いつか全てを忘れてしまうのだろう
忘れない、と誓ったその言葉は嘘でなかった。
「休みが欲しい──?」
友人が繰り出す我が儘には、長い付き合いで耐性を付けられた。
それだから、サイファは一旦相手の台詞を自分の口で繰り返すと、そのまま自らの仕事に戻った。
「いや休みって言うより、一日代行ってだけ」
無視するなよ、と拗ねた様子に仕方なく向き直る。
天を写し取った瞳が、猫目石を見据えた。
「“白”代行を誰にさせる気だ? フォウル」
「お前」
院最高位の騎士はぬけぬけと言い放った。
刹が院に引き取られたその日を、フォウルはかの少年の誕生日に決めていた。本人にも分からなかったその記念日を、フォウルは神聖なものに変えたのだ。
勿論誰も本当の歳を知らないのだから、誕生日と言っても歳を数えることはない。そもそも自在に変わる時の流れにある“院”で、一年と言う明確な区切りを見つけるのは難しい。この記念日も、学舎に第二の学期が訪れてから三週期目と言う、そんな曖昧な──
ただ、自分に息子が、父が出来た日を祝う、それだけ。
「んで、刹が珍しく言ってくれたんだよ、欲しいもの!」
分をわきまえ過ぎた養い子の、それは確かに珍しい事。
「雪が観たいって、さ」
かつて院の天候装置をいじって雪を降らせた事もあったが、その時フォウルはカイから厳重な注意を浴びた。さすがに二度同じ事はしたくないらしい。
成程。それで休みを取って雪の見られる世界へ赴こうというのか。
それを叶えてやりたいと言う気持ちは勿論サイファにもあるのだが、気になるのはその点よりも。
「──白と公安の両職代行をしろと?」
今や刹はただのフォウルの養い子でない。院の秩序平穏を守る公安の職務に就いた、責任ある位の一人なのだ。
ああ、ばれたか。そう言って笑えるのはフォウルくらいのものだった。
雪。それは刹の故郷の景色だ。
と言っても少年はその姿を覚えていない──否、それもそのはず、幽閉されていた少年に判るのは、自分を閉じこめる寒さと暗闇と。
だからフォウルは雪を教えてやった。彼の生まれ故郷に雪という美しくも儚い記号を当てはめてやったのだ。
悲しみよりも、美しいものの記憶の方がいいだろうから。
思い出は、いつかすべての形を変えて……
「な、頼むよ。ルクは今教師だし、普通の院生じゃ駄目だしよ」
お前しかいないんだと請われて、どうしてそれを退けられよう。フォウルに甘い自分に自覚症状は充分あって、最終的に折れるのだろうとサイファ自身も思う。
「……わかった」
あの少年の孤独な過去を、いい記憶に塗り替えてやるんだな。そう続けようとして、止めた。そんなことは言わなくとも、やるつもりの相手だ。
現に、フォウルは出されなかった言葉まで汲み取ったかのように、任せろと応じたのだから。
忘れない、と誓ったその言葉は嘘でなかった。
でも、今が倖せだから。
過去に囚われてはいられない自分を、許してほしい。
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