天の響

光射す庭

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 おぼつかない足取りで歩く姿は見ていて飽きない──等と優しい事は言っていられないのが、この歳にして初めての子育てと相成ったクラトス・アウリオンの本音だった。
 正直、息子が歩き初めてから始まった心労はこれまでの比でない。転倒や転落の危険は勿論、自分で立てるようになった為に手の届く所が増えた。眼にした物は何でも口に入れてしまうのがこの年頃の子供らしく、常に一歩先を読み眼を光らせていなければならない。無論、追われる身で息子の一挙一動だけに気を配っている訳にはいかないのだが。
 幼子は、未だ頭が大きくバランスのとれない身体で、それでも懸命に両の足を前方へと運ぶ。時折上半身が大きく揺れたが、案外飲み込みが良いようでその度に体勢を立て直した。
 甘やかして育てる気は毛頭ないが、如何せん見ているだけで肝が冷える。幾多の戦いを経てきた自分が、今更こんな事で動揺するのは笑い話のようだった。
 確たる目的があって歩いていた訳でないのか、今度は急に立ち止まり足を投げ出した格好で地べたに座り込むと、落ちていた木切れを掴んで地面を叩いている。クラトスには理解出来ない行動だが、母親であるアンナに言わせればあれで遊んでいるらしい。
 時折確認のように左右を見回し、父と母と一匹を見付けては丸い笑顔を見せた。無邪気にはにかみ、美しい笑顔を向けてくるのはアンナに似たのだろう。
 そのまま見ていると突然、あー、と意味を成さない声を上げる。朝食を作るアンナの口元からも同時に鈴のような笑い声が立った。食材を脇に寄せ、幼子に向かって白い手を差し伸べる。すると、注意を引けた事が嬉しいのか子供は木材を放り、母親に応えるように両方の手を向けた。
 無愛想を自認しているクラトスだったが、まるで太陽の輝きが増すかのような二人の様子を眼にすると思わず頬が緩む。二人のお陰で、自分も忘れ掛けていた笑顔を浮かべる事が出来る。そして彼の空気が和らいだ事に気付くと、傍らのノイシュが便乗して甘えたように鼻を鳴らすのが可笑しかった。

父と母と子と犬と家族の風景

 どうか、この時よ永遠に。

2003/10/30 初出