the LAST WISH
一つだけ願いが叶うとしたら、なにを願う――?
「――って言われました」
少し困惑したようにも見える穏やかな笑みを浮かべ、リートはそう答えた。
院で一番ムードがあって女の子に受けが良い……とロアンが評する空中テラスで、いつもの四人は昼食をとっていた。リートが腰掛けたのは少し背の高い椅子で、宙に浮いた両足を所在なげに揺らす。
「結局、そんな話で終わってね」
イクスが補足し、ロアンの失笑を買う。レイヴは眼鏡の奥の理知的な瞳を一瞬リートたちに向け、直ぐに手元の分厚い本に視線を戻す。
「笑うことないだろ」
もうそんな反応にも慣れてしまって、別段抗議する必要はなし、したとしても態度を改める男でないのは判っていて。それでもリートへの配慮から、意地の悪い笑い声を挙げたロアンを窘めるイクス。勿論、ロアンが相手にすることはなくて。
それならさ、と横柄に減らない口を返すくらいだ。
「自分たちでも考えてみろよ、これで何回目の挑戦か」
十四回目です。
律儀に答えようとして、さすがのリートも唇を閉ざした。
あの日。院の決定機関「閣議」から、院を担う「“白”の後継者」として指名されて、それを承ける自信がない内に、詩乃──もう一人の「後継者」候補が現れた。
それで、辞退の意志は固まった。
けれども使徒はおろか対立候補の詩乃まで、その意志を受け入れてくれない。
最後の頼みとして、現在の“白:オナー・ホワイト”フォウルに辞退の念を告げて、とりなして貰おうとして──
もう十四回も失敗しているのだ。
「そのぉ、お忙しいらしくて、時間がないそうで、それで……」
言い訳じみた言葉の羅列が続き、当然ロアンがそれを見逃すはずもなく。
「フォウル様が忙しい、ね」
笑い声が漏れるのは仕方ない。
現に院の騎士“白”でありながら、その枠組みに捕らわれる事がないフォウルは、今まで一度だって忙しいなんて言ったことがなく。何時も面白いことがないかと教室に顔を出していたくらいなのだ。
多忙と言って、遠ざけようとしている感もあった。
リートの瞳が微かに揺れ、伏せられる。
まさかそのフォウルが、詩乃とリートが争うようにけしかけているとは夢にも思わないリートにとって、フォウルに嫌われているとしか思えなくて。
人に嫌われることを何より恐れずにいられない少年。
彼にとって、敬愛する人に嫌われることは最大の衝撃で。
元気をなくした後輩の姿に、イクスが憮然としつつ非難の眼差しをロアンに向け、奔放な双子の片割れは少し口調を和らげる。
行儀悪く、フォークの先でリートを指してはいたけれど。
「で、何て答えたんだ?」
聞かれたことが突拍子もないものに思えて、きょとんと顔を上げるリート。
「だからさ、もし願いが叶うなら、何を叶えてもらうんだ?」
ようやく合点して、リートはふんわりと綿菓子のように微笑んでから口唇を動かした。綺麗に紡がれる言葉。
「すべての世界の人々の心に、平和を」
彼らしい、言葉。
ロアンは何だか眩しいものでも見るように、ほんの少し目を細めた。が、それは一瞬のことで、直ぐに曖昧なチャシャ猫の笑みを浮かべると、イクスの願いを白状させにかかる。
そして──
「故郷の家族が心配しませんようにぃ? ……七夕のお願いか、そりゃ」
多分、思いも付かずに、本当にその瞬間に思ったことを口にしただけだろうけれど。
平和な願いに肩をすくめる。
「タナバタって、なんですか?」
「五節句の一つで、天の川の両岸にある牽牛星と織姫星が年に一度相会すると言う、七月七日の夜に星を祀る行事だ。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に唄や願い事を書いて──」
