美人じゃない

 彼女は美人でない。
 なにせ眼は垂れがちで中心から離れすぎているし、センスのない丸縁眼鏡が乗せられた鼻の形だってお世辞にも良いとは言えない。大笑いしたらそのまま飲み込まれるんのではないか、と周囲が思ってしまうほど口が大き過ぎる。
 収まりの悪い巻き毛は量が多すぎ、そしてふくよかと言うにも限度のあるその体型。
 そう、彼女は美人ではない。

 だからと言ったら奇怪しいが、彼女が“院の姫”と呼ばれる人であるとは、告げられた当の本人も信じなかったのである。


「……はい?」
 半分ずり落ちた眼鏡を煤で汚れた指先で押し上げると、数テンポ遅れて彼女は間の抜けた声をあげた。
「あの、冗談ですよね?」
「なんでンな冗談言わなきゃいけないんだよ」
 強張った頬で笑って見せた、その拍子に少し怒っているようにも見える猫眼と眼が合い、身体がびくりと強張る。
 正直な話をすると、彼女はオナー・ホワイトと称えられる彼、最高位の騎士フォウルの眼が苦手だった。
 それは説明できる類でも理由がつくものでもなかったが、強いて言えば生理的な嫌悪感だったのだろう。彼女にとってフォウルの、人の顔でありながら猫のものと酷似した瞳が埋め込まれている様は、見ていて気持ちの良いものではなかったのだ。
 そんな思いを知ってか知らずにか、フォウルは彼女が嫌だと叫びたくなるほど眼を合わせてくる。彼女が微妙に視線をずらしたいのだとしても、フォウルにしてみれば眼を見て話す方が落ち着くのだろう。
 数回無駄な追い掛けっこをして、彼女は最終的にぎゅっと眼を瞑った。
「おい──」
 怒ったような困惑したような雰囲気が入り混じった声がして、フォウルが瞼の前で手を振ったようだった。彼女がそれに反発して益々きつく力を込めると、結局役に立たなかったその手で頭を掻いたようだった。
「あのさぁ、何がそんなにヤなんだ。そんなに姫に任命されたくないのか?」
「だってわたし、美人じゃないし……」
 呆れ返っているかと思ったのに、意外にも真剣な調子で問うてくるものだから、彼女は眼を閉じたまま素直に答えてしまった。
 言ってしまってから、なんて詰まらない事を答えてしまったのだろうと、彼女は罵倒される覚悟で身体を竦めた、が。
「そうか」
 あっさりと頷かれた気配に、彼女は思わず眼を開けた。
 自分でも随分とどうしようもない事を言ったとは思っていた。しかし、取り合いもせずに流されるとは思っていなかった。
「まぁ、実力に自信ない訳じゃなさそうで安心だな」
 フォウルはもうその話題から興味を失った様子で、未だ床にへたり込んだままの彼女の周囲に積み上げられた本の山を興味の薄そうな視線で眺めている。
 そんなんじゃない。
 彼女は言葉を見付けられず、口の開け閉めを繰り返した。
 自分の能力に自信なんてあるわけない。学生時代の成績を見返すことも出来ないのだ。初級生の頃は何時も奇跡的に落第を免れて「奇跡の女」なんて響きだけは良い渾名を受けた。今も何時追い出されるかと肝を冷やしつつ末席に位置し、図書整備程度しかこなせない駄目院生、それが彼女だ。
「む、無理……」
 やっとの思いで絞り出した声は酷く掠れてフォウルの耳には届かなかったようで。
 自分ではどうしようも出来ない感情の高ぶりに、分厚いレンズ越しに見える世界がぼやけた。見下ろしているフォウルの表情も、よく分からない───
 と、彼の手が頭の上に乗せられて幾度か髪を梳いた。思いがけず、優しく、暖かいその行為。
「お前が世界に選ばれたんだ。間違いない。無理じゃない」
 ゆっくりと言い聞かされるその言葉に、あれ程反発していた心が落ち着いてくる。
 落ち着いてみれば、随分と下らない事で感情的になった自分を恥ずかしく感じられる。例え自分ではどうにもならないと思った事も、それが世界の意思ならば受け入れるべきだ。
 他でもない自分が、曲がりなりにも院生として生きる道を選んだのだから。
 それでも素直に頷く事だけは恐ろしく、熱がひかない鼻の頭を隠す意図もあって床を見つめ続けた彼女の頭がつと後ろへ引かれる。その拍子に眼鏡がずれたまま正面に持ち上がった顔を見て、フォウルは笑った。
「あ〜あ、美人じゃないなぁ」

 その口調はなんだか優しく、彼女はまた目元が熱を帯びるのを感じながら頷いた。