サモンナイト
見渡す限り一面の砂漠。
結局こうなのか、と。
肩までの金髪を揺らす青年は先程まで屈めていた腰を上げ、まだ底抜けに明るい空に向かって大きく背一杯の伸びをした。
傍らで、同じ顔の青年が時を気にしながら本のページを手繰る。
一面の砂上で、ロアンとレイヴは暇を持て余していた。
そもそも、暇だったから好きでもない実習に付いて来てしまった。その実習先で暇になってどうする、とロアンは少し愚痴てみる。せめて可愛い女の子の護衛だとか、そんな内容なら耐えもするのに。
その言葉は聞こえているのだが、兄を完全に無視する作戦に出たレイヴは、背中を向けて腰を下ろしたまま反応を返すことがない。
この世界の砂漠には、あの灼熱の太陽に焼き尽くされる不快感がない。その代わりと言ってはなんだが、吹き付ける突風で直ぐに全身で砂まみれる。時折頁に付着したそれを払っているレイヴの手は、ロアンより少し色が薄いように思う。
ロアンはしばしそれを眺め、弟のすぐ傍で身を屈めると態とらしいため息を吐いた。
「……ふーっ」
レイヴの背筋がぴんと張って、硬直する。
「やめろ、くすぐったい」
首筋を押さえ、ようやく振り向いた彼の眉間には明らかな皺が寄っていた。そこを人差し指で突っつかれそうになり、さすがに避ける。
「駄目だぞイヴ。難しいこと考えちゃ」
誰のせいだ。
反論しかけた言葉を飲み込み、レイヴは己と同じとは思いたくもないにやけた顔を暫し睨み付けた。
「暇だから遊びにでも行こうか」
「体力は温存しろ」
これからが本番だと言うのに、と嘆息する。
「だってよ。別に、オレたちの予定通りなら楽な話だろ」
待ってるのに厭きたんだよ、と相変わらず子供のような駄々をこねる兄に、果たしてこの男が本当に自分と同じ遺伝子構造をしているのかと、レイヴは解体してやりたい気持ちが浮かんだ。
篝火の爆ぜる音で、リートは自分がいつの間にか熱心に呪言を唱和していたことに気付かされた。凝ったような気もする首を傾け、辺りを見回してみると、数時間前から変わらず続いている光景がある。
今自分が纏っているのと同じ黒衣の術師たちが唱えているのは、この国の古い詩。
これまで、一体何を意味する詩なのか知られていなかったのだが、ある日不要な偶然が重なって入手されてしまった異界の魔法陣の情報と合致し、魔王召喚の禁呪として認知されるようになったのだ。
……実際には、その発見された魔法陣──より正確には魔法陣らしき物、とはある世界の旅行代理店が人寄せに作った贋作なのだが。
人の想像力って逞しいな、と言うのがリートの感想だ。
それにしても、これこそ悲願と思い至り魔王の召喚等というはた迷惑な理想実現に現勢力を傾ける悪の秘密結社も、この場合は事情を知っている第三者“院”から見てしまうと間抜けこの上ない。とは言え、回収しない訳にいかなかった。
だから今回彼らに与えられた実習内容は、この偽魔法陣の消去だ。
勿論、院の通例で殺生は厳禁。
最早召喚の準備段階に入っていることであるし、詩そのものには何かを呼び出す力があるらしい。それらの情報を基に三人がとった作戦というのが──
「見ろっ!」
「──おおっ!!」
声が上がり、続いてどよめきが唱和を止めた。祭壇の上に描かれた魔法陣が発する光に、誰もが目を奪われている。
リートは、確かに驚きは感じつつも周りより幾分落ち着いてそれを見据えた。
詩には呼び出しの力がある。だから、何かが呼び出されてしまうのは間違いない。もう儀式が始まっている以上、何処で止めようにも召喚は成就される。
それならば。
双子の先輩たちは人のいない場所で予め、この世界では召還失敗の際に生まれるという低級モンスターを用意してある。
召喚の門が開く際、空間は乱れる。この時、詩の力で召喚された物と用意したモンスターをすり替える。このモンスターは周囲を消化し、そのまま自滅してしまう性質があるらしい。ならば、魔法陣を完璧に破壊してくれるだろう。あとは、呼び出された方を元の場所に帰してやるだけだ。
言うは容易いが、こんなマジシャンでもやらない大掛かりなトリックの鍵は、リートが持っている。
いくら空間が乱れると言っても、外部から内部に潜入し目当ての物をすり替えって持ち帰るのには媒体がいる。その媒体であるのはこの場合、ロアンが自分の力で目印を付けた珠。今、それはリートの手の中に納められている。
これを持って魔法陣の下まで行く。そして召喚された物とモンスターをすり替えると同時に、リートも回収してもらう。
空間制御に長けたロアンがいればこその作戦だ。
と、魔法陣の上に何かの形がわだかまり始めた。あれが形を成す前にすり替えねばならない。
そう思って立ち上がり、一歩踏み出したリートの──着ているものが、慣れないローブだったのを忘れていた。
「あれっ?」
がくりっとつんのめり、咄嗟に顔を庇って手を。
ころころころ……
「あ〜〜〜っ」
リートの手を放れ転がっていった珠が、魔法陣の中のわだかまるものに当たり、光を弾かせた。途端に周囲を襲う空間の歪み。
「だ、だめです〜っ」