レイヴが淡々と説明している間、馬鹿にされた格好のイクスは、自分でももう少し気の利いた願いはなかったものかと反省していただけに、すこぶる気分が害され、ロアンに逆に問い返す。が、その答えは。
「叶う願い事の数を増やして貰うに決まってるだろ」
酷く現実的にかわされ。
ではレイヴの願いはと言うと、誰にも彼の口を割ることは出来ず。ただリートだけが微かに動いた彼の口唇を、読んだ。
「何をしているんだ、奴ら」
四人の様子をちらりと盗み見た詩乃の姿に、ラメセスは唇の端を少し持ち上げた。普通に接していてはおそらく気付かないほど微かな、左右非対称の微妙な表情。
「あ、いや──その……敵情視察だ」
誤魔化す意図があらわな咳払いなどしながら口籠もる詩乃を見ると、彼は意外とあの輪の中に入りたいのではないかと、ラメセスはそう思うことがある。
リートに掻き立てられる敵愾心と、己の自尊心からそうできないだけで。
もっとも、それをわざわざ指摘する気など、欠片もない。
「一つだけ叶う、か」
先程リートが言っていた話を思い出し、詩乃は眉根を寄せた。
意図が見えない。
「あの男の言うことに、意味などあるか」
何事においても否定的なのがラメセスと言う男だ。
一瞬で切って捨てられ、む、と唸った詩乃は手持ちぶさたに指を組んだ。
「ラムスならば、何を叶えてもらう」
「先に答えろ」
再び間髪入れず切り返され、細い首を傾げる詩乃。否、考えているのだ。果たして自分の真の望みが何なのか。
彼に答えは出せない。
「──無理だな、信じられん」
暫くの間の後、そう詩乃が答えた。
何でも願いが叶うなんて、そんなこと信じられない。そんな不確かなものに頼るのは弱い証拠だと、そういう事ではないかと。暗に巡らせて、透き通った瞳で語ってくる。
「ふん……リートに勝ちたい、じゃないのか」
予想と違ったか。
ラメセスが感想を述べると、詩乃は器用に半月の眉を片方だけ跳ね上げた。何か気に食わない事があると出る癖だ、とラメセスには分かっている。
「私は実力で奴に勝のであって、願いだとか言う曖昧かつ非現実的なモノで決着が着けられて良い訳があるか」
「あぁ、そ」
つまらなそうに聞き流すラメセスと、白熱する詩乃。実際、通常ラメセスは相棒の言っている事の七割は聞き流しているし、それでも会話が成立していれば、彼らとしては問題がなく。
第一、リートや“白”に関する話題は何度も繰り返されたことで。良く飽きない物だと感心する傍ら、フォウルに言い様に遊ばれている状態の詩乃に、苛立ちも沸き上がってくるから。――聞き流すしかない。
「――故に、奴が自分の力で私に立ち向かうのでなければ“白”の座は渡せんし、元より渡す気もない!」
詩乃の話の間、黙々と食事を続ける。それはいつもの通りの光景。
「それで……ラムスの願いは結局なんだ」
最初の問いにようやく戻ってくる。
ラメセスは詩乃の皿からくすねたスープを飲み干すと、物足りなそうにメニューを見据えて呟いた。恐らく、皆が考えているような願いとは一線を画す願いを。
「林檎喰いたい」
しばらく硬直していた詩乃が、ふと我に返ってみると、食事はいつの間にか済んでいたようだった。そして自分は何時こんなに食べたのだろうか、と悩んだらしいが……それはまた別の話。
少しでも役に立ちたいと思う。ただでさえフォウルには、内外に敵がいるから。
怠納されていた書類等を手に、刹が各所を巡っているのは、そう言う訳だった。
これまではルクティがやっていれば済んだこと。けれども彼は教師となり、代わって公安の任に就いたのは、優秀な院生でもなんでもない、只の子供の、刹。
初めは自分に回される仕事をこなすのに精一杯で、気が付かなかった。フォウルが、必要以上の負担を抱えさせられていることに。
『どうしておれに頼まなかったんですか!?』
