ウォーターリーク

「お前は、クレハ、あれだなぁ」
 紡がれる不明瞭な言葉を柔らかな風が流すのに合わせて、芝生の草花と、その上で寝転ぶ艶やかな草色の髪が揺れた。
 同じ風が、色合いの違う三毛の髪の、少し収まり悪く跳ねた一房を撫でて立ち去っていく。それを見送った彼が、漸く思う言葉を探し当たらしく、あ、と空に音を浮かせた。
「割れ鍋にとじ蓋とか、そういう感じ」
 思わずクレハラムは笑い声を上げていた。
「意味が分かりませんよ」
 実際、その言葉は酷く唐突だったし、その諺はどう考えても自分一人への評価として適切でないのだ。
 笑顔を作ると、少しきつい瞳の印象が薄れ、クレハのまとう風は酷く穏やかになった。
 確かに少し違ったかも知れない、と彼は独りごち、大きな伸びと共に上体を持ち上げる。それから、その瞳と同じ猫に似た仕草で空を飲み込みそうな欠伸をひとつ。
「たぶんお前はどっか水漏れしててさ、いくら継ぎ足しても足りないんだよ」
 言い換えられた台詞は、今度は入り混じった欠伸のせいで酷く気の抜けた調子だったが、静かにクレハの胸の何処かを貫いて、真実穴を穿ったように思えた。
「今は水を入れるより、修理する方が大事なんだろな」
 それは真実なのだ。
 クレハは今や、自分の中に存在する欠けを自覚していた。この隙間を塞がない限り、気持ちは零れて流れ出てしまう。そしてとどまる事なく消えた想いが何処に行ってしまうのか、彼は知らなかったから、拾いに行く事も出来はしない。
 恐らくこれこそが、院に導かれた自分の課題なのだ。
「含蓄のある言葉ですね」
 寝転んだまま猫の瞳を見上げ、クレハは疑問符を伴わぬ問いを口にした。
「案外、あなたも年寄りの口ですか」
「かもな」
 院最高位の騎士と称される男は、幼い風貌に似合わぬ動作で軽く肩を竦めた。
「じゃ、年寄りの説教は終わり」
 言うなり“白”は、彼を呼ぶ養い子の声に従い去った。クレハの最も親しい風がそうであるように、引き留める間もなく、唐突に。
 だからと言ってクレハの傍らが空いたわけでなかった。近付いた気配を感じたと同時に、代わって頭上を覗き込んだのは、同じ教室に所属してもう三学年分の付き合いになる、真実若い男だ。
 酷薄な色の眼が細められ、彼は無遠慮にクレハを見下ろしたまま口を開いた。
「お前、そうしているとほとんど保護色だな」
 まったく姿が見えなかった、と文句を言う彼が頭に乗せた大きな帽子の為に、クレハが独占していた空はすっかり覆われて、見えなくなっていた。第一、言われるほど緑色ばかり纏っている訳でもないから、偏に相手の視力の問題だろう。
 そんな事をちらりと思い、けれど唇がふと乗せたのは別の言葉だった。
「成程、ナルナルはさしずめ、修理工だね」
 好まぬ呼び名と意味の分からない単語と、どちらにか、或いは両方に、彼、ナディルヤードは顔を顰めた。
「なんの話をしている」
 左耳から提げられた大きな耳飾りが疑問に揺れ、けれどクレハは応えなかった。
「それとも気長に延々と水を注いでくれてるのかな」
 自分にそう思わせる程度にナディは人が好い。同級の面々に告げれば恐らく八割方が否定の意を示すだろうけれど、これがクレハにとっての真実だ。
 彼が友であってくれるならば、何時か穴は埋まるかも知れない。クレハはそう思えた自分に微かに驚き、それでも良いと思った。勿論、修理工の腕前には幾らか不安があったのだけれど。
 通り抜けた風が帽子の裾から檸檬色の髪を引き出して、空の代わりにクレハの世界に明るい色を添えた。