採点日記

「レイヴさぁん」
 少し間延びした独特の声音が後ろから掛けられ、レイヴがふと立ち止まると、とんっとその背中に何かが軽くぶつかって来た。
 衝撃に、どちらかと言えば細身の体が揺れる。短く切り揃えた金髪が、さらりと揺れて、頬を掠める。
「痛……鼻の頭ぶつけました」
「それは、すまなかったな」
 籠もった鼻声に律儀に返事を返しながら、体の向きを入れ替えた。
 少し見下ろした位置にある黒髪を見て、鴉のようだと考え。
「で、何をしているんだ。リート」
 その言葉に反応して勢いよく顔を上げ、リートは向日葵の花が咲くように顔を綻ばせた。
 後ろ手にしていた物を、音でも立てそうな勢いでレイヴの前に突き出すと、空に浮かんでいる筈の星々が宿ったかのような輝く瞳をする。
「日記って物を書いたんです!」
 成る程、と鷹揚に頷いてからレイヴははたと考える。
 その言葉から察するに、この薄桃色の表紙をした書がリートの言う日記なのだろうが、それを何故自分に突き付けているのだろうか。
 その疑問を、リートは直ぐに解決してくれた。
「僕、書いてみたのはいいんですけど、日記ってよく分からなくて。それでレイヴさんに読んで、採点して欲しいんです」
 自分の知っている日記というものは、果たして人に採点を貰うような物だっただろうか。
「俺は人の日記を読む趣味は──」
「宜しくお願いします! それじゃ、僕は次の授業がありますから」
 反論しかけた口は中途半端に開いたまま、リートの言に遮られる。  そして半ば以上強引に押し付けられた日記帳を胸を手に、独り残されたレイヴはしばらく唖然としているのだった。


 昨日の夜、日記というものを知ったので、僕も書いてみることにしました。
 朝早起きをして早速書いています。

 おや、とするとリートは朝目覚めて、授業の前にこれを書いていると言うことだろうか。普通日記というものは一日の終わりに書くものではなかったか?
 レイヴは初めの段落から不審な点を見付け、赤鉛筆で書き込みを入れた。
 この辺りのやりかたや注意の仕方は、刹の勉強を見てやったこともあって手慣れた物だ。

 今日は基ソ言語学と精神と基ソ体育の授業があります。
 僕は戦闘訓練は苦手なので、体育の日はほっとします。

 自分もそうだ。
 そう思って、レイヴは微かに微笑みを誘われたが、院生を目指す者としては望ましくないことだから、後で教室長のイクスに言っておこうと頭の片隅にしまい込む。
 多分、イクスはリートが体力面で他の生徒に劣らないように見てくれるだろう。

 戦闘訓練でケガをして保険室に行ったら、ロアンさんが出てきた所を見ました。
 怪我でもされたんでしょうか、心配です。おとついの事なので、もう大丈夫かな。

 妙な情報が突然現れ、レイヴは顔を顰める。
 それと当時に冷静に、今日の話をしている途中で急に一昨日の事が出てくるのは頂けないな、と採点。文頭に「一昨日」と書き込むと、満足した。
 が、読み直してまだ違和感を感じ、ゆっくり文字を追って見る。
 二秒後、しっかり誤字を訂正してやって、レイヴは今度こそ満足した。

 さて、日記を書いていたら授業の時間が来てしまいました。
 何を書いたらいいのか分からないので大変です。
 レイヴさんに採点してもらうことにしようかと思います。
 読んでますか? レイヴさん(^^)

 何を書いても自由だと思うが、日記というからには一日の出来事を記すのではないか。そう几帳面な字で書き込む。それから、私信を書くのはどうかと書き込もうとして、矛盾に気付き止める。
 代わりに「読んだ」と署名と共に書いてやった。


 幾らか赤い文字が目立つようになった日記帳を渡すと、リートは大いに喜んで受け取った。
 ありがとうございます、と頭を下げると、続いてぴょこんとその頭を勢いよく上げる。
「僕、頑張って書きますから、続きも読んでくださいね?」
 それはひょっとして、日記というよりも──
 何か奇怪だと思って、レイヴは首を傾げた。

 そしてこの採点日記、今でもゆっくりと続いているらしい。