天の響

犬の手も借りたい

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「ノイシュったら、すっかり君に懐いちゃったね」
 羨ましい、と言いたいのが分かる年相応の表情でミトスが言った。
 手招きする少年に、ノイシュは甘えた声で鳴くと黒い鼻面を擦り寄せ、大きな耳をゆっくりと動かす。けれどその円らな瞳が向いている先は。
「……当然、責任を取って捨ててくるのだろうな? クラトス」
 二人と一匹の瞳を向けられ、クラトスが視線を上げた。手入れの途中だった剣が拍子に動いて、白い光を零す。
 何かを期待するような微笑みを浮かべるミトスと、心底厭そうなユアンの顔を交互に見やってから、嗚呼とクラトスは嘆息した。
「なんだ、動物が怖いのか?」
「誰がそんな事を言った」
 不快感を顕わにして否定したユアンは、しかしノイシュがミトスとクラトスの間を行き来する度にマントの裾を引き寄せ、自身の一部分にでも触れさせなかった。動物嫌いでなければ、極度の神経質だ。
「面倒を見るくらいの責任は取るが、問題があるか」
 そもそも、怪我を負ったノイシュを見付け治療してやった程度の責任だ。
 所詮は通り過ぎ様の出来事。このまま捨て置いていっても良かったが、ミトスの言うとおりどうやら懐いてしまったらしいそれを引き剥がすのも、面倒な事だった。どうせ身の危険を感じれば逃げていくに違いない。
 それだけの理由だが、ユアンは納得しなかったらしい。
「動物に優しい貴様と言うのは、あまり様にならんな」
 皮肉か、侮蔑のつもりなのだろうかと一瞬考えてから、彼がそれほど陰険な性格でもないことをクラトスは思い出した。
 別段、動物が好きと言うわけでもないが。
 剣を手にしているクラトスに近付いてはいけない、と分かっているのか、ノイシュは大人しくミトスの横で座っていた。その耳だけがぴんと天に向かって立てられていて、彼らの話を聞いているようだった。
「嫌う必要もあるまい」
 打てば響く鐘のようにユアンが返す。
「今は戦争中だ。足手まといを連れている余裕がない」
 真面目腐ったその言い方に、思わず口元が歪んだ。
「成程、正論だ」
「もう、クラトスまで!」
 不安に黒い瞳を震わせたノイシュの首筋を撫でさすり、ミトスは本気なのか掴みきれない仲間たちのやり取りを遮った。
 表情一つ変えないクラトスと、ばつが悪そうに首を竦めるユアンに強い抗議の視線を送ってから、漸く表情を和らげたミトスは新しい仲間に笑いかけた。
「大丈夫、ノイシュも僕達の仲間だよ」
 少年がそう力強く宣言した言葉に被さるように、その時彼の姉の声が聞こえた。
「荷物持ちか──?」
 彼女の声に応じユアンが立ち上がるよりも早く、ノイシュが動いた。それは余りに突然の動作で、彼らは一瞬隙を突かれた。
 その間にマーテルの下へと移動したらしいノイシュを喜んで迎える声が、三人にも聞こえた。そして誇らしげなノイシュの鳴き声も、また。
「……お前より役立つようだぞ」
 地団駄を踏むユアンの姿を彼女が見なかったのは幸いだった。

2003/09/15 初出