いざないびと・ウル
【設問】
才能ある若人を“院”へと導くスカウトとは、いかなるものか?
【回答例】
ウル・ディディ・ホンジの場合
休日の街は人で溢れていた。その角に生まれた、一つの人だかり。
「さて、皆様お立ち会い」
男の片腕が大きく円を形作り、その上に深紅の布が広げられた。
布を引く度に、花束やら万国旗やらはとやらウサギやら、果てはどのような仕掛けになっているのか、腕の輪にも到底入りきらないだろう大きなテディベアが掴み出される。
その度に観客から大きな拍手と、感嘆の声が沸いた。その音がまた、更に行き交う足を止めさせる。
「それでは、最後にこちらを」
期待に満ちた表情に向かって大仰な仕草で、自分の指から大振りなリングを外す。光を浴びて煌めくそのリングに、人々の視線が集まった。
一人の老人に色とりどりの紐を見せ、好きな色を選ばせる。老人が選んだのは赤い糸だった。それを目印としてリングに結びつける。
幾人かの人々には直接その手に乗せ、形を確認させる。
それは細糸が幾重にも絡まった金細工に、翼の意匠が刻まれたリング。男の指に填められていた時にはそれ程注目に値するものでなかったのに、こうして見れば不思議と惹き付けられて止まない美しさがある。
辺りを固める輪を一巡して、男はリングを自らの手の上に戻した。
と、次の瞬間驚きに眼が見開き、小さな悲鳴までが上がった。
赤い糸を引く小さな煌めきが地面へと落とされ、そのまま道に穿たれた穴──それは街の地下に張り巡らされた水道へ続くものだが──へと吸い込まれていった為だ。
「おや、落としてしまいました。ですがご安心を」
観客たちへ空の手を見せながら、男が一人の少女の正面に進み出た。彼女の手を取って引き寄せると客の方を向かせる。
とん、と頭が腹の辺りに当たり、少女の胸がどきりと高鳴った。その小さな胸のポケットに、そっと手が差し入れられる。
大きい手の、長い指。
すぐに引き抜かれたその手にあるのは、先程の美しい輝きを放つリング、そして結びつけられた赤い糸だった。
ゆっくりとそれを周囲に示す。
一瞬の沈黙の後、大きな歓声があがった。惜しみない拍手に応えて、男が不敵な笑顔で大きく手を振る。
それで出し物は終わりだと判断した人々が立ち去り、瞬く間に輪は消えてなくなった。
この辺りは駆け出しから手練までの大道芸人が妙技を見せる、いわば技術お披露目の道だ。それだけに、人々の反応もショーの間は熱いが、それが終わればこうして他の場へすんなりと抜けて行く。
男も慣れた様子で、軽く口笛を吹きながら簡単に辺りを片付ける。
自らの手が取り出した品々を抱え、腰を伸ばしたところで男は笑みを浮かべた。
リングを取り出すのに手伝って貰った少女が、そこに立っていた。視線が自分に向いたのが分かると、嬉しそうに声を上げる。
「あなたの手って、凄く大きなポケットみたいね!」
軽く眼を細めた男に、少女は己が感性が捉えた光景を説明する。
光の粒子が指に絡み付き、次元を切り裂き他の世界からリングを引きずり出す。その先は色のまるで洪水のようにも見えた。
それは次元と次元を繋ぎ合わせた、空間を制御した際の煌めき。
「ね、そうでしょ!」
目の当たりにした不思議の技に、少女は頬を上気させる。
人々が仕掛けを見破れなかったのも当然だ。彼は布の中からではなく、その指の間に生み出した異次元の扉から品々を取り出していたのだから。
ふと、男がただ黙っていることに少女が不安を覚えた頃、男は、少女が意外に思うほど穏やかな声で告げた。
「大正解。でも他の人には秘密にしてくれよ。仕掛けがバレちゃうだろ?」
リングに未だ結び付けられていた赤い糸を摘んで、男はそれを少女の細い首に回した。約束にね、と言葉を添える。
そんなに言われなくても秘密の事を言ったりしないのに、と少女は思ったが、それ以上にリングを手に出来た事が嬉しくて直ぐ顔を綻ばせた。
「あたしも出来る……?」
「練習すればね」
答えて、男は糸を結び終えると少女の肩を両手で軽く叩いた。
ぴょこんと、そんな形容詞が似合う仕草で少女が勢いよく振り向き、満面の笑みをたたえた顔で先程の男のように大きく手を振った。
「ありがとう! ばいばい!」
「また」
手を振り返して、男も優しく微笑むと少女を見送った。
そう。時が来れば、再び出会うこともあるだろう彼女を──。
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