日が地表へ落ち行く中、対峙した一人、鍛え上げた腕を窮屈そうに組んだヨアヒムが首を振った。
「いくら蔵人の頼みでも、それは聞けないだら」
「そこを曲げてなんとか」
言って頭を下げたのは、日本刀を腰に下げた若き剣客、犬神蔵人だった。腰から頭まで真っ直ぐに芯の通った、美しい所作で礼を尽くす。アナスタシアならば是も非もなく頬を染め、ウルならば育ちの違いにたじろぎ、飲み込まれて許諾しそうな静かな強さだ。
しかしヨアヒムも、この件に関しては強情であった。
「だめだら」
蔵人は交渉の余地を探し窺う視線を投げかけた。
日本人にしては長身の蔵人だが、それでもヨアヒムのほうが数寸高い。自然、いささか凄みのある上目使いになる。
「……どうしても、聞き入れていただけませんか」
低い、空気を苦悶の波紋で震わせるような声だった。
ヨアヒムもそれを受け、押し殺した声で応えた。
「俺の大事なハニーだら。渡すわけにはいかないっち」
にわかに蔵人は顎を引き、哀願する表情を捨てた。
「いいえ、ハニーはヨアヒムさんの物でありません」
日頃、人前で感情を顕わにすることを慎んでいるためか、仲間内では押し切られやすい蔵人だが、自分の把握する事実関係についてならば、案外はっきりと物を言うのだ。
なるほど、二人が議論する対象は、個人の所有物と言い難い。
そして、正論に屈するヨアヒムでもない。
「運命の出会いを感じたっち。びびっと来たモノ勝ちだら」
正義とは論の中にあるのでない。ヒーローの直感の中にあるのだ。
だが対する蔵人も神殺し一行の良心、常識の鬼。
「違います、そもそもハニー自身は私の」
「蔵人さま!」
その時、続く言葉を攫い、茂みから飛び出したのは某国の皇女アナスタシアである。ヨアヒムの背を踏み切り板に見立て、軽々と二人の距離を跳び越えた彼女は、抱き付かんばかりの勢いで蔵人の腕を取った。
「ご安心下さい、アナスタシアは蔵人さまだけのものですわ! きゃっ、言っちゃった。でも蔵人さまだって、私のいないところでハニーだなんてお呼びになって――」
御丁寧に「きゃっ」の部分で、夕陽とは別の要因で染まった頬に手を当て、身を捩る。
その様を呆然と見つめていたヨアヒムだが、彼の第六感が指摘することに従い、指先で小さな背をほんの少し突ついた。
「アナスタシア」
瞬間、剣呑な色に変わった視線が振り返る。
「なによ」
ヨアヒムは至極真面目に、手にしたものを差し出した。
「はにわの話だらよ」
示したのは、最近お気に入りの新しい鈍器、太古の熱い血潮を今に伝える戦士、はにわのハニー君である。気が遠くなるほど長い年月を経て犬神の大地に甦った今、二人の男に所有権を巡って争われることとなり、その表情は土作りながら照れて見えないでもない。
それが、マジで蹴りを入れられる五秒前の出来事だった。
人々の身代わりとして、偉い人と一緒に埋葬された巨大なはにわ。その胸の奥には自己犠牲の精神と、千年以上前に亡くなった主君への忠誠心が、今尚赤々と燃え続けている。
犬神の里滝へ進む道で拾得
2005年1月3日初出