天の響

19:月夜

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 ロイドは夕餉に暖まった息を大きく吐き出し、燭台を手元に引き寄せた。
 灯、細工道具、水を張った桶、そして机の上に広げた大きな一枚から小片までの光が、揺れる炎の下で煌めいた。
 それは貝殻だ。
 勿論、細工に使う。
 ロイドとて、首飾りを贈ると約束したその時には本物の金や貴石を使うつもりだった。だが金の流通量はここ数年で驚くほど減った。シルヴァラント一の金脈があるパルマコスタは遠い。減った発掘量とディザイアンの襲撃が原因だろう。金の話題については日に日に渋くなり、時には細工の依頼を断る事もある養父に、どうして無心出来るだろう。だからと言って、折角の贈り物だ。純度の低い屑物を使いたくない。
 代わりに思い付いたのが、螺鈿細工の応用だった。
 先ずロイドは予め作ってあった銅の骨組みに手を入れ始めた。彼女の胸元は既に輝石が飾っている。ならば襟巻きのように首に巻き付け、輝石の上に被さる形に変えた方が使い易かろう。
 右手を振るう度、かつん、と乾いた音が鳴る。それは腰に履いた二本の鞘がぶつかり合う音にも似て、叩く拍子は何時しか駆ける呼吸と一致する。
 型が直されたところで、利き手に持つものは鎚からへらへと姿を変える。塗るのは特別な漆に銅や銀を混ぜて作った塗料。白金よりも優しく、金に薄紅を履いたような独特の色味がある。ドワーフ秘伝の配合で、乾くのも早い。
 今となっては、無理な背伸びで金細工に手を出さず良かったと思う。
 どんな魔法なのか、輝石を宿したコレットの胸には誂えたように黄金の台座が根を張った。だから金はもう良い。
 粉ほどに砕いた貝殻を、塗り物が乾き切る前に首飾りに乗せていく。
 金は大地の輝きだが、貝は星の輝きに似る。その二つの光で天使への道を進むコレットを灯してやりたい。
 それに海を見たことがない少女は、ロイドが昔お土産に渡した貝殻を大事に取っていたから、その煌めきも喜ぶに違いない。無論、再生の旅の間には海へ行く機会もあるだろうけれど。
 摺り合わせた指先から細かな光が零れ落ち、首飾りに宿されていく。全体が輝けるよう、満遍なく。
 心行くまで塗した後にも、用意した貝が足りなくなる事はなく、ロイドは胸を撫で下ろした。もしも充分でなく今から海辺へ足を伸ばす事になっていれば、明日に間に合わなくなっていた。
 ロイドは再び混ぜ物をすくい上げると、薄く薄く、二度三度と首飾りに塗り込めていった。
 輝きは塗りの下へと隠される。塗り重ねられた塗料で貝の凹凸が目立たなくなったのを確認すると、ロイドは新たに作業箱から道具を取り出した。持ち上げた手が次に握ったのは砥石だ。
 杓で掬い上げた水を細工の上に掛け、一心に研ぎ始める。力を入れる必要はない。繊細な細工が壊れてしまわぬよう、優しく丹念に手を動かしていく。
 研ぎ出していけば、空に輝く光が改めて灯の下に現れた。
 それは聖堂に現れた天使の纏う光よりも透明に美しく輝いて、コレットを天に導いてくれる。
 祭司達の説法の殆どを眠りの中で聞いていたロイドだけれど、その願いは本物だ。
 細工と向き合っていると、ロイドの心は次第に無に近付いていく。この世に唯一つ、作り上げるべき細工と自身だけが放り出され向き合っているように思う。コレットは祈ると言う行為を同じ言葉で表現した。だからこれが、ロイドの祈りだ。万と尽くした祈りの言葉よりも深く、その手に想いを込める。
 滑る石の下からは粗さのない潤滑な手触りが広がり始めていた。
 巾で水気と塵とを拭き取れば、そこには七宝や緑青の光彩も叶わぬほど鮮やかな彩があった。海面に映り込み反射した陽が凝固して出来た輝きだ。思わずほうと吐いた息に合わせ額から流れた汗を、手にしていた布巾で拭う。滑る汚れが肌の上に付着した。
 最後に取り出した貝殻は一際大きく真白い特別の一枚だ。
 彫り物用の小刀を斜めに、肩を押すようにして静かに滑らせる。
 重なる層の奥からは深い色合いが現れる。だが刀を進め過ぎてもいけない。貝の芯を傷付けない角度で、薄く、光が透けて見えるギリギリの所で力を抜く。輝きが一欠片となって、別の姿に変える。
 浮き彫りになった意匠は翼だ。コレットが天使として飛ぶための。
 ロイドはそれを、作り上げた首飾りの中央、丁度神子の輝石に覆い被さるよう空けたそこに、慎重に填め込んだ。計った通りにはまる。
 それは星々の煌めきを零しながら広がった翼の首飾り。
 ロイドは両手で持ち上げたそれを、何時しか差し込んでいた朝の陽に翳した。
 煌めきが指先から零れ落ちた。