天の響

小休憩

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 もう何度目かになる墜落に、少年は最早隠せぬ焦りの声をあげた。
 こうして無駄足を踏んでいる間にも、大切な少女の身体を蝕む病は進行し彼女を苦しめているのだ。近い将来訪れる、完全なる変貌。代われるものならば代わってやりたいが、それは無理な相談だった。そして自分がとれる唯一の方法は、この通り遅々として進まない。やりきれない思いで見やった相手は、しかしこちらが拍子抜けする程に明るく、優しい笑みを浮かべた。
「ねぇロイド、滝のそばって気持ち良いねぇ。ちょっと休憩してこ?」
 思い掛けない誘いにロイドは口籠もり、仲間たちを窺った。彼らの表情は大半が有難そうなものだった。度重なる不自然な浮遊と落下に、幾らエクスフィアの力を借りていると言っても疲れが出るのは致し方ない。ロイド自身も、顧みれば身体の芯にじんと響く酔いのようなものがあった。
 それでも誰も休もうとしなかったのは、結局一番辛いはずの少女を思って──なのだ。
「わたしなら大丈夫だよ。それにお腹空いちゃった」
 照れたように小さく桃色の舌を突き出し、少女は笑った。
 そうすると、錯覚と言い切るには余りにも目に見える動きで、ふわりと空気が軽くなる。
「体力の低下は思考速度にも影響します」
 冷静な少女が口添えすれば、
「そうね、この辺りは魔物も近付かないようだから、ここで休みましょう」
 旅の初めから指示役の教師が判断を下す。
「じゃあボク、料理するよ。サンドイッチとフルーツポンチで良い?」
 料理上手の少年は腕を振るおうと腕捲りして見せた。
「では果物を採ってくるとしよう」
 男は途中の木々に実っていたそれを思い出す。
「うひゃー、気が利くなァ公爵サマ」
 早くもだらしない有り様で地面に腰を下ろした青年が軽口を叩いたが、
「アンタも手伝いな!」
 気の強い娘が彼の耳を掴んで叱咤の声をあげた。
 賑やかに振る舞う仲間たち。その様子をぼんやりと眼にしていたロイドの名が呼ばれる。振り返って見れば、少女が滝の直ぐ近くにまで寄って、手を振っていた。盛大に飛び散る水の粒子が彼女の周りで煌めく。その背に持つ翼を顕わにしているわけではない。それなのに教典に描かれた天使が重なって見えて、ロイドは楽しげな仲間たちを一瞬伺うと、直ぐに彼女の元へ駆け寄った。
 勿論、近付いてみれば豊かな金髪を水に濡らして立つ人の子がいるだけだ。
「どうしたの?」
 凝視され、少女は不思議そうに首を傾げた。ごめん、と曖昧な謝罪が口をついて出て、まるで大降りの雨のように轟々と音を立てて流れ落ちる滝の中に吸い込まれていった。彼女のことだから自然な行為なのかも知れないけれど、気遣うべき相手に気を回されてしまった。そんな、なんとなく格好が付かない照れ臭さからの言葉だった。けれど、間違った訳でないのに謝るのは、今の行動すらも否定しているように思えて失敗したと思った。そんな気持ちが伝わったのか、少女は彼の言葉を受け流すと明るい歓声を上げた。
「ね、涼しいでしょ」
「……ああ、でも濡れちまってるぞ。もうちょっとこっち来い」
 差し伸べた手に、一回り小さな白い手が乗せられる。
 滝から数歩離れた大地に並んで腰を下ろし、二人はどちらからともなく上方を見上げた。霞に遮られる向こうに、目指すものはある。
 背後から聞こえる仲間たちの話し声と、それに覆い被さるような流水音。その狭間で、けれどロイドは不思議と静かな気持ちでいた。
 考える事は沢山ある。手元を見れば答えの出そうにない問題ばかりが残されている。正直、がむしゃらに突き進んでいる方が楽だった。元々頭を使うのは苦手だ。しかしどんなに苦手な事でも、逃げ出したくても、自分の理想を唱え実現するには立ち向かわねばならない。
 遙かな過去、理想を掲げ大戦を終結させた勇者もきっとそうしたように。
 分断された二つの世界を元に戻す方法、パルマコスタをはじめとする命への贖罪、謂われなき差別の解消、誰が敵で誰が味方なのか、何を信じて良いのか、そしてクラトスの──真意は。
 それを思うと拳に力が入った。
「クラトスさんのこと?」
 心の中を読んだようなタイミングで傍らの少女に覗き込まれた。長い付き合いだ。以前自分も彼女の擬態を見破ったように、お互いなかなか嘘は吐けない。
