天の響

26:手紙

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 乾いた風には、木の葉と土の香りが乗っていた。
 火の粉の爆ぜる音と、竜が時折立てる微かな鼻息が、まるで止まったようにも感じる時の流れをロイドに教える。
 イセリアを出て南路を進んだロイドとジーニアスは、残照が大地から消える頃、竜が牽くキャラバンと出会った。白い幌の裾が風に揺れている。車輪に巻かれた獣の皮は独特のてかりを持つほど摩擦し、既に経た長い旅路の跡を刻んでいる。
「旅業をしているの? 若いのに感心だこと」
 その竜車の留守役だと言う女性は、女神の説く教えに従い、旅する者への善意として、一晩の宿を二人に提供してくれた。
 勧められるまま、思えば自分にとっては今日初めてとなる温かい食事を口にし、疲れた身体を横にすれば、小さな親友はあっと言う間に眠りの世界へと誘われた。
 一方、同じ旅人として、ロイドが代わりに申し出たのは一夜の火の番である。
 体格の大きい竜は、いるだけで野の獣を威嚇する役に立つ。ゆえに野営と言っても、竜車の旅に警戒はさほど必要ないのだと説かれたが、この頃は魔物も増えてきていると言うし、何より、ディザイアンが何時自分達を追ってくるとも限らない。
 間の抜けた事に引き受けてから、昨夜も眠りについていない事を思い出したが、細工物の技は必要とされていなかったから、他に出来るのは肉体労働だけだった。それに、火の扱いも鍛冶場が教えてくれたロイドの得手である。
 そんなわけで、大人しい竜を傍らに、ロイドは火の番を始めた。生憎、ノイシュはイセリアにはない自分と同じほど大きな生き物を怖がって、車の反対側から動こうとしなかったけれど。
 揺らいだ火の中に、木片をくべる。
「ん……」
 冷たくなった鼻先を掻くと、左手のエクスフィアが火に照らされ光を零した。
 ふと思い付いて、養父が持たせてくれた荷を解く。研ぎ石でもあれば、剣の手入れが出来るだろう。
 野に出た以上、木刀だけでは渡り合えない魔物が現れる事もある。あの時傭兵が何気なく渡してくれた一本の剣は、期せずして彼と親友の生命を預ける道具となったのだ。
 開いた口からは、身一つで村を出た二人にとって宝となるだろう品がいくつも取り出せた。
「こんなモンまで入れてくれたのか」
 旅に欠かせない火打ち石や灯籠、エクスフィアの能力を高めるジェムはともかく、整髪に使う木蝋油まで用意されていることに、思わず声のない笑いが上がった。もっとも、収まりの悪い髪を持つロイドにとっては、確かに必需品であったが。
 黄ばんだ地図、着替え、手布、真新しい細工道具。旅の心得と記された書は、数ページ目を通したところで、頭痛が始まる前に仕舞い直した。
 荷のあらかたを改め、底に辿り着いた指先が、がさりと音を立てた。
「手紙?」
 掴んだのは、白い封筒。コレットからの手紙かと思ったが、混乱の中、あれを入れた記憶はない。
 ロイドは火に寄り、その灯りで手紙を照らした。油分を吸った紙が些かずれた形で折り合わさっているのを、ゆっくりと剥がす。
 途端眼に飛び込んできた、ロイドへ、と言う簡潔な呼び掛けと、一つ一つの綴りが大きい独特の文字は、養父のものだ。
「旅の心得は読んだか?」
 読書嫌いな息子への確認から始まった事に、思わず苦笑が零れる。
「ドワーフの誓いから代表的な言葉七つと旅に必要な知識が書いてあったはずだ。これでコレット嬢ちゃんをしっかり守ってやるんだぞ」
 必ず守るとも。
 ロイドは声に出さず誓いを復唱した。それこそが今は彼を奮い立たせる魔法の言葉だった。
 続けて細々とした心配事が書き連なれている。居間の机に向かってこれを書いたのだろう養父の背を想像すると、些かくすぐったい気持ちが沸き上がった。
「お前を拾い、育てるようになってから、もう十四年が経った」
 手紙の調子が変わったのはそこからだ。
「未だよちよち歩きだったお前は、俺のことを怖がって泣いてばかりいた。それが今じゃ立派な剣士になった」
 自分は未だ立派な剣士とは到底言えないし、泣いていたのは昔の話でないか、と火に因らず赤くなった頬を独り誤魔化し、ロイドは空を見上げた。
 昨夜とはうって代わり、星も月もない夜だった。行く先の見えない旅路は、厚い雲の向こうに隠されているのかも知れない。
 手紙の言葉は続いていた。
「人間ではない俺を親父と呼んでくれて、お前には感謝している」
 嗚呼、ディザイアンから狙われる危険を推しても、同族でない自分を救って育ててくれたのが養父だ。
 言葉は少なく、誉められる事など更に少なかった。
 けれどその情は常に自分に向けられていた。
「何時か、お前が一人前の男になったら、俺からプレゼントがある。そいつを楽しみに、しっかり戦ってこい」
 村には帰れなくとも、自分の帰る場所は、養父が造ってくれたあの家なのだ。二人で暮らして、自分が育った、あの家。
 そこで父親は、自分を待っていてくれる。
「親父……」
 寂寞とした言いようのない想いがロイドの肺腑を突き上げ、瞳から流れ落ちた。