live under the same roof
一年次必修と定められている武部門授業、すなわち長柄武器の授業がこの日も劉教師の静かな礼を合図に執り行われ、そして同じ所作で終了した。彼の動きでだけ判断するとしたら、始まりも終わりも等しい。
しかし受講生達にとって、それは同じ物であり得なかった。
ことにこの同級生たちに限って言えば、とクトゥフォン=ゲイルは薄い傷跡が縦に残る右目の瞼を意識的に持ち上げて級友たちを観察した。自分が今立っている扉の前からはそれぞれが手にした練習用の棒を棚に戻していく様子がしっかり見える。
「届かないから戻しておいてよ」
「やだ。自分でやんな」
押し合いへし合いする中ではつまらない言い合いも少しおきるが、暫く経つと各自の分は済ませた者が出てきて棚の前が空く。
そして片付けを確認し、劉教師が退出した途端。
「ちょっと良いかな」
途端、競技室から飛び出そうとした一人の首根っこを掴み、一人の足をすくって転けさせ、窓の方を向きかけた一人に眼差しを送ったクトゥフォンは恐らくこれ以上は不可能な程愛想のいい笑みを浮かべる事に成功した。
終了の礼以来伺っていた出ていくタイミングを失い、皆が怪訝な顔をして見ているのが分かる。だがここで退くわけにはいかない用件が彼にはあった。
なるべく朗らかに話題を振ろう、とここ数日考えていた通りに問う。
「どうして君たちは、こうも協調性がないんだ」
学年ごとの雰囲気と言うものは、多種多様な人材が揃う院でも生まれるものだ。そして今期新たに院で学ぶ一員となった彼らの特徴と言えば、誰に聞いても非協調と答えただろう。授業中ですら協力しない、終われば挨拶もなしにてんでバラバラ、塔での合宿は過去最悪の結果だと教師陣を嘆かせた。もっとも当人たちにそのようなつもりがある訳でなく、ただ自分本位だと言う結果だったので──尚更悪い、とクトゥフォンは思うのだった。
ふらふらと宙に体を浮かべたヒカルが不意に笑う。
「好き勝手してる方が楽しいじゃない」
反対側の少女もそれに同意する声を出す。それに対してクトゥフォンはしっかりと首を振った。
「ご丁寧に有難う。でも僕は理由を聞いてるんじゃないんだ」
あら、そうなんだ。と判っているのだろう事を殊更驚いて見せる彼女が、しかし未だその場に留まっている事に安心する。実体を持たないヒカルはその気になれば直ぐ隣の壁からでも外に擦り抜けて行く事が出来るから、扉の前を陣取ったと言え油断出来ない相手だった。なんせ彼女は何時でも自分の気が向くまま、相手の都合はお構いなしの神出鬼没を誇っている。
それではどういう意味で問い掛けているのか──それも他人の時間を奪ってまで、と非難めいた声が浴びせられるのに対しては、腹に力を入れてしっかりと見返してやった
「つまりね、もっと学年内で仲良くなるべきだと提案してるんだよ」
「そりゃ難題だなぁ」
間髪入れずに、先程クトゥフォンに転ばされた格好の少年が呟いた。正確には転がるようにして巧く着地したので、彼は扉に近い位置にいる。それに牽制するよう視線を馳せて、クトゥフォンはゆっくりと応えた。
「僕はそんなに難しい事じゃないと信じてる。壬子、君も協力してくれればね」
思えば彼、壬子も最初は気心知れない相手に素顔を晒すのも恐ろしいと宣い、薄気味悪い微笑の面をつけて登場したものだった。その頃と、口元を布で隠す程度の今とを比べれば外見上は随分と打ち解けた気がする。しかし忍びとは孤独なもの、と言う判るような判らないような信条を盾に、彼が級友たちの話をこれっぽっちも聞いていない事など、未だ改善の余地ありだとクトゥフォンは目していた。
へぇ、と皮肉なのか感心しているのか不明瞭な声を出してから、鼻から下を覆う布ごと顎の辺りを掴んだ壬子は顔を俯かせた。そうすると針鼠のような髪の毛が彼の表情を見えなくする。
「忍びは馴れ合わない。利用はするけどな」
次の瞬間持ち上がった瞳には不敵な笑みが宿っていた。
あ、と思った時にはもう遅い。扉に向かってではなくただ広い競技室の空間へと一歩退いた壬子が、目の錯覚ではないかと疑うほどの跳躍力を見せて吹き抜け状態の二階に飛び上がった。細長いハチマキがその軌道に沿って朱い色を残していく。