 ロイドは幾らか素直な気持ちで頷いた。
「そうだな、考えてた。あいつは何を考えてるんだろうってさ」
 初めは頼れる仲間だった。それが裏切り者となって、敵として対峙し、それなのに先々で助言を与えたり、様々な要因が重なったとは言えまた共に肩を並べて剣を振るう事にもなった。
 どれもこれも嘘のようで本当のようで、その真意が見えない。
 そうだろう、と同意を求めてロイドは投げ出した両足を落ち付きなく動かした。
「俺達の敵なのに、お前の病気も……あいつの話がなけりゃどうして良いのか分からなかった」
 少女が軽く相槌を打つ。それに後押しされて、ロイドは正直に胸の内を口にのぼらせた。
「正直さ、イセリアでこのまま一緒に戦ってくれるんじゃないかって期待してた」
 一時的な共闘。そう言い切ってしまうには余りにも自然だと感じてしまう一瞬一瞬があった。信用していないと口では言いながら、けれどかつての旅の間のように、無防備に背中を預けられるような錯覚があった。
 そして結局、彼は帰った。思わず引き止めたロイドの甘さを背中で断ち切って。
「無理だって分かってるのに、つくづく甘いよな」
「ううん、だってロイドはクラトスさんの事、信じてるんでしょ?」
 少女の言葉に、深い焦茶の瞳が見開かれた。
 それは他の仲間からも問われた事だった。その答えは──
「……裏切られて、お前をあんな目に遭わされて……そうなんだ、なのに未だ信じたい気持ちが残ってる」
 とは言え、良く信じようと言う気になるものだ。自分でも説明出来ない直感の言葉に、ロイドは旅に出てから覚えた大人びた微苦笑を浮かべた。
 騙すより、騙されろ。
 義父の教えに上げられるそれが人を信じる強さなのか、或いは信じたいと願ってしまう弱さなのか、彼には分からなかった。
「奇怪しくないよ。だってロイドとクラトスさん、本当に仲良く見えたんだもの」
 共に再生の旅を続けていた、今からは遠くも思える日々を指して彼女が言ったが、その旅業を思い起こすのは些か苦痛だ。
 あの頃のロイドは何も知らない愚かな子供だった。神子であるこの幼馴染みの少女が世界を救うのだと盲目的に信じ、無知ゆえの残酷さで彼女の死に向かう旅を喜んで進めていた。それを知った時の後悔は計り知れない。そして合間に存在する優しい思い出も、今や胸を痛める要因になるのだ。
 敵ならば敵らしく憎まれて欲しかった。最早それは出来ないかも知れないけれど。
 視界の外へと落ちていく太い滝の流れが、会話の切れた二人を分断する。
「あのさ、前にあいつと未来の話をしたんだ」
 ややあってロイドは思い出の扉の一つを開けた。
「再生の旅が終わったら……そしたら傭兵なんて儲からないから、俺の船に乗せてやるって」
 本当は傭兵などでなくクルシスの天使だったのだから、関係ないのだけれど。
「嘘にしたくないんだ」
 決して、実現はしなくても。
 約束とも言えないその場限りの話として、相手は憶えてもいないだろう。けれど自分は憶えている。本当にそうしても良いかと思った、あの心は嘘ではなかった。
 だから未来に進まなければならない。
 不意に傍らの少女が立ち上がった。両手を合わせると、滝を背後に微笑む。
「じゃあまずは世界を助けてあげないとね」
 一方が犠牲にならずに済む世界。そこから自分たちの未来は始まるのだから。
 その意を込めた少女の言葉に頷き、続けてロイドも立ち上がると、固い決意を持ち上げた拳に込めてみせた。
「……ああ! でもその前にお前を治してやるからな」
 世界だけではなく、人がただ犠牲を強いられる仕組みには抵抗すると誓った。それはこの少女を死の運命から助ける過程で実感として得た自分の理想だ。今度も必ず助けてみせる。
 しかし。
「えへへ、だったら先にご飯だよぉ。お腹ペコペコだもん」
 一番目先の目標物が設定され、少女とロイドは顔を見合わせた後思わず吹き出す。
 折しも出来上がりを伝える少年の声が渓谷に木霊した。彼の調理の腕前は見事なものだ。在り合わせであっても、きっと素晴らしいものになるだろう。それは献立だけでなく、仲間たちと過ごすここから未来に繋げる為の小休憩。
「行こう?」
 言って、今度は少女の手の方が先に出され、ロイドは手袋に包まれた一回り大きい手を置いた。

2003/10/12 初出