言われていた通り、聖堂の中には見たこともない魔物が蠢いていた。
最初に遭遇した巨大な蜘蛛にコレットが悲鳴を上げた事で、彼等は侵入者に気付いたらしい。爛れた肉を撒き散らす気味の悪い生き物から、滑った半透明の体を引きずる奇妙な魔物までが道を遮るように現れた。
結論から言えば、コレットとジーニアスの二人は戦力にならなかった。それを責めるつもりはない。二人はエクスフィアを装備していないのだ。それで良く戦っている。それよりも情けないのは、とロイドは打ち倒した魔物の上にもう片方の剣を強く振り下ろした。
「手で撃ち込むな、隙が出来るぞ」
それでも敵を倒しているのだから良いだろう、とはさすがに言えなかった。ロイドが一体を倒す間にクラトスは残りの三体を倒していた。しかも汗一つかいていない。
「手じゃなくて、何で、剣を振るんだよ」
荒い息を吐き出しながら尋ねたその時、クラトスが素早く振り向いた。遅れてロイドも振り返る。実体がない幽鬼のようなものが壁から染み出たのだ。お化けだ、とジーニアスが声を上げた。その声に惹かれてか、幽鬼はにたりと笑い少年の方にずいと体を寄せる。
だんっと大きな音がし、ロイドは一息に間を詰めたクラトスの背を目の当たりにした。
「足だ」
応えながらクラトスの右足と手が同時に動き、剣先が大きく美しい円弧を描いた。身体を丁度真二つに切り裂かれた幽鬼が、口を笑いの形に保ったまま宙に溶けていく。
魔術でなければ倒し難いとされる霊魂系の魔物すら易々と切り裂かれるに至っては、ロイドも認めざるを得なかった。
敵愾心だけでは到底敵わない。
刃を鞘に収める音がして、ロイドは改めて辺りを見回した。魔物達の姿は消えていた。どうやら──魔物に知恵があるとすれば──相手の技量が上である事を悟ったらしい。
「くそ、出番がなかった」
舌打ちして、ロイドも木刀を腰の鞘に戻した。
それから歩みを再開した一行の先頭に立ち、クラトスが倒した魔物の横を通り過ぎざま、背後の彼に尋ね掛ける。
「なぁ、こういう形のモンスターも多いのか?」
それは骨と皮ばかりであったが、確かに人の形をした魔物だった。イセリアではこれまで見掛けたことがない。
背後の男は一度沈黙し、それから成程と声を上げた。
「これも渡しておこう」
言って横に並んだ彼から差し出されたのは、鞘に入ったままの一振りの短刀だ。クラトスが先程から振るっている剣同様、特徴はないがよく手入れされている。
肉を切り裂く、その為の武器だ。
人を殺すのに適した。
義父の拵えた剣では役立たずだと言われているようで、ロイドは不快に顔を顰めた。反面、先刻と同様に受け取らざるを得ないとも思った。例えば聖堂の前の戦いで学んだ事だが、ディザイアン達の鎧の上から木刀で殴り付けても効果は薄い。出来る限り平静を装って、短刀を背に近いベルトの鋲の一つにくくり付けた。
悔しい事ばかりが積もっていって、押し潰されそうだ。
「敵がどんな形をしていようと息の根を止めろ」
前提条件は当然、神子を守りたいならば、だ。
その言葉に何も言えなくなるのは、つまり自分の甘さでしかないのだろう。動物や異形の魔物は別として、人は殺せないと思っている心の。
けれど──生きるために必要な以上の殺生をしてはいけませんと、リフィル先生はそう言っていた。その教えも間違いでない筈だ。
悔しい思いを抱いたのは、ロイド一人だけでなかったらしい。異形の魔物を前にして満足に魔術を唱えられなかったジーニアスは、一度クラトスに先程の礼を述べたものの、そのままロイドに向かってしっかりと宣言した。
「ボクだって、今度はちゃんとロイドの援護をするからね!」
戦きを未だ払拭しきれていないのか、握り締めた小さな手には未だ震えがあった。けれど何よりも心強い援護でないか。
ロイドは頬が緩むのを自覚しながら応じた。
「ああ、頼むぜ」
同時に、こういう時には直ぐ笑わないで冷静に言った方が格好良かっただろうか、とも考える。クラトスのような男ならそうするのかも知れない。だが嬉しいのに笑わないと言うのも珍妙だ。
そんなやり取りを交わしていた一行の足が止まった。そこは意外と呆気ない通路の終わりで、地下を指す階段が一つだけ伸びている。
四人は顔を見合わせ──否、一人は確認の意図を持ってコレットだけを見やり、彼女が頷くのを見て、ロイドとジーニアスは競うように段を駆け下りた。叱責が背中を追ってきたが、今はそれよりもこの先まで辿り着いて、魔物がいるならば追い払うくらいは自分たちの力でしておきたい。
急勾配の階段がかなり長く続いた果てに、最初にそこに降り立ったロイドは唖然と周囲をぐるりと見渡した。
地下に広がっていたのは不思議な空間だった。絵本で見たお城の広間に似ている。床には光放つ色石が組み合わされ模様を描いていた。その一つ一つは磨いたように煌めいているので、覗き込めば顔が映るのでないかとロイドは思った。天井は地上部分より更に高く、イセリアで唯一二階のあるコレットの家より大きそうだ。
それらを観察した最後に、ロイドは奥で確かに煌めく光を見付けた。台座のような物が据え付けられ、その上に火とは違う赤い光が灯っているのだ。だが。
「あれがソーサラーリングかな」
傍らに近付いたジーニアスが銀色の眉を寄せた。
早速取りに行きたいところだが、これでは不可能だ。
その足の先に床は続いていなかった。台座はそれだけが壁から突き出るようにして配置され、至る道は見当たらない。地下の広間と台座の間にぽっかりと空いたそこには、光宿す床や壁が追い出した闇を集めたかのように黒々とした空間が広がっていた。まるで底がないかのように。
追い付いてきたクラトスがその光景に、やはり眉を顰めた。彼でもどうしようもないのか。とすれば壁伝いに辿っていくしかないだろう。羽根でもあれば別だが。
「ねぇ、ここになにかいるよ」
不意に背後からコレットの華やいだ声がして、ロイド達は何気なくそちらに注意を向けた。
それは足のように見えた。法外な大きさに眼を瞑れば、の話だったが。よく見れば胴体と手まである。番兵の形をした彫り物かと思って、しかしロイドは訝った。まるで人の腕に似た部分が動いたような気がしたのだ。それから心と裏腹に緩慢な速度で視線を天へ向けてみた。その高い天井に紅い双眸が輝いている。
「──ゴーレム!」