戦う受験生
緊張を孕んだ静けさの充満する部屋の外壁に、鐘楼から聞こえる穏やかなチャイムの音が響いた。
拍子にほぅっ、と誰かから零れた吐息に鋭い視線が突き刺さり、彼、か彼女は慌てて机に向かい直した。直ぐに静寂が舞い戻る。
ここは選ばれし者たちの集まる場所。彼らに休息はない。何故なら──
がたり、と一人が腰を下ろしていた椅子から立ち上がった。淡いクリーム色の毛がほうぼうで絡まっているのを気にした様子で、先程から何度か落ち着きなく身じろぎしていた彼だ。彼は真っ直ぐに部屋の中央を進み、年の頃はそれほど変わらないように見える青年に、手にした紙を差し出した。
それを手に取った青年の俯かれた横顔に、くすんだ金の髪が、頭に巻き付けられた目の覚める白布から少し零れ落ちた。
その視線が、直立不動で立ち尽くした彼に返される。
「──スィフィル・クロス、お前、これだと単位落とすどころか退学だぞ」
「あああっ、せやろなぁぁ」
泣き崩れるのは一瞬だった。
密かに様子を窺っていた周囲も落胆した風にため息を落とし、また自分の前に存在する問題用紙に舞い戻った。
断じた方は、むっとした顔で次々にスィフィルが解いた──つもりの問題を採点し、間違いの激しい部分にヒントを書き添えていく。
そう、ここはカイ教師による恩情、定例試験直前の補習教室である。
スィフィルが問題を突き返された後に、シィンが立ち上がった。
「カイ教師、お願いします」
彼は定例試験用の問題と別に、上級認定試験の為の練習もさせて貰っていた。その二つを差し出す。
「……良くはなっている。が、応用問題に弱いのが致命的だな。練習で最後まで八割も取れないようなら、今期は認定試験受験許可を出さないからな」
「じゃ、八割取れば上級試験受けて良いんですね?!」
ぱっと表情を明るくした学生に、カイはしかし辛辣な一言を付け加える。
「その代わり、また落ちたら私の教室を追い出すからな」
ぐ、と喉の奥が詰まった音を立てた。
三期連続で上級認定試験に落ちている以上──次こそ大丈夫ですとは、断言できない。
「う、受ける事に意義がある、とか……言ったら駄目ですか?」
言ったそばから脂汗が流れる。
「教室の評判を下げるなよ」
顔も見ないで赤く採点された用紙と次の一枚を突き出され、シィンは肩を下ろし情けない声で返事をした。
シィンはこの教師に逆らえない。と言うより故国の英雄であるカイに心酔しているのだ。
しかも本人に知られている。
可哀相に、と様子を窺っていた周囲が思って、また自分たちの問題に戻った。
「遅くなりました〜」
脳天気な声と共に教室の扉が開いた瞬間、中の大気は緊張の微分子を大量に放出してざわめいた。
ルクティ教室のリート──と何故かその後ろに教室長イクス。
この少年、決して“文”部門において出来は悪くないのだが、何をするにしろどこか人より遅い部分がある。
「遅くなりました、ではない」
険悪そうな台詞が教師の口から飛び出ることで、教室内の緊張度は更に増した。
「これが実習ならばお前は仲間に多大な迷惑を掛けることになり、時によってはそれが失敗に繋がるのだぞ」
「はい。すみません」
ぺこり、と言う形容詞がぴったりの動作で頭を下げられ、カイはむ、と唸った。彼はフォウルでないから、『ごめんですんだら公安はいらない』だとか意地の悪いことは言いたくない。
とすると。
「──分かったなら、いい」
教室内に安心した風が流れ込んだ。
引き下がったカイは、後ろのイクスの方に視線を送る。彼は呼ばれる必要のない成績を維持しているのだ。
「あ、俺は付き添いです」
「付き添うな!」
とばっちり。
尚、この時教室の横を通りかかったルクティ教師が「楽しそうですね」とか呟いたことで、カイ教師との仲が更に険悪化したとかしなかったとか言う話は、また別の機会にするとしよう。
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