天の響

殉教

フォント調整 ADJUST △ - ▽

 油断していたわけではない。となれば純粋に力の差だろう。異形のエクスフィギュアを前に戦くしかなかった子供たちは、確かな力を宿し帰ってきた。やはりあの日逃したのは失敗だった。それも、取り返しの付かない……。
 イセリア牧場の主フォシテスは霞む視界に目を瞬いた。改造を施した左腕が耳障りな唸り声をあげる。
 魔導炉に転落した彼が一命を取り留めたのは、皮肉なことに彼の敵が目的を果たしたからに違いなかった。魔導炉が稼働していれば、身体を流れるマナは根刮ぎ奪われ、狂える大樹へと送り込まれていただろう。
 そんな事を思いながら静かに首を巡らせたフォシテスは一点に眼を置く。
 まさかこういった事態を想定していた訳でなかろうが、魔導炉には緊急修理用の出入口がある事を思い出した。この建造物そのものは同僚であったロディルが推し進めた物で、正直構造を把握していた訳ではないが、自分の管轄内に置かれる以上はと設計図に目を通していたのが役立った。
 案外簡単に了承し、図面を渡してくれた今は亡き男に感謝する。或いは彼は、自分にそれが読み説ける訳がないと高を括っていたのかも知れないが。
 フォシテスの生まれはテセアラだ。ある程度の知識はある。もっともマグニスならば、あれは人は良いものの粗暴な男だから──と思うと、場違いな事に笑いが込み上げた。とたん、胸から脇腹に掛けて鋭い痛みが走る。流石に五体満足とはいかなかったようだ。
 慎重に隠し扉を開き、炉から傷付いた身体を引きずり出す。それが精一杯だった。
 思っていた以上に力は失われていたらしく、利かない右目の為に平らく映った視界が大きくぶれる。
 ──ユグドラシル様。
 同胞に一つだけ与えられた希望の御名を呟き、片手で壁にしがみついた。立てた爪が滑り嫌な音を立てる。
 ──ユグドラシル、さま……。
 もう一度その名に力を借り、フォシテスは崩れ落ちる膝をやっとの事で奮い立たせた。
 行かねば、と反射的に思った事に自問する。何処に、何のために進もうと言うのか。
 劣悪種でありながらマナの流れが違うあの不思議な男が言う通り、確かに自分は捨て駒だったのかも知れない。
 それでも良かった。
 たとえこの身は礎となろうとも、苦しみ足掻き続けた同胞たちが陽の下で穏やかに暮らせる日々を得られるならば、それで良かったのだ。クルシスに見出された時から覚悟していたのだから。
 それが惨めなものだ。命を投げ出す事ですら与えられた使命を果たせないのでは、理想を忘れ裏切り者に与した者たちを罰せられない。
 だが自分は未だ動ける筈だ。同胞の為に、今一度四肢よ動けと念ずる。
 呼吸する度に肺を刺す痛みに耐えながら、フォシテスは壁伝いに出口を目指した。
 その途中、事切れた部下たちの姿を見付けた。しかしその瞼を閉じてやるだけの余力もない。課せられた使命を果たす為、残される同胞たちの為、ただ一つの目的を信じて動かぬ足を前に運んだ。
 近付く出口から明かりと外気が流れ込む。
 話し声が、聞こえる──

2003/11/20 初出