この世界いっぱいに花束を

 芳香が鼻孔をくすぐった。
 燦然と艶やかに咲き綻ぶ花々が揺れていた。
 陽を受け止めて晴れやかにその身を主張する花たち。それを支える草木がいかに影響し合い、絡み合ったのか、寄り集まった三本の木から伸ばされたその枝は、余すところなく陽を受け止めようとして屋根のような形になっていた。
 いわば、自然の東屋と言ったところか。
 その一本の木の根本に出来た陰に、一人の麗人が腰を下ろしていた。
 さながら一輪の花の如く。
 その花ならば蜜に例えられよう琥珀の瞳に映った、黒髪の少年。
 言葉が微かに紡がれ……また自ら言葉を失うのを、静かに映し込んだ瞳がとらえ。
 前触れもなく通り抜けた風に、瞳が閉ざされる。淡い色合いを宿した髪の一房が攫われ、宙に舞って、降りた。
「……僕には、よく判らないんです」
 微笑みを形取った白い貌が、琥珀の面上で不安定に揺れた。
 風を受けて、花々が一斉になびいた。
 東屋を形作った名も知らぬ木に咲く花から、涙型をした花びらが舞い落ちた。薄紫に染まった花の破片が、少年の背後に広がる空を埋め尽くす。
 静かに、麗人はその瞳を閉じた。
「その想いを、忘れないでいいのよ」
 風が揺らいだ。
「それを受け止めるのが私の役割なのだから」
 何か大きなものを越えた、その人の声音。
 黙して聞いていた少年の口から、その人の名が零れた。
「アエネラ様──」
 意味もないその呟きは、麗人の言葉で掻き消された。
「あなたの痛みも……分け合えば、きっと軽くなるでしょう?」
 告げられた言葉に、時が止まった。
 待ちかねたように、二人の間に一輪の花が落ちた。その一瞬、視界を遮った彩に世界が淡く染まった。
 沈黙が二人の間に漂う。
「ねぇ、リート」
 麗人の琥珀に輝く瞳が開き、言葉が紡がれたのと、少年の動きはほぼ同時だった。
 地に落ちたにも関わらず未だ、見事に開いたそれを誇示する花を手で掬い上げ、膝をついた少年はそれを麗人の前に捧げた。
「僕には捧げる剣がありません。だから、代わりに花束を」
 院の姫は微笑んだ。