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砂の舞う村にて

「おいジューダス! んなやり方じゃ無理だって」
 呆れ声が乾いた空へと吸い込まれていった。
 その空の下、危うい手付きで赤ん坊を抱く黒衣の男が立ち竦んでいる。その表情は風変わりな仮面に隠されて見えないものの、しかし明らかに困惑した様子だった。
 やれやれと言った風に首を振った銀髪の男は、己を取り囲む子供たちになにやら言い聞かせると──それを合図に彼らは思い思いの方向へ去った──黒衣の男すなわち先程名を呼んだジューダスに近付いた。
「ほらよ」
「お、おい!」
 健康的な褐色の腕が伸ばされ、一見無造作なやり方で赤ん坊を取り上げた。
 思わず声をあげたジューダスに向かってにやりと笑うと、彼の手を取り巧く赤ん坊の頭を支える形にして返してやる。
 ようやく安定した寝床に変わって落ち着いたのか、赤ん坊はそのままジューダスの腕の中で眠り始めた。手の掛からない良い子だな、と男が呟く。その拍子に仮面の隙間から伺える幼い顔から強張りが消え、肩の力が抜けた。
「赤ん坊は首が据わってないからよ、支えてやった方がいいんだと」
 普段は自分の方がやり込められている相手に教えを垂れる、と言う状況が余程楽しいのだろう。男は自慢げに語り、ジューダスが今度はうんざりとした様子を見せると満足した表情で砂地に腰を落とした。
「しかしまぁ、本当にお前は子供の相手が下手だな、ジューダス」
「……子供は嫌いだ」
 低い声が応えたのに、確かに好きそうには見えないと頷く。
 ジューダスはそんな揶揄に顔を背けると黒いマントを風に靡かせた。その腕に赤ん坊を抱いたままでは様にならないこと甚だしかったが。
「そう言うお前こそ良く知っているな。どこかでヘマでも踏んだか」
「おいおい。んな訳ないだろうがっ」
 そう長くない付き合いの中でも、この男が大の女好きであるとは旅の仲間にとって周知の事実だった。それを言われ、男は砂の付いた手で些か大げさな程、否定の意を示した。
「これでも、このロニ様はガキ共の面倒見がいい兄貴で通ってんだぜ」
 彼は孤児院育ちだ。自分よりも年下の少年少女の世話を焼くのは当然のことで、むしろこの村の子供たちがまだ幼いと言うのに自分の仕事を与えられ、それを果たしている事に感心すらしていた。
 ──事ある毎に怪獣ごっこをさせられるのだけは勘弁だったが。
「ま、赤ん坊の世話はルーティさんがやってた事の見様見真似だけどな」
 一行が同じ旅路を行く理由ともなった少年の母親の名に、ジューダスはふと目線を下げた。
 その様子には気付くことなく、ロニは両腕を広げるてそのまま仰向けに倒れると、どこまでも青く高い空に声をあげた。
「あーあ、カイル達はどうしてっかなぁ」
 離ればなれになってしまった少年たちの身を案じる台詞と共に、赤ん坊を抱いたジューダスの方をちらりと見上げる。
 下手にお互いが探して動き回るよりも一カ所に留まった方が賢明だと説き、この砂漠の村に滞在することを決めたのはジューダスの方だった。
 少なくとも、少年の方は確実に自ら動き回っていることだろう。それが分かるからこそ了承したロニだったが、気持ちとしては自分自身も大事な弟分を探しに飛んで行きたいのだ。自然、恨みがましくもなる視線を受けジューダスは息を吐いた。
「お前は過保護すぎる」
 それはあの雪の降る街でも言われた言葉だった。その言葉の前には、ロニも沈黙するしかない。
 自覚はあった。
 弟分とは言え、独り立ちを決めた少年を守り過ぎている自覚はあったのだが、それは彼自身にもどうしようもない事なのだ……。
