強く咲き誇る華になる

 一口に競技室と言っても色々とあるが、わざわざ映写室を利用する学生はやはり変わり者だろう。
 この部屋は基本的に個人で使用する。そのことからも、普通の学生は敬遠しがちだった。院ならば、己に見合った相手を見繕うことはさほどの労力もなく出来る上、一人での訓練は複数に比べればはるかに効率が悪い、と言うのが共通認識だからだ。
 だが「映写室」と言うその名が指す通り、当然これもただの個室でない。
 ここに備わっている機能は立体映像に関するものだ。一つは疑似空間──いわば箱庭世界──を生み出す機能。この世界の中は取り決められた制限に縛られる。例えば重力がなく、魔法の使えない空間を生み出して放たれたエネミーと対峙する等の事が可能だ。
 もう一つはその応用。院に所蔵された過去のデータベース上から、対戦相手となる立体映像を生み出せること。特に情報が蓄積された過去の院生などならば、癖までほぼ完全に再現することが出来ると言う。
 そう。
 つまりは対峙することが叶わなかった相手とも、実地シミュレーションが行える部屋なのだ。

 どうせ外から開くことはないだろうと、扉を背に当ててラグァは高みの見物を決め込んだ。
 この院という土地には色々な人間がいるが、奴のように金と黒の混じり合った派手な頭をしているのは一人しかいない筈だ、と思う。ほうぼうに向かって撥ねている己の見事な白髪も、彼に負けず劣らず目立っていると言う自覚は無論ない。
「なぁ」
 もう何度応えのない呼びかけを繰り返しただろう。
「なんで映写室なんか使ってる?」
 面倒臭がりながらプレート出して使用許可を貰ってまで。 
「あ、生身じゃ相手がいないか」
 彼の方から動きたいような。
「ラメセス」
 その呼びかけを機にした訳ではないだろうに、ふいとラメセスが得物を持たない方の腕を振るった。
 拳すら形作ってはいない、その指がひゅっと音を立てて空を切り、ただ一点を目指してのびる。その動きはいっそ思い切りが良いと言ってもいい。
 人間を殺す事しか考えていない動きだ、とそれを見送ったラグァは妙に晴々とした意識の隅で思った。
 指は、人体の中で最も柔らかな場所の一つをえぐった。
 ホログラムがぶれて、消滅する。それだけが、今ラメセスの「殺した」相手が生身の人間ではなかったと知る唯一の手がかりだった。
 彼の場合、つまりはそう言う事なのだろう。
 あの紅い瞳は、捉えられた相手の息の根を止めねば気がすまないらしい。
「やっぱり、いい動きするな。うん」
 血の色のようだと常々思う視線が、ラグァの涼やかに真っ直ぐな瞳に突き刺さる。
 五月蠅い、黙れ、失せろ、いい加減にしろ、つきまとうな。
 さして変わらない表情からも、大方そんなところだろうと見当は付く。ラグァは大方の予想を裏切って、寡黙な人間の相手をするがそんなに苦手でなかった。いや、ラメセスの相手をする内に苦手ではなくなったのだろうか。
「それで。何時になったら相手してくれる?」
 それは天啓だったと言っていい。
 一分の隙もなく立っていた彼を見付けた瞬間、彼ラメセス・シュリーヴィジャヤと対峙することが、院で強くなる方法だと思ったのだ。
 はるばるこんな所まで、距離も時間も故郷から遠く離れた院までやって来たのだ。この機会に強くもならないで何になると言うのか。
「なぁ」
 再度の呼び掛けに応えるようなタイミングで、ラメセスが先程とは逆の腕を持ち上げた。

 ぎぃん、と金属音が鳴った。
「──っ」
 ラグァの剣術は、本来受け止める剣ではない。身を交わすことこそ信条であるべきだった。
 咄嗟に持ち上げた剣──鞘に納めたままのそれに、ラメセスの振るった剣先が弾かれたのは僥倖だった。辛うじて踏ん張れたが、一見無造作にも思われたその一打は衝撃に意識を失いかねない程激しかった。
 たとえ練習用の武器でも、急所に一太刀を浴びれば致命傷になりかねない。軽装のラグァならば尚更だ。それを判らない相手でないだろうに。
 文句の一つも言うべきかと口を開いて、しかしラグァは言葉を呑み込んだ。
 何時もの通り、感情が浮かばない、敢えて言うならば不機嫌な顔をしているのだろうとばかり思ったその顔が。
 嫌みのない表情を見せていたから。
「貴様は訳のわからん男だが……」
 その口調は相変わらず突き放した物言いだったが。
「勘はいい、な」
 後は大人しく劉天輝に従っておけ、と互いの担任教師の名前を出したのは、この男でも劉教師を認めていると言う事なのだろうか。
 強いでも弱いでもなく、勘がいいと?
 その批評を受けて水色の水晶が瞬きした隙に、ラグァは肩を小突かれ軽くバランスを崩した。先程の衝撃に痺れでも残っていたのか二、三歩たたらを踏む。
「あ」
 見開いた視界が閉ざされる。部屋から閉め出されたのだ、と気付いてラグァは声を上げた。
「まさか、あんた、今ので終わりって?」
 あれで相手をしたつもりだと言うのか。そんなおざなりな逃げ方は許さないからな、とどうせ届かないだろう部屋の中に向かって呼び掛ける。
 それからラグァは白髪を掻き上げ、別の友人でも掴まえようと踵を返した。

 相手は目の前にいる。それも気長に攻略に掛からねばならない相手だ。
 まだ暫くラグァが映写室の世話になる必要はなさそうだった。