天の響

引き金

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 背中に緊張が走り、反射的に手が柄頭を求めた。そのことに気付かれぬよう、極力自然な所作で位置を戻す。
 背後からの気配に鋭くなったのは、同志と呼べる仲間たちを得てからだったと思う。騎士として先頭を駈けていた頃とは違い、殿を歩く事が多くなった。その為だろう。それともあるいは、地上を彷徨い歩いた時かも知れない。他に背中を預けられる者がなくなったあの時から、神経は常に張り詰めている。
 余りに長い年月を生き続け、何時から等と考えても答えは出なくなってしまった。
 兎に角、自分の意識に障る存在が確認された。その事は間違いない。
 それは殺気ではなかった。
 特別上手くもなければ下手でもない、素人の監視だ。
 監視者に対する対応として、一には先ず監視に気付いている素振りを見せてはいけない。念頭にあったその教えが冒頭の動きに繋がった。もっとも今回の場合、それに意味があるかどうかは怪しかった。
 この惑星上で絶大なる権威を誇る四大天使の一人を、伊達や酔狂で監視する者はいない。指示を出したのはユグドラシルだろうと直ぐに知れた。
 恐らく隠す気もないのだ。むしろ積極的に監視者の存在を知らせて、自分を裏切るなと警告を発しているに過ぎない。
 ロイド達に情報を流していたのが見付かったか。
 悟られぬよう注意は払っていたつもりだが、それこそ素人仕事だったかも知れぬ。だが再生の神子の永続天使性無機結晶症を癒すに必要な材料は揃った。契約の指輪の材料も、鉱石アイオニトスを除けば既に収集済みだ。暫くは一行の前に姿を見せる必要も、地上を探索して回る必要もないだろう。
 叶うならば、エターナルソードをロイドに──悲しくも愛しい過去を重ねずにいられないあの子供に託す、その想いを、そして彼が知りたいのだろう総てを語ってやりたかったが。
 ふと、背後に別の気配が生まれた。
「クラトス」
 名を呼ばれ振り返るまでもなく、相手は分かっていた。かつての同志でもある、ユアン。
 真っ直ぐに見据えてくる視線を受け止め、クラトスは不意に、彼はまだレネゲードとして活動しているのだろうかと気になった。
 ユグドラシルへ反旗を翻すその行動を、けれど止めておけとは言えなかった。如何に失敗を繰り返し、また自身は到底手助け出来ぬとしても、計画に反対するその気持ちは等しいのだから。恐らくまた、自分とは違う別の方法を模索しているのだろう。
 しかし既に彼が取れる手段は限られている筈だ。それも直接的な方法だけが。即ち、千年王国計画の指導者であるユグドラシル本人、あるいはエターナルソード獲得の為、オリジンの封印を宿すクラトスを殺すこと。
 生に執着するつもりはなかったが、未だ死ねない。それはユアンも分かっているだろう。ましてやユグドラシルと直接対峙するなど、正気の沙汰でない。
 けれど決意を固めた風な彼の表情。
 嫌な予感がした。
 自分は監視されている。クルシスの四大天使の一人でなく、レネゲード党首として何か仕掛けてくれば、彼の身の方が危ない。その口を止めた方が良いのではないかと、そう思った。
 だが判断を下すよりも早く、ユアンは引き金を引いてしまった。
「息子に会いたくないか」
 ──嗚呼、賽は投げられた。
 監視の眼を知りながら、クラトスはただ黙して頷いた。

2003/09/24 初出