君を闇から光へ連れ出したい

 微かに大地が揺れた。
「また来るわ。気を付けて!」
 激しい雨音を制して離れた二人に届けるために張りあげた声も、地鳴りの響きに掻き消される。
 アーデリカの豊かな栗髪は既に重さを増して、彼女はひとしきり吹き荒ぶ暴風が行き過ぎるのを、二、三歩たたらを踏んでやり過ごした。

 人々の体験したことがない豪雨が続き、出入りが不可能となった彼方の地域では原因不明の伝染病が広まりつつあるという。
 住民の姿が忽然と消えた地域がある。
 ある瞬間に大地が揺れ、渦巻く風が吹き、総てが破壊された地域がある。
 複数の他世界による大規模な衝突が引き起こした結果だった。
 “院”が担う役割も、これほどの惨事の前には無力だ。
 院生のみならず学生までを交代で動員し、世界の復興作業と生存者の救出に赴くしか出来ない。

 この区画にアーデリカら三人が派遣された直後、再び次元が動いたのか、天候が崩れ、僅かに残っていた建物らしき影も、天から差し込まれた赤い光に薙ぎ倒され、大地に横たわるばかりとなった。
 雨除けの術や、防護の術をアーデリカが数度唱えたが、魔法は発動しないまま終わった。
 今は、アーデリカが断ち切れてしまった“院”との連絡線復興に全力を投じ、同時にイクスとラメセスがこの地の生存者を捜しているのだった。
「……っ」
 必死の思いで持ち上げた支柱の下に、予想はしていた結果が残っているのを直視し、イクスはその唇をきつく噛んだ。
 吹き込む雨粒に視界が利かない理由だけでなく、顔を歪め持ち上げたイクスの濡れる視線を、ラメセスの変わらぬ紅い瞳が受け止めた。
「……もっとよく探そう」
「無駄だ」
 雨音なのか、耳鳴りなのか、頭が音に支配された。
 イクスは取り乱し、頭を振った。
「やらなきゃ分からない。この瓦礫の下に、助けを待っている人がいるかもしれないんだ!」
 助け合いの精神は立派だが、それで自分の身の安全すら忘れるような奴に言えることか。とラメセスは金と黒の髪を掻き上げた。
 常と変わらぬ平然とした表情はしているが、その毛先からは止めどなく流れる水が地面まで続いている。夕闇色の肌を、雨が打ち付けた。
「瓦礫の下は──瓦礫だ」
 吐き捨てたラメセスの胸元を、イクスが掴みあげた。
 自分だけでない。この任務に従事する全員の、“院”の努力を無にするような級友の発言を聞き咎め、その鳶色の瞳に鋭い力が込められる。
 この生真面目一辺倒と仕事をするくらいならば、アーデリカと作業を変われば良かったと思い、ラメセスの顔が顰められる。

 自分たち一人一人の力は確かに小さいかもしれない。
 でも、その一人一人の努力と意識がどれだけ結果を左右するか。
 やる前から諦めれば、絶対に不可能になってしまう。
 だからイクスはそんな言葉を聞きたくなかった。

 自分たちのやっている事はすべてが手遅れだ。
 所詮無駄な足掻きをしたところで、“世界”の流れには逆らえないと。
 院の判断もそう認めているではないか。
 だからラメセスはこんな事をしたくなかった。

 ……にやぅ……
 睨め付けあった二人の表情が僅かに固まった。
「今の──!」
 はっと意識を足下に向け、イクスは瓦礫の山にかじり付いた。がらりと騒音が立てられ、激しさの止まない雨に足が沈んでいく。
 だが、その中から。
 奇跡的に瓦礫の隙間に入り込んだがため、無傷でいた小猫を抱き上げ、泥だらけの姿でイクスは誇らしげに微笑んだ。
「……無駄じゃ、なかっただろ?」
 偶発的な結果論だ。
 そうとだけ思って、ラメセスは背を向けた。
 その後ろで、体中に降り注ぐ雨に、猫は体を縮めてイクスの胸元に潜り込んだ。

「二人とも! そろそろ撤収できるわ!」
 数刻後、アーデリカの呼び声に、二人は再び両極端の反応を返すことになる。

 余談だが、その猫は今、院の寮の片隅で鳴いている。