その声が届くはずはなく。いや、その声は掻き消されていた。突如姿を現した消化型低級モンスターの群に、人々が先程とは意味合いの違うどよめきと悲鳴を上げたのだから。
一瞬でそれまでの全てを払拭する、恐怖。
リートも周りに倣い、一目散に逃げ出した。
そしてレイヴは飛び退いた。
靴の下で砂が舞い、後ろにいた兄がなにやら咳込んでいるのはこの際無視する。
成功か失敗かと言えば、正直どちらとも言えないのだろう。確かに世紀のすり替えショーは成功したようだ。だがどういう訳かリートを回収し損ねた。
実際に術を組み上げ施行したロアンは、恐らく目印の珠を手放してしまったのだろうと予想したが、回収ミスに違いはない。
そして一番のミスは相手を読み間違えたことだ。
光の渦がはぎ取られたそれは、巨大にして醜悪な形を取った後にこう言い放ったのだから。
『余は汝らがエルベゼクの魔王と呼ぶもの──我を喚んだせめてもの礼に、汝らは苦しむことなく無へと帰してやろう』
喚んだのは自分たちではない。そう言っても無駄なのだろうなと、皮肉を思い浮かべる間もなかった。
魔王と名乗ったそれから、目に見えない何かが放たれる。空間を歪め、周囲の像を歪め、迫ってくる力だ。咄嗟の判断ではあっても、それが危険であるらしいと認知できた。恐らく、接触した点を中心に空間を歪ませ、分解させるような類。
身を捻ようとしたレイヴの肩を強く引く力があった。突然のそれに対応できず、尻餅をつくような形で後ろに倒れる。
視界が動かされてなにが起こったのか知覚できない目の前で、ロアンが空間の歪みを生んだのだけが判った。
次の瞬間、魔王の放った力とロアンの展開した力場とが衝突した。世界が不自然な角度にねじ歪み、撓んだ後、レイヴの足下に深い亀裂を生んだ。
「──っ」
冷や汗が出る。
ほんのすこしでも掠れば、分解されていたところだ。それが分かったからこそ、身動きが取れなくなった。
「魔王ねぇ」
傍らで独り言のような声が聞こえて、レイヴは不覚にも──前の事があるだけにびくりとして振り返った。
魔王と対峙するロアンは、意外にも明るかった。どこか状況を楽しんでいる風もある。
「それじゃ、天使様でも喚ぶとするか、イヴ」
一瞬遅れて自分に言っているのだと分かる辺り、どうやら相当焦っているのだと、レイヴは様々な意味で憮然とした。
「簡単に言ってくれるな」
「大丈夫。オレがついてるからな」
それこそ、簡単に言ってくれる。
レイヴは立ち上がって術を編んだ。一分の遅れも狂いもなく、それにロアンが力を組み込んでくる。
人には分と言うものがある。分相応とか分不相応と言う、それだ。簡潔にいうならば、出来ることと出来ないことがあると言う、反論の余地がない話。
自分に、所謂“召喚”と言う力が備わっているのを知ったのは、当然院でだ。いや、院で顕在化したのだろう。
自分に、と言ったがそれは単独では使えず、同じ力を分け合って生まれた存在との協力の上に成り立つ。そのうえ世界法則によっては行使出来ないことがある不完全な術。
そして召喚には、二人を分かつ二通りの意味がある。
Summon そして Evoke。
“天使”とロアンが抽象的に指した存在を喚ぶのは、レイヴが持つ前者の力だ。そして今対峙する魔王のようなものを喚ぶのは、ロアンの方に備わる後者。
こんなところまで、自分たちは真反対に分かたれている。
共に術を紡ぐ──今回はSummonの力を行使するためレイヴが中心に編み上げているのだが──この瞬間に視界に入るロアンは、いつも。
「開け、天界の門!」
笑っていた。
激しかった戦いの跡も、この砂の上では直ぐに消えてしまうのだろう。
「事実は小説よりも奇なり、と言うことか」
まさか本当に、何処かの魔王が召喚されてしまうとは、院の上層部ですら思いも寄らなかったに違いない。分かっていれば、院生に処理されていたはずだ。
すっかり細かい砂にまみれた衣類を叩いていたロアンが、それに応えて笑った。
「当たり前さ。小説ん中じゃ動物と話が出来る医者がいたって、本の中に吸い込まれちまったって、別に不思議じゃない。だけど現実はオレとレイヴが実習ってだけで大騒ぎじゃないか」
人生は、ただの驚きの連続だよ。
「……むちゃくちゃだ」
「そうか?」
本当は“院”という、小説じみた現実に身を置いている時点で、それが分かっていたのだ。
「サモンナイト」
ふと、ロアンの口から零れた単語にレイヴは視線を上げた。
「Summonの召喚士のことをサモナーって言うんだとよ。だから、お前が院生になったらさしずめSummon Knightだな」
確かに、院生は騎士と呼ばれるのだが。それではお前はEvoke Knightなのかと問うと、まさか……とだけ呟きが答えた。
砂を乗せた風が身体の脇を通っていった。早く髪洗わないと、とロアンがぼやく。その前にリートを回収しなければならないのだが、さて何処に行ったのか。
結局、先天的天然性方向音痴でありながら予想も付かない動きをするリートを探すのは時間が掛かるだろうと、双子は同時に思い至って嘆息した。
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