 気不味い空気が漂った事にさすがのジューダスも気が咎めたのか、少し声音を緩める。
「そんなに心配する事はない。リアラも付いているんだ」
 それは却って、カイル一人では心配だと言わんばかりの口振りだとロニは思ったが、ジューダスなりの気遣いであることは知れた。
 眠る時ですら外そうとしない仮面といい、外見から予想される年齢の割に豊富な知識といい、無条件で信頼するには秘密がありすぎるジューダス──そもそもこの名前からしてカイルが名付けた物──だったが、次第にロニたちを仲間として認め始めているのだ。それゆえ、ロニも取り敢えず疑念は棚上げして彼を仲間に受け入れる事にした。今では耳に痛い叱責も皮肉も、仲間を思っての事だと理解できる。……許容は出来ないのだが。
 だからこそ殊更楽観的に応じて見せる。
「まぁな、案外出先でナナリーの奴と会ったりしてよ! はははは」
 無論その発言が事実であるなど、この時の彼らには思いも寄らないことであったから、その乾いた笑いは直ぐに勢いを失い止まってしまう。
 砂を乗せて通り過ぎる風を感じながら、二人はまた暫く押し黙った。
「……なぁジューダス、あいつら、無事だよな?」
 真剣な眼差しが空を見据えているのを見やって、ジューダスは皮肉を言いかけた口を閉ざした。仮面の奥の瞳が伏せられ、やがて静かな調子で呟く。
「大切な人を案じる気持ちは必ず届くと、僕はそう思う」
「へ、ジューダスの口からそんな台詞を聞けるなんてな」
 言われたロニの方が、照れ隠しに寝そべったまま髪を掻きむしる。お陰で銀髪はあっと言う間に砂まみれになって、ロニは自らのした事にうんざりとした様子を見せた。
「あーあ……いい男が台無しだぜ」
 反射的に上体を起こした形から、また脱力して砂の上に四肢を投げ出す。
「おい、ナナリーがいないからってだらしない真似はよせ」
 そんなロニを見下ろして、ジューダスは先程の暖かみを一掃した厳しい声を投げ掛けた。その言葉にロニは再度上半身を跳ね上げた。
「誰がいないからだって? おいおい冗談よせよ、ジューダス」
 否定の言葉に、かえって疑わしそうな視線が向けられる。その事に苛々としてロニは立ち上がると頭一つ分近い身長差を活用して、上から見下ろし返してやった。
 憮然と見上げてくるジューダスに、鼻を鳴らして言い放つ。
「俺はちゃんと選んで声をかけてるんだよ! あんな頭の固い男女はこっちが願──」
 ふと、ロニが不自然な箇所で言葉を切った。
 不審そうに首を傾げたジューダスの腕の中で、何時から目を覚ましていたのかぱっちりとした瞳を見開いた赤ん坊が、わっと大音響で泣き始めた。その不意打ちを食らって、ジューダスは赤ん坊を危うく取り落としかけた。
 その様子に砂が落ちていく髪を掻きながらロニは溜息を付いた。
「あー、こりゃオムツだな」
「……僕にどうしろと」
 相変わらず冷静に状況を把握しようとでも言うのか、重々しく呟く。それでいて赤ん坊を落としてはいけない事くらい理解できているのか、ずり落ちかけた暖かい物をひしと抱き締めた妙な格好のジューダスを見て、ロニは思わず吹き出した。
 笑われた事に殺気立つジューダスと、ますます大きくなる泣き声。
「仕方ないだろ、替えて来てやれよ」
「僕がっ?」
 今度こそ本当に狼狽えた様子のジューダスににやりと意地悪く笑ってみせた。
「だってお前が頼まれた仕事だろ」
 ちゃんとやらないと飯抜きだぜ、と普段自分が子供たちから言われている台詞を投げかけ、ロニは押し付けられないようにと態とらしい仕草で大きく一歩離れる。
 砂漠の大地に怒声と鳴き声と笑い声が響き渡った。