天の響

墓参り

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 ──そうか、此処にいたのか。
 事の道理が分かり腑に落ちた時のような、胸の奥まで晴れる感覚があった。十五年間溜まり続けた澱みが足下から浄化されていく。
 足下に落ちた影が大きく伸びて、闇を呼び起こす。地上に最後の光を投げ掛けていた太陽が木々の中に沈んでいった。
 傭兵はらしくない錆び付いた動作で身を屈めると土の上に膝をついた。
 まだ手を伸ばしても許されるだろうか。指先が微かに震えながら、目前の石の表面をなぞった。しっかりと組まれた石を、細工師の腕前を感じさせる端麗な彫刻が飾る。
 それは墓石だった。
 最早生きて見える事の出来ない愛しい女性の名を刻んだ墓だった。
 あの日失ったと思っていた熱い想いが込み上げ、そして引いていく。
 何に感謝すれば良いのだろう。分からなかったが、酷く大きい畏敬の念に襲われ、自然と頭が垂れた。
 ──此処に、いたのだ。
 瞬間、繋がる指先から確かに振動を感じた。沈黙に浸されていた湖面にさざ波が走る。小さな揺れは始め緩やかに、やがて凄まじい奔流となって全身に伝播し震撼させる。その時、彼の心に巡らされた壁が壊れた。
 脳裏には忘れられない日々が蘇る。耳の奥に残る彼女の笑い声と共に。
 嗚呼、輝ける日々よ。決して帰る事は出来ないけれど、あの日に続く絆は未だ残されていたのだ。此処で守られ育まれていたのだ。
 生きたマナを持たぬ冷たい石が何処か温かくすら感じられて、傭兵は瞼を閉じた。
 人が世界を愛しいと思えるのは、つまりこんな時なのだろう。

2003/10/22 初出