天の響

コッペリア

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 女神を模した人形を作れ──
 至高の天使が朗々と命じた。その命に従うため、天使に従う男たちは一人の細工師を新しい工房の長に選んだ。
 細工師はそれから来る日も来る日も人形を作り続けた。
 眠れる女神の身の丈は細工師よりも頭一つ分高く、その身に宿す色は新緑。気高く優しい表情、そして優雅な所作。
 細工師は鎚を振るい続けた。世界を救う女神の為に、新しい身体を。それは天使に従うすべての者の望みだった。その思いを感じながら、やはり細工師は鎚を振るい続けた。
 最初、人形はただの置物にしかならなかった。硬質の身体が虚しく工房の中央を占めた。
 苦心して間接の仕掛けを作った細工師の努力が実り、やがて人形は首を回したり腕を動かす事が出来るようになった。改良を重ねるにつれ、その動きは自然になった。指の一本一本までもが自在に動かされるようになると、細工師は漸く額の汗を拭った。
 それから外見が整えられた。まず皮膚が作られた。人間やエルフと変わらない柔肌を作るため細工師は沢山の生き物を調査させ、満足のいくものを生み出した。機械仕掛けとは思えぬ柔軟な皮膚は、人形の表情を幾重にも変化させられる。
 次に人形には髪の毛が与えられた。一本一本大切に作られたそれが植えられると、人形はまるで本物の女性のように見えた。
 苦心したのは爪だった。結局一度手足のパーツを外し細胞を埋め込む事で、人形をより本物に近付けることになった。
 瞳には細工師としての心血すべてが注ぎ込まれた。初めに作られた美しい宝石のような眼球は、結局角膜の屈折率が正しく出来ず、作る端から破棄された。二度目のものは視神経と巧く連動しなかった。毛様体が働かない、黄班部の錐体細胞が死んでしまう──幾つも重なる不具合に細工師は必死になった。
 終いには自分が何の為に躍起になっているのか判らなくなった。
 ただ、この人形をより生きている形に、命あるものにする事だけが、細工師のすべてだった。
 そして遂に生命の源、母なる星の欠片マナで作り上げた瞳が人形に填め込まれた。新しい眼を手に入れた瞼がゆっくりと開いたその時、細工師はその瞳が確かに自分の姿を認めたのを悟った。
 完成だった。

 こうして細工師の作品が天使たちの前に運ばれた。掛けられていた布が取り払われ人形の姿が顕わになる。台座の上に寝かされた人形は呼吸していない事を除けば、ただ眠っている一人の女性にしか見えない。その姿を目にした途端、最高位の天使に従う一人が息を呑んだ。
 即座に青い髪の天使が立ち上がった。
「気分が悪い。私は席を外させて貰うぞ」
 手落ちがあっただろうかと細工師が驚いて見上げるも、至高の天使は何処か女神に似た美しい顔に薄い笑みを浮かべるだけだった。
「感傷か? まぁ、好きにすると良い」
 許しを得た天使はそれでもまだ不快感を見せたままマントを翻した。
 それを見送る間もなく、女神の心を人形に与える作業が指示された。細工師の仲間や白い羽根の天使たちは手順に従い大いなる実りから放出される美しい色のマナを人形に照射する。
 精巧な人形の中へと吸い込まれていくマナの光は、しかし溢れ出るようにして辺りに充満し出した。予想外の反応に周囲がざわめく。
 その中で台座の人形はまるで喘ぎのような仕草をとり、そして自然なやり方で瞼を開き──
「マ、スター。たスけ、て!」
 甲高い声が出た。
 照射が止められるのも待たず、細工師は転がり落ちるようにして人形の下へ駆け寄った。確かに音声装置は埋め込まれている。しかし心のない人形が自発的に声を上げる筈はなかった。だが女神が細工師をマスターと呼ぶ訳もない。愕然たる思いで瞳を覗き込む。
 そこには確かな意思の光があった。
 細工師の姿を認めると、酷く自然でありながら不自然なやりかたで頬が持ち上がった。
 まさか。
 背後で天使が立ち上がる衣擦れの音がした。細工師はただ呆然と、身動きすることも叶わず自らの製造物を見返していた。今、天使に面を向けることなど出来よう筈がない。
「……失敗のようだな」
 至高の天使の声には、失望の色があった。そしてそれ以上の言葉が発される事もなかった。

 細工師の魂を注ぎ込んだ最高傑作、余りに本物に近付け過ぎたその人形は、人の手を離れ意思まで宿してしまった。
 そして女神となれなかった哀れなコッペリアは踊る。
 何時か訪れる終わりの時まで。

2003/10/17 初出