天の響

02:邂逅

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「すごい……!」
 少女の純粋な感嘆の声がして、助かったのだ、とロイドはそれを実感した。同時に恥ずかしくなり、自分も慌てて剣を腰の鞘に収めた。但し、男と違ってロイドは二刀を。
 興奮したジーニアスが両手を広げ、未だ声変わりする前の高い声を上げる。
「めちゃめちゃ強いよ! あのおじさん!」
 同意を求めるように顔を覗き込まれ、ロイドは口籠もると咄嗟に反対の方向へ視線を落とした。
 格好悪いな、と思ったのは正直な気持ちだった。守ろうと思い剣を抜いたのに、自分自身が別の者に助けられていたのでは、どうにも格好が付かない。何時もなら称讃の声を浴びるのは自分だった。それを奪われた子供らしい妬みもある。
 だがロイドはこうも思った。後れを取ったのは、人と戦うのが初めてだったからだ。次は負けない──。
 その時、初めて男が身体ごと振り向いた。下がっていたロイドの眼に飛び込んだのは。あれは……
「無事か? 無事のようだな」
 エクスフィア?
 男の手の上で煌めいたそれは確かにエクスフィアだった。
 成程、そう思えば男の超人的な動きにも納得がいった。エクスフィアは装着者の能力を最大限まで引き出す魔法の石だ。しかし、とロイドは無意識の内に唇の端を噛み、左手の甲に触れた。白い布を巻き付け隠したその下には肉と違う硬質の感触がある。
 条件は同じ事。自身もその手にエクスフィアを宿しているのだから。
 少女の祖母ファイドラが、おおと嗄れた声を上げた。礼を失した事を恥じるように、杖を支えに不自由な足を引きずり近付く。
「神子を救って頂き、御礼の言葉もありませぬ」
「……成程」
 男が頷き、ロイドは不意に彼がただ真っ直ぐ傍らの少女を見ていた事に気付いた。
「この少女が今回の神子なのだな」
 崩れゆく世界を再生する旅に出る為、世界でただ一人天使に選ばれたマナの血族。
 その称号と共に生まれ落ちた少女は、弾かれたように顔付きを変えた。
「そうだ! 神託を受けないと」
 少女は白い礼服の裾を揺らすと、真っ直ぐ祖母に向かって言った。
「おばあさま。私はこれから試練を受けて参ります」
 あ、まただ。とロイドは思った。優しい性質故かどちらかと言えば鈍重な印象を拭えない彼女が、こんな時ばかりはロイドの知らない毅然とした面持ちで、彼女だけしか成し得ない使命に向かっていく。
 今日は神託の日。だからだろうか、親しんだ少女が遠くへ行ってしまいそうな気がするのは。祭司長の死を見届けた時にも、今この時にも。自分だけが置いて行かれる。
「な、なぁ!」
 聖堂に向かって一歩踏み出した少女の背を、ロイドは思わず呼び止めた。呼び止めてから、掛けるべき言葉が見当たらない頭の中は、瓶に貯めた水を掻き混ぜたようにぐるぐると回る。
「試練って、なんだ?」
「魔物のことだろう」
 ようやく出した問い掛けに答えたのは、しかし少女でなかった。
 改めて耳にした男の声は随分と深みのある低音で、もしかすると想像以上に年上なのかも知れない。
「聖堂の中から邪悪な気配がする」
 言われてロイドは聖堂の入口を凝視したが、男の言うような気配は感じられなかった。本当の事なのかと正直疑念が走ったが、それはファイドラの同意の言葉で掻き消された。
「その通りじゃ。神子は天からの審判を受ける」
 ジーニアスが何も口を出してこないところを見ると、或いはマーテル教の教典に記されているのかも知れない。しかしある程度信じていても、敬虔な信者とは言い難いロイドがその中身を事細かに覚えている訳がなかった。
「しかし……」
 続けられたファイドラの声は力無く落ち、皆が老婆に目をやった。
「護衛に付くはずの祭司達は、ディザイアンの襲撃で倒れてしまったのじゃ」
 神子が世界再生を果たせば、悪しきディザイアンたちは封印されるのだと言う。やはり先程の襲撃は、それを恐れて邪魔をしに来たのだ。
 それにしても、神託を下す際、護衛が必要になるような魔物たちを送り込んでくる女神様とやらも相当意地が悪い。試練で命を落としたら何にもならないだろうに。
「それなら俺がコレットの護衛を引き受けるよ」
 コレットが振り返り、金髪を揺らした。目が合うと柔らかく微笑んで来る。
 ああ、何時もの彼女の笑顔だ。
 しかしファイドラは窪んだ眼を大きく動かし、ロイドの頭の上から爪先までをじっと見つめた。それから、嘆息のような声を。
「ロイドか。お前では心許ないのぅ」
 だからと言って、コレットを一人魔物の待ち構える中に飛び込ませる訳にもいかないだろう、とロイドは思う。それは正義感だとか使命感だとか言うよりも、人として当たり前の事だ。
「お前は」
 不意に男が割って入った。
「ロイドと言うのか」
「そうだけど……人の名前を尋ねる前にまず自分も名乗ったらどうだ」
 眼を細めじっと見つめてくる男の顔を、ロイドも初めてきちんと見返した。
 可笑しな話だが、自分と同じように人の顔をしているのだなと思った。それも端正な部類に入る。剣の腕に見合った、例えばあのディザイアンの大男のように盛り上がった筋肉がある訳でもない。眼光は流石に鋭かったが、紅いと思っていたその瞳も、よくよく見れば自分と同じ深い鳶色だ。
 まるで子供遊びのように凝視し合ったのは、実際には数秒もない間だったらしい。
 男が微かに唇を緩めた。
「私はクラトス。傭兵だ」