドが勘弁と小さく呟き、セトナが淹れた茶の残りを自分の茶碗に注ぐ。
誰も本気ではない、無意味な問い。
ああ、と何か思い出した口調で言葉を紡ぎながら、飛翔は組み合わせた手の上に顎を乗せた。
「子供と言えば、お前は未だなのか」
盛大に茶が噴き出された。
いい年をして初な反応を返したのはリカルドだ。もっとも、話し掛けられた内容もさることながらセトナの淹れた茶の余りの甘さに噴き出した面もあったのだが。
「だ、誰がそんなことを」
「なんだ、欲しくないのか?」
最早セトナはその笑いを隠そうともせず、伏した肩を震わせ頻りに机上を叩いて全身で面白がっている。
若いなぁ……とサイファはそれを見て微笑んだ。
笑うのではなく、ただ透明に。
ふと、下から聞こえていた賑やかな声が聞こえなくなったかと思うと、その代わりに慌ただしい足音が近付いてきていた。全員が心中で計った通りのタイミングで、三毛の混じった茶髪がひょっこりと現れた。
正面に目当ての人物を捉えたその猫目石が、にっと笑う。
「見つけたぜ!」
高々と突き出されたのは、辺りを埋め尽くした白い花びらの中から拾い出して来た一枚の金色の花弁。光に溶け出しそうなそれが、自らを主張する如く煌めく。
「あ〜あ、また私か」
億劫な気持ちと、先程の話題から逃げられると安堵した気持ちの混じる微妙な表情で腰を上げる。リカルドは友人の手から金色の花弁を受け取ると、「阿呆らしい」と苦笑しながら幹に巡らされた螺旋階段を降りていった。
全員では座る場所もない樹の上で、各々が色をついた花弁を使い、それぞれの場所を奪い合っているのだ。
なんとも子供らしい、なんとも「阿呆らしい」ルール。
リカルドから席を奪い取った彼は黒髪の少年を抱えたまま座り込み、何が楽しいのか笑みを零し続けている。
「な、新型機作ったんだぜ。ゼロってんだ」
それは男子寮の寮番にでもすると言っていた、彼にしてはまともな機能を備えたロボットのことだろうが、名称まで決まっていたとは誰もが初耳だった。
第一。
「人の名を勝手に使うな」
報じた様子から見て飛翔の名の一部をとったことが明らかなそれに、第三の目がわざわざ迷惑そうに潜められ、瞬きをした。
「だって出ていく時は、永遠の別れみたいなことを言うからよ、もう死んじゃったかと思ったしさ」
余りに遠慮のない言葉に、言われた当人も絶句する。
どうして彼は、こんなにも明るいのだろう。
「持ってくるから待ってろよ! 行くぞ、刹!」
言うが早いか、もう立ち上がって思い切りよく眼下の大地へと一っ飛びに降りていく。
「あ、待って下さいフォウル様ぁ」
急いで主を追い掛けようとした身体を急停止すると、黒髪の少年は一旦飛翔たちの方に向き直った。ぺこりと言う擬音語がしっくりくるお辞儀を一つして、続けて勢いよく頭を持ち上げると再び声を上げ、つんのめりそうな様子で階段を駆け下りフォウルを追って行く。
その場に残された面々は、遠離る子供たちをそれぞれの表情で見送るしかなかった。
「なんだあれは」
呆れた表情が、何処か微笑んで見えるのは気のせいか。
サイファはその髪の幾らかを空に絡ませながら、一つの答えをその場に提示した。
「あれは台風ですよ、飛翔殿」
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