「ねぇロイド、イセリアに寄って行っても良いかな」
彼女の申し出を拒む理由はなかった。
おそらく、少女の身体を蝕む奇怪な病について、天上の知識を伝えるドワーフを訪ねる事にした経緯を報告に行くのだろう。大切な本当の父親を安心させてやる為に。自分の事よりも他人の心痛を気遣うのは神子として生まれた彼女ゆえか。そんな風に思ったロイドは当然、それが彼女の家へ向かう事を指すのだと思っていた。
だが村に着いた彼女の足が向かったのは、血族の住まう土地でなかった。
「コレット、何処行くんだよ」
何処か抜けているところがあると言っても、自分の家まで忘れる事はなかろう。とすれば彼女の目的は家でない事になる。
緩やかな円みを描く金髪を揺らし振り向いたコレットは、思い掛けぬ名をあげた。
「村長さんのお家だよ」
「なんでだよ!」
思わずきつい声が出た。
イセリアは一行の半数にとって大切な故郷だが、村長と言えば村の外の人間を、ドワーフを、ハーフエルフを差別し貶める悪辣な男だ。村へ帰還した折りにも彼からは散々に罵られ、一行は深く気分を害した――もっともその御陰で和解出来た仲もあるのだが。彼女はそれを直には知らぬが、その後に起こった村人達の村長への反逆に感極まったジーニアスがあれだけ喧しく逐一を語ったのだ。責任を神子やディザイアンに押し付け、自身は何もしない男に、こちらから出向くべき用事があると言うのか。
信じがたい思いで見遣ったのを、彼女はどう勘違いしたのか嬉しそうに問うた。
「ロイドも一緒に来る?」
指し示された小屋は、村長の暮らす家だった。数度、悪戯の為に立ち寄った事はあっても中までは知らぬその家へ突入するのは、ロイドにとって学校の黒板の前に立つのと同じくらい敷居が高く見える。
「……いや、オレはここで待ってるよ」
追求をひとまず諦め、ロイドは自身の在処を示すため数歩下がった木陰に入ってみせた。
「うん」
頷いたコレットはその家の呼び鈴を鳴らし、些か強引な調子で中へ消えていった。
仕方なく、ロイドは自分が選んだ居場所に腰を下ろした。折しものんびりと歩み寄ってきた犬がひとつ欠伸をし、脇に座ったかと思うとロイドの膝の上に顎を乗せぐうぐうと眠り始める。
扉の向こうで何が話されているのか、ロイドには想像も付かない。これは何も勉強が出来ないからではあるまい。きっとジーニアスだって、コレットが一人村長に会いに行ったと知れば、眼を丸めて、それから――そうだ、怒るかも知れない。
昨日、世界再生に失敗し生きて帰った神子が今後晒される逆風についてリフィルたちが語った事をロイドは思い出した。
コレットの身は、内に抱えた病に限らず、今も決して安全を保証されたものでないのだ。
ぎょっとして立ち上がった足の下で、枕を失った犬はごろりと寝返った。
「お待たせ、ロイド」
行きと変わらぬ笑顔のまま彼女が帰って来たのはその時だ。
「あ、ああ……」
想像に勢い込んだ拳を、慌てて隠す。
皆との集合場所に戻ろうと言うコレットを三秒見つめ、結局ロイドは疑問を顕わにした。
「何を話して来たんだ?」
問えば、彼女はええとね、と一つ一つに指を折り語り始めた。
「この間の地震で東側の葡萄棚と、フュステルさんのお家が崩れちゃったんだって。大変だから、男手を集めて貰えるようにってお父様が」
ロイドは首を振った。
そんなもの、わざわざコレットが行かなくても良い用件だ。時と共に進行する病の身で、わざわざイセリアまで足を伸ばす必要はない。
「コレット」
名を呼んでやれば、彼女は折っていた指を広げ陽光のように微笑んだ。
「それから、村長さんには村のお仕事があるんですよって教えに行っただけだよ〜」
「コレット……」
彼女はどうして、こんなにも優しく強いのだろう。自らがあれほどの痛みを抱えていながら他人を気遣える。それも決して愉快でない相手を。
「私はロイドと一緒に本当の再生の為にこれからも、もっと頑張るから、村長さんも頑張って下さいって。何のためを思ってどんな行動したのか、神様は一人一人をちゃんと見ていて下さるから」
その言葉があの男にどのような影響を及ぼすか、やはりロイドの頭では分からないけれど。
村から拒絶され追放された時、傍らにはそれでも自分を庇うジーニアスが在った。行動の真意を理解する人がいた。たぶんそれが自棄にも傾き兼ねない自分の支えだった。
「頑張ろうね」
何でもない事のように笑う彼女が最初に与えられた役目は世界の贄だった。その笑顔を守りたい。多分それが、同じイセリアで巡り会った自分の役目だ、とロイドは思った。