院の敵と称される相手がいる。
 無論、学生たちには縁のない話である。だが、院生以上に優秀と目される学生ならば、縁のある話にもなり得る。
 劉天輝リウティンファイの下で学ぶ学生ラメセス・シュリーヴィジャヤに下された「任務」は、ある院の敵の抹消──院生にすら下されることが稀な、危険にして非情な内容だった。
 ……もっとも、とうに院生となっていても奇怪しくはない実力を持つラメセスならば、受けるに遜色ない任務である。
 そもそもこの任務とて、自ら進級しないが放校もされない代償に、と理由を付けて院生のキィリク達に命じられる筈だったものを、奪い取って来たのだ。
 正式な任命書と、センサーが収集し編み出した情報に目を通すその姿は、静謐で、侵しがたい気を纏っていた。
「知彼知己者百戦不殆、だったな」
 劉の存在には気も留めずにいたラメセスが、ふいに声を上げた。
 その紅い瞳は、だがファイル上に浮かび上がる“標的”の立体映像を映したまま、である。一点を見据えたその紅玉は、深く、昏く、どこか自らを嘲笑うような皮肉な色を宿していた。
 苛立たしく、劉はそのファイルを取り上げた。
 こんな任務を引き受けるラメセスも、それを押し止めようとしないフォウルも、劉の苛立ちの対象だった。
「おまえが知るべき“敵”はこいつではない」
 そして、ラメセスが院に入学した当初の目的のような、フォウル相手でもない。
「おまえ自身だ」
 吐き捨てられた言葉に、ラメセスは剣呑な感のある様で眼を細めた。
 かつて彼と引き合わされた劉は、この獣の前に存在する二つの道を見て取った。
 自分、劉天輝に師事し院にて己の内部に巣くう暗部を律した生活を営むか、あるいは理性を捨て、人に馴れぬ獣として──
「お前が、俺を殺すんだろう?」
 心を読んだようなタイミングで、言われた。
「それなら、お前も俺の敵だ」
 生きるために殺すことを覚え、それが呼吸するように自然なことになってしまった男が、ここにいた。
 何のために生きているのか。それすらも考えず、ただ生存本能に従って生き延びるだけの、獣。
 それがラメセスの総てなのか。
「俺は、おまえに人として生きて貰いたい……」
 出来ることならば選ばせてやりたい。
 第三の道を。
 生まれた時に与えられる筈だったそれを奪われて以来、光を──心を正しき道に繋ぎ止める陽の光を見知らぬのであろう彼に、握らせてやりたい。
 彼に、光を投げかけるものはないのか。
 ラメセスは立ち上がり、静かな黒眼と紅眼がぶつかり合った。
「劉、俺は本当にヒトか……自信はあるか」
 応えは聞かれぬまま、言い捨て、ラメセスは立ち去った。

 その日の内に、ラメセスが標的を討ち取った知らせが入った。