「みずの!」
呼び難い名前は意識せず縮められた。クトゥフォンは一瞬の遅れもなく大きく踏み込むと手を伸ばしたが、朱布の端は彼の手中をするりと抜けていった。物を掴むのに適していない手である事が悔やまれる。そのまま鮮やかな色だけを足掛かりに、忍びの姿は消えていった。
脱出に成功した忍びを前に、こういう事に関してだけは意向の合う他の者たちが黙っている筈もない。
「いっち抜けた!」
ヒカルが楽しそうに宣言して掻き消えた。他の者たちも各々の用事が邪魔された事に不平を零しながら競技室を出ていく。何をそんなに急ぐのか駆けていく者や、それとは反対に他人の進路を邪魔する位置でのろのろと足を動かす者がいる。
やはり協調性の欠片も見当たらない級友たちの有り様に、クトゥフォンは深い溜息を吐いた。
「クトゥフォンちゃん」
随分と可愛らしい呼び掛けに視線を巡らせる。その先では、頭一つ分小さな少女がそばかすだらけの顔で見上げていた。
これまでの出来事に依ると、彼女セララ・ジューンは典型的な年上に可愛がられる性質(タイプ)で──同学年との仲も決して悪くないのだが、本人が無条件で甘やかされたがる側面があるので──他人を気遣うと言った行為は苦手な筈だった。しかしこの時の彼女はクトゥフォンに対して親身な労りの言葉を舌に乗せると、幼い顔に明るい笑みを浮かべた。
一つ上の先輩がセララに惚れ込んでいると言う話はクトゥフォンも知っていたが、もしかするとその人物はこの笑顔に惹き込まれたのかも知れないな、と思わされる輝かしさ。
「どうして急にみんなで仲良くなろうと思ったの?」
どちらかと言うと彼女自身の好奇心を満たそうとしての問いらしかったが、少しは興味を持たれただけ良い傾向かなとクトゥフォンは苦笑いした。
「協力し合おうって言うより、その方が簡単だと思ったんだけどね」
仲が良ければ自然と協力しあうだろう、と思ったのだ。
ふとセララが大きな眼を瞬かせた。
「あのね、クトゥフォンちゃん。急にそうしようって言われて仲良くなる人は、あんまりいないと思うよ」
その通りだ。失念していた訳でないが、思案している内に仲良くなるべきだと言う思いを伝えるのが先決になっていて、今日の結果になってしまった。
「サルゴンちゃん達が仲良しなのはね、一年生の時は一緒にお昼してたんだって。何時もじゃないけどね」
途中で出た人名は記憶になかったが、話の流れが分からなくなる事もなかった為クトゥフォンはただ黙って頷いた。
共に在る時間を作ると言うのは大切な事だ。
例えば教室では必修の授業が執り行われ、寮内においても教室長を中心として縦の関係が形成される。学年間での連帯はと言うと、塔の合宿を皮切りに各々の友人関係から高められていくのが普通だ。そもそも院では仲間意識を誘導するような教えが徹底されているので、時間が経つだけでも効果がある。
しかし自分たちの学年に関して言うならば、ここまで和さない面々が一緒に過ごすだけで仲良くなれるだろうか。
その疑念を見抜いたのか、それともただ言葉を繋げているだけなのか、セララは根拠をあげた。
「ユ=ノ先生が言うには『同じ飯の釜を食う』なのよ」
余り言いたいことが掴めないことわざだな、と思ってクトゥフォンは心中密かに首を捻った。だが、セララが言いたい事の方は何となく通じるところがある。
つまり──
「だからね、クトゥフォンちゃんもみんなと仲良くなりたいなら、お昼一緒に食べれば?」
自分個人が特別に皆と仲良くしたいと言う趣旨ではないのだが、応えは最初から決まっていた為、クトゥフォンには細部を訂正する意味が見出せなかった。
食事の話を出された時から、実は少し困ったなと思ったのだ。
「……生憎だけど、種族の掟があって僕は人前で食事出来ないんだ」
「そぉ。じゃ無理だね」
セララは輝く笑顔で宣言した。
その台詞の『無理』が果たして共に食事をする事を指しているのか、皆で仲良くなる事を指しているのか、判別は難しいところだった。
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