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凍れる大地にて

 一条の陽光すらも望めぬ分厚い粉塵の雲が渦巻くこの極寒の大地。
 人々は空の青さすらも忘れ、ただこの一時を生きている。いつ何時、天上の無慈悲なる暴君に蹂躙されるとも知れぬ、儚き今を──

 黒衣の剣士は独り丘に佇み、眼下で広げられる営みを見つめていた。白骨に似た仮面の合間から覗く紫眼が細められる。
 彼は、この時代で彼らに協力してくれる事となったかの天才科学者ハロルド=ベルセリオスの様子を見てくると言って部屋を出たのだったが、今頃一行が回収してきた物資を使い開発に勤しんでいるのであろう彼女を煩わせる気はあまり起きず、こうして独り風雪にその身を晒し続けていた。
 防寒具もなしで長時間こうしている彼を気遣う声なき声が、一つ。
 やがて、冷え切った白い手が携えた剣の刀身を滑る。
「……不思議なものだな、シャル」
 その口調が何時になく落ち着いて響いたからだろうか。剣士の他には聞く者のない声が、疑念を伝える。その言い様に軽く唇の端を持ち上がる。
「今、この時代には“シャルティエ”が二重に存在する事になるんだぞ」
 今頃ダイクロフトへの突入準備を整えているのだろうシャルティエ少佐と。彼の人格を投射したソーディアン・シャルティエと。但し後者は凡そ千年後の未来からやって来た、本来この時代に存在しないシャルティエ。
 これから制作されるソーディアンを握るのはシャルティエ少佐であり、今この場にあるソーディアンを握るのはジューダスと名乗る剣士。
 彼ら一行の他に知る者はないとは言え、奇妙な現象には違いあるまい。
 とは言え、剣士はそのことを述べたのではなかった。
「やはり、オリジナルのマスターが恋しくなったりするか」
 動揺、それから必死の否定。
「そう嫌がるものか? お前自身を……」
 そのどちらもに笑って、ジューダスはシャルティエに──丁度彼の人格が投射されたレンズの辺りに軽く触れた。
 これが相手が人ならば、手を重ねるような感覚だろうか。
 ろくな防寒もしないまま部屋から出てきてしまった彼の手は、疾うに冷たいと言う感覚がなくなる程冷え切っていてその内ちぎれ飛ぶのではないかと懸念もしたが、部屋に戻っても良いものか否かの判断はやはり付かず、ジューダスはそのまま立ち尽くしていた。
 凍れる息吹に晒された冷たい手と、もとより発熱することがない冷たいレンズと。
 けれども両者の間にあるのは確かな温もりで。

 ソーディアンとは、高密度レンズに使い手の人格を投射した意思ある兵器である。そしてソーディアンチームと呼ばれた彼ら地上軍の使い手たちは、己の分身を手にこの戦争を終結させた。
 とは言え長きに渡った戦いは人類を疲弊させ、この後千年以上が経った後も、世界は彗星激突以前の水準に戻らなかった。
 人々はこの後も苦しんだ。いや、人の苦しみは永遠に止むことがなかったのだ。それこそ唯一絶対なる神を求める程に──
 そして終戦の英雄であるソーディアンチームも、別の苦しみを味あわされた。
 ただ一つの精神が人の肉体とレンズと言う二つの物質に同時に存在した時、互いは相互干渉を引き起こし両者の人格が破綻する危機を招いたのである。

 そう言った事実を知っているジューダスは、どこかシャルティエの状態を気遣う思いもあってじっと携えた剣に眼を落とした。
 
 ふとレンズから手を浮かせ、細身の刀身を飾る凝った意匠を乾いた指先でなぞる。なんでもないそんな触れ合い、けれどもそれは二人を主人と剣ではなく心通った相棒だとお互いに感じる優しいあり方。
 シャルティエが応える。
「……そうか」
 少なくとも今ここにいるシャルティエの方は未だ大丈夫だと、共にいると誓ってくれるその言葉を信じて、ジューダスは軽く眼を閉ざすと打ち切った。
 前例がない事だけに、何が起こるかは分からない。しかし分からない事に対して必要以上に神経を尖らせて良い結果が生まれるとも思えなかった。あるいは次元を越えて来た段階で、既にこの時代に存在するシャルティエとは別の精神体に成長している可能性もある。悲観視するばかりが脳ではない、と思うのはだいぶ旅の仲間たちに影響されてきた結果かもしれなかった。
 ただ、ソーディアンを所持していると気付かれないよう、ここでもシャルティエの力は借りずに戦おうとだけ心に決めて。
「なんだよ、こんな所にいたのか」
 近付いてくる気配に気付いてシャルティエを隠したのと、声が掛けられたのはほぼ同時だった。
 眼を開けると、元々色素の薄い髪を雪で更に白くしたロニが見下ろしていて。
「そろそろ戻ろうぜ。もぅ寒くて仕方ねぇや」
 そのまま寒い寒いとどうしようもない環境に文句を連ねて、地上軍の船ラディスロウへ足を向ける。
 しかし元はと言えばロニが要らぬ気を回したせいで、彼らは部屋に居たたまれなくなったのではなかったか。その辺りを問い質したくもありロニの後ろに連れられたナナリーに視線を向けると、彼女は肩を竦めて笑った。
「ほら、ジューダス!」
「……ああ」
 頷いて──

「行こう、シャル」
 もう一度改めて彼の相棒に告げてから、ジューダスは黒衣を翻すと仲間たちの後を追った。