Your Temperature

 アタタカイ、と言う言葉はよく分からない。

 悲鳴をあげる間もなく、白金に彩られた頭が吹き飛ばされた。
 視界に残るのは見開かれたの瞳。モノトーンの世界で、その色彩ははっきりと世界を異にしていた。
 ただ一つのその色は、灰色に濁って見える湖へと消えていく。
 水面に波紋が広がっていく。色を呑み込んでいく、黒い波紋……。
 その光景を、ラメセス・シュリーヴィジャヤは沈滞した時の中で見つめていた。
 無言。
 言葉はない。
 あるのはただ、胸中に空けられた虚空の穴。
 底の見えない深淵へと呑み込む、空虚な世界。
 その空白の心を抱えたまま、身体が動いた。その身体は何の意志も持たないと言うのに──それ故にか──鮮烈で、正確だった。
 ぎっ。と軋んだ音がして、ラメセスの全身に血が降り注いだ。不可視の魔物の頭部が弾け飛び、塵に消えていく。それと共に一瞬の激しい熱さが過ぎ去り、冷え冷えとした感覚だけが後に残る。
 そのまま剣を投げ捨て、ラメセスは水の中に向かった。
 荒々しく踏み込まれ、色を失った水面に不規則な波が生まれる。
 焦っている訳ではない。脳裏にちらりと浮かんだ単語を直ぐに振り払って、ラメセスは出来うる限りの冷静さで、しかし苦々しく自覚した。
 ただ──ただ──
 次に踏み出した一歩で、ラメセスの身体も深い水中へと落とされる。その瞬間に体勢を入れ替え頭を底へ向けると、指の一本も動かすことなくラメセスは沈んでいった。
 静かに、ただ薄闇に塗り潰される世界が広がっていく。地鳴りのような低い音が寄せては返る。
 冷気に肌が痺れる。
 五感が研ぎ澄まされる。
 仄暗い水中に輝く光が生まれたのは一瞬の出来事だった。先程見失った白金の髪が揺らめき、近付いたところで、ラメセスは眼を剣呑に細めた。
 『蛇』だ。
 暗闇に支配された水底に、地上へ蠢こうとしている『蛇』がいると。
 そう思ったのは、理屈と言うよりも本能に近い。
 すぐ傍まで近付いた細い首に腕を回すと、ラメセスはその身体をしっかりと引き寄せた。
 ざわり、と冷気とは別の刺激が生まれた。目前にしていた馳走を浚われた怒りか、『蛇』が頭から食らい付こうと昏く巨大な口を開ける。
 その期を逃さず印を切った。
 瞬間に力が凄まじい勢いで膨れ上がり、爆発した。
 水中で轟いた爆音に、死んでいた湖がぶわりと揺れ動く。振動が衝撃と化して全身を打ち、中にあった異物を吹き飛ばそうと襲いくる。
 ラメセスは上体を起こしただけでその流れには逆らわず、腕に抱えたものだけを放さないよう意識していた。
 瞳の端に四散していく『蛇』が映った。
 と、空気が顔に触れる。
 灰色のペンキで塗り潰された空に、漂白された太陽が浮かんでいる。その光景を水に浮かんだ不安定な状態で眺めてから、ラメセスは岸辺に向かった。
 服、そして服が濡れてまとわりつく肌の上を水が滑り落ちていく。
 陸に足を付けたところで、抱えたままだった身体が呻き声をあげた。白金の髪がラメセスの腕にまとわりつき、水の流れを作っていた。
 名前を呼んだ。
 その言葉だけが真実のものであるように。
 血の気の引いた頬を肩に乗せると、盛大な息を吐き出た。そのまま暫く咳き込み、暫くすると落ち着いた呼吸を取り戻す。
 極限まで冷え切って強張った身体に、僅かな熱が移った。
 相手に移った熱が、重なり合った場所からはっきりと伝わってくる。ラメセスはそのことだけを感じていた。

 嗚呼。もしかすると
 こういうものなのかもしれない。

 微かに睫毛が震う。この濁りきった世界でただ一つ澄んだを思い起こさせるあの瞳が、白い瞼の縁から覗いた。
 青褪めた顔にゆっくりと血が甦る様を、の瞳が見据える。
「お前は、アタタカイな」
 応えようとしてか吐き出された息は、彼の体温を直接伝えてきた。