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月下の陽光

 見渡す限りの砂の地面は、太陽の位置に応じてその色を変える。この村に着いた時には眩しいくらい輝いていた大地も太陽が傾くのにつれて赤く染まっていき、遂に陽の一筋も見えなくなった瞬間暗くなったかと思うと、満天の星と二つの月に照らされて白く神秘的な光を放っていた。
 暗闇と光とで彩られた世界にリアラは感嘆の声を漏らした。
 砂漠の夜は冷え込む。けれども薄い衣装を身に纏っただけの彼女は冷気に白い肌を晒して、そのまま前方を見つめていた。険しい山の向こうには聖地カルビオラがある筈だった。
 つと、背後の家から砂を踏みしめる音が近付いてきた。振り返ると闇に紛れる黒衣を纏った人影がその場に立ち、リアラに一瞥は与えたものの何を言うでもなく先程彼女が眺めていたのと同じ光景を視界におさめている。
「あなたは不思議な人ね、ジューダス」
 リアラはほぅっと息を吹くような調子で言葉を紡いだ。その拍子に髪飾りを通した二房の髪が揺れる。
「……でも、違うわ。私の探している英雄じゃない」
 言葉は意識しての事ではなく潜められ小さな声であったが、少女特有の高い音階ゆえに澄んだ夜空には不必要な程よく響いた。そして独白にも似た調子のそれは、彼女が意図しないままに続けられた。
「この先どうしたら良いのか、わたしには何もわからない」
 十年前の世界で得られるかも知れないと期待していた英雄の手掛かりを総て失い、彼女は目印もなく行き先の見えない状態に戸惑い、疲れ果てていた。
 彼女の仲間である少年は先が見えないからこそワクワクすると言っていたが、自らに科せられた使命を重く捉え、もう一人の聖女が既に己の成すべきを見出している──つまりは自分は出遅れているのだと言う事実を突き付けられた現在、その台詞は何の慰めにもならなかった。
 ただ心中に浮かぶのは、自らの進む道を知るためにも英雄を見付けなければ、と言う焦り。
「いいえ、今だって、どうしたら良いのか……」
 当てもない未来を象徴しているかのように、リアラの言葉は唐突に途切れた。それ以上はどれだけ口唇を開いても、何の言葉も出てこなかった。
 つと、染み入るように低く響く声が黒衣の男ジューダスから発せられた。
「不安なのだな」
 言われ、リアラは少し驚いた顔をしてジューダスの顔を見つめた。
 彼は英雄の息子だという少年には何かと助言を与え世話を焼いていたけれども、その優しさはもう一人の仲間の全てから守ってやる姿勢と違って、少し厳しさを伴ったもののように感じていたから、こんな優しい声を出せるとは知らなかった。
「これからの指針だけではない。アイグレッテでの管理された幸せをカイルに否定されて、自分の価値観が揺らいでいるのだろう。違うか?」
 頷いてから、何故そんなに心の内が分かるのだろう、とリアラは不思議に思う。先ほど彼女自身が不思議な人だと評した通り、彼はどこまで知っていて何を考えているのか到底計り知れない人物だった。
 仮面の奥の昏い色合いの瞳が和らいだ感じがした。
「今は、それでいい」
 迷っている事も、どうしたら良いのか分からない事も、すべてそれで構わないのだと言っているその言葉に、リアラは瞬間的に反発しようとして、止めた。
 彼が果たして何者なのか、リアラは知らない。旅の仲間たちだって誰も知らない。けれども、四英雄のフィリアやウッドロウに諭された言葉を素直に聞くことが出来たのと同様に、ジューダスの意見を聞きたかった。
 ……彼は、英雄ではないのに。
「お前はお前の手で、人々が何を幸せと感じるのか掴むべきだ。掴むまでは精々悩め。決めたら手放すな。それはフォルトゥナ神団やエルレインのもたらそうと言う形と、必ずしも一緒ではないかも知れん。だが、それこそを幸せだと感じた自分を信じろ」
 話す気がなかったのか、一度はリアラの視線を無視して踵を返そうとしたジューダスだったが、やがて口を開くとそう言って、それから今日はどうかしているのだと自嘲気味に呟いた。
 リアラが胸に白い手を添えてじっと俯いたのを見ると、自分が言った言葉など気にするなと言いたげに首を振って、少し口調を変える。
「取り敢えず今は元の時代に戻り、あの女が何をしようと言うのか突き止めなくてはならないが」
「エルレインのこと……?」
 そう言えばウッドロウと謁見する際彼女と遭遇した時には彼はいなかった筈だが、エルレインと会った事があるのだろうか……とリアラは不思議に思って顔を上げたが、ジューダスにはごく普通の反復疑問としてとられたようだった。
 仮面が頷く。
「そうだ。あの女は不当にファンダリアを襲い、人々の生命と生活を脅かした」
 今からしてみれば、フィリアへの襲撃もエルレインの策略だったに違いない。幸福をもたらす為ならば人を傷付ける事も厭わない彼女のやり方は、リアラからしてみれば疑問を感じるものだった。
 聖女がするべきはすべての人々を絶対の幸福に導く事なのだから。
「──お前はそれで良いと思うか?」
 低い落ち着いた声が問うた。当然、リアラは首を振る。
「いいえ! わたしはエルレインのやり方は間違っていると思うわ」
 目指す理想は同じであっても、そこへ至る道としてどうすることが最良なのか。それを探るために二人の聖女は存在する。だからなのだろうか。リアラはエルレインの庇護下で人々が幸せを感じている事は喜んでいたが、彼女の方法その物は認めることが出来なかった。
 ジューダスの仮面は瞳や顎の辺りが顕わになっている。だから、彼がふっと笑ったのが月明かりの下でよく見えた。
「それなら止めればいい」
 先ずは元の時代に戻り、エルレインを止める事。それはカイル達とも話し合って決めていた事だけれど、改めてジューダスが言ったその言葉にリアラははっとした。
 ああ、だから「今はそれで良い」のだ。幸せの形にはまだ結論が出せないのだから、今はまずエルレインの方法は間違っている、彼女を止めたい……と思う自分の気持ちを解放する時だ。
 じっと立ち尽くす二人の間をすっかり冷え込んだ風が砂上の文様を描きながら通っていった。
 その風を孕んだマントを大きく翻し、ジューダスが背を向けた。
「お前自身の意志で進むべき道を選べ。後悔したくなければな」
 背中を向けたまま独り言のように小さく言われたその言葉は、けれども空高くまで澄んだ砂漠の夜風に運ばれて、リアラまで確かに届いた。彼女が小さく頷いたのが見えたわけでもないだろうが、それに応えるようなタイミングで自嘲気味の溜息を漏らすと、ジューダスはやって来た時と同様静かに砂を踏みながら遠離って行く。
「あなたは、不思議な人だわ」
 ふと少女は屈み込んで足下の砂を掴みあげた。ざぁっと音を立てて乾いた砂が指の間を通っていく感触が、酷く愛おしく感じた。