悪戯が見つかった子供のように、ばつの悪そうな顔をしたフォウルに食ってかかると、彼は言ったのだった。
『これはオレの問題だしさ……それに刹、お前にも仕事あるしよ、まだ慣れてないだろ』
『ずっと――独りで?』
『あ……いや? 前はルクが』
そこでしまった、と顔を顰めたのが、今でも思い出せる。
『……フォウル様は、ルクティには任せて、おれには言ってもくださらなかったんですね!』
『いやっ、だってあいつが勝手にさ――』
『じゃあおれも勝手にやりますから!!』
怒ったのは、フォウルに対してではない。何時も自分より巧くフォウルの事を支えて、付き合いも長く信頼されたルクティへの嫉妬と、未だに気を遣って貰うばかりで、何の役にも立ってない不甲斐ない自分への、苛立ち。
刹にだって分かっている。
ルクティの後任に、周囲の反対を押し切ってまで自分を置いた意味。
それだけ、信頼されているという事実。
それでも……
その日の仕事を何とか切り上げると、刻は夜半を回っていた。
通称迷いの森に、知る人ぞ知るフォウルと刹の、ささやかな家。
「起きていらっしゃるかな……でも起きていらっしゃったら遅くなった事怒られて、また仕事隠されたり……寝てて下さらないかな……かと言って『ただいま』しないと気分を悪くされるし……でもフォウル様ってば、寝起き悪いし」
どうすればいいのだろう。
考えるまでもなく、中に入るしかないのだが。何とはなしに堂々巡りになった思考に躊躇われて、刹は家の前で止まっていた。
敬愛するフォウルが絡むと異常な精神状態になってしまう自分に、思わず溜息を漏らしてから、再び覚悟を決めて──しかし、ドアノブにかけた手を回すことが出来ない。
不甲斐ない自分が、嫌で堪らなくて。
「困ったな」
「刹!」
自分を叱咤しようと独り言を始めたのと、横手から声がかかったのはほぼ同時だった。
「──フォウル様?」
こんな時間に外で、何をやっていらっしゃるんですか?
そう言うつもりで開かれた口は、言葉を紡がなかった。瞬時に駆け寄って来たフォウルに抱き寄せられ、理解できたから。
「ただの入れ違いかぁ──よかった」
何度もそんなことを言われて。
この人は、やっぱりおれのことを大切にしてくれているんだ。
温かい気持ちを感じて、涙が零れた。本当は泣くとフォウルが困るし、自分でも女々しいと思うので泣きたくないのだけれど、自然と溢れてくる感情はどうしようもない。
背伸びは、止められない。でも、そんなこと必要なしに、ここに自分を見ていてくれる大事な人がいる。
「フォウル様ぁ……」
急に泣き出され、やはり戸惑うフォウル。
彼からしてみれば、まさかまた誘拐されたと言う事もなかろうが、誰かに苛められでもしていたら大変だと思って、空きっ腹を抱えて刹を探して。やっと見つかって安心すると、途端に泣き出されて。
これではフォウルが父親気分になるのも無理はないのだが。
でも。
「おれ、倖せです。凄く今、嬉しいです。ずっとこうやって、暮らしてたいです」
それを聞いて、フォウルはふいに優しい眼差しを見せた。他の誰にも向けられることはない、刹だけが独り占めするフォウルの、表情。
「それが、お前の願いか」
泣き縋る刹の頭を憮ぜ、フォウルはある一つのことを誓った。
彼は喚び、自分は還る。
この関係は、永遠に変わらなくて──
「そう言えば、フォウル様本人の願いって何だったんだ?」
後日、それに思い当たったロアンがリートを掴まえて質問した。
「え? なんでも『世界征服だ!』とか言って、刹さんに怒られてましたよ。『仕事を増やさないで下さい』とか言われて、怖かったです」
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