天の響

08:聖堂

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 復路は気楽なものだった。魔物達は地下の戦いの勝者を静かに迎え入れ、隠れ去って行く。
 無論、まだ其処此処で蠢く影は彼らの昏い気配を知らせていたが、自分たちに向かって来ない以上、互いにやり過ごす方が得策だ。途中奇妙な笑い声のような音も響いていたが、ジーニアスが風の音だと主張したので、ロイドはそれも深く気にしない事にした。
 そうして通路を戻って行った先に、再び青い光が見えた。よくよく見れば光は扉の中央から渦のような波を描いて広がっており、恐らくはその中心が、結界とやらを解く鍵であるに違いない。
 直感は直ぐに肯定された。
「この核にソーサラーリングを呼応させれば良いんじゃないかな」
 ジーニアスの分析に否応がある訳もない。見上げてくる友人達の眼差しに胸を張り、ロイドは指輪が収まった手を扉に向けた。
 気合いを入れ、静かに深呼吸し。
「――なぁ、これってどう使うんだ?」
 暫しその姿勢で固まったロイドは、酷く情けない思いを抱えて振り返った。案の定、コレットは困ったように両手を揺らし、ジーニアスは呆れた素振りを見せている。
 しかし困惑したのはロイドも同じだった。聖具ソーサラーリングさえあれば直ぐにも道は開くと思っていたが、何らかの仕掛けが作動する様子もない。或いはこの聖具で何かを起こすのだろうか? しかしソーサラーリングは指輪に違いない。例え魔法の品だとしても。
 頭上から溜息が聞こえた。途端、ロイドの胸の奥が何かに反発する如く飛び跳ねた。
「指輪を扉に向け、意識を指輪に集中しろ」
 そう言うのは、確認するまでもなくクラトスしかいない。ロイドは自分の唇の先が尖った事に気付き、慌てて唇を真一文字に結び直した。
「やってるって」
「……水辺で石投げをした事は?」
 石投げ?
 案外無邪気な事を言うものだと、張っていた気が緩んだ。
「その手に、石があると思え」
 クラトスは知らないだろうが、器用なロイドは石投げに関しても村一番の名手だ。ロイドは緩く左手を丸めた。一番良い呼吸の時を見計らい、丁度良い重さと早さで石を――
「今だ、投げろ」
 それは一瞬の出来事だった。
 指輪をはめた部位がじんと痺れたかと思うと、ロイドは其処に、形のない、気配と言うべきものを錯覚した。そうだ、石の中に何某かの意識が宿ったかのような――考えるより早く、台で紅い光が螺旋を描いたかと思うと、その一筋が石を突き破り吹き出した。
 炎だ!
 反射的に身を退いたロイドの目の前で、扉を覆う青い光は赤い炎を吸い込むようにして受け入れ、そのさざ波に揺れ、弾けるように消えた。
 暫くして驚きが生まれる。
 正に魔法だった。言葉を失くしロイドは指輪を見下ろした。
 まるでそれは、なんの火種もない宙から引火したようだった。しかし確かに火を放った石は、既に氷のように冷たい。
「……すげー」
 思わず漏れた感嘆の声は、同じ瞬間にジーニアスが身体全体で抱き付いて来た事で隠された。
「スゴイよ! この指輪、マナを集めているんだ! 発現量から見て、石の中のマナ濃度は空気中の凡そ6.8倍でしょ。それにロイドが使っても効果があるって事は、僕たちの魔法とは理論が違うのかも……兎に角スゴイよ!」
「うん、スゴイね〜」
 何か、凄い物である事は自ら体感もし、同意する部分だったが、理論については半分も分からなかった。そもそも現象として起こることさえ知れればそれで充分だったロイドは、幼馴染みたちがひとしきりはしゃぐのを尻目に、早くも興味を扉の奥へ移した。
 だが両手で押し開けた扉の向こうにあったものは、期待した祭壇でなく。
「……これを上るのか?」
 応えはなく、途端にその場は静まりかえった。
 其処にあったのは、視線を持ち上げることも億劫なほど長い長い階段だった。一定の法則で組み合わされた石が嫌になるほど正確に続いている。ふと、外から望んだ時の聖堂の大きさを思い出し、ロイドは顔を顰めた。
 けれど。
「どうした」
 問われ、視線を前に戻すと、クラトスは一番始めの段に片足をかけるところだった。
 此処に来て面倒だなど口にすれば、一体何を言われることか――案外、一言で納得してそのまま置いていかれそうだ。ロイドは口を閉ざしたまま肩を竦め、コレットの手を引き進み始めた。
 上る――上る――。
 混ざり物のない滑らかな石が、四種類の足音を響かせた。律動的な足音は、歩を進める一行の沈黙のままに、時折その拍子を狂わせながらも静かに続く。
 途中、何度か口を開きかけ、しかしその度にロイドはその言葉を飲み込んだ。クラトスは勿論、コレットもまた真っ直ぐに前を向いていた。どうして自分が不平を零せよう。そう思い掻き消した言葉でけれど頭の中が埋まり、段差を上る行動だけが機械的に繰り返される。
 その場に着いたことに気付いたのは、変わらぬ冷静な声によってだった。
「最上階のようだな」
 応えて、此処が目指していた祭壇だと言う声が聞こえる。
 広い部屋だと、まずそう思ったのは錯覚だった。中央に置かれた台座が部屋の殆どを占め、四人で一カ所に立つと些か手狭だ。しかし天井は高い。空までも繋がっていそうなほど高く、湾曲したその天井にはやはりあの不思議な石が使われ、柔らかな光を放っていた。丸みを帯びた屋根など、イセリアにはない。一体どのような技術で建てたものだろう、とロイドは痛いほど首を曲げ天を仰いだ。
 それからよくよく見渡した祭壇には、これまでの道程で見付けられなかったものがあった。窓だ。地表は遠く、木々の葉すら眼下にある。それは足の裏が落ち着かない奇妙な感覚だった。ただ、それでも雲は頭上にある事にほっとする。
 乾いた喉を、気持ちだけでも潤そうと唾を飲み込み、ロイドは息を吐いた。
「じゃあ、あそこで光ってるのが、クルシスの輝石か」
 教典の内容などろくに覚えていないロイドでもその名は知っている。女神マーテルを戴く天の機関、村長より、教会の祭司より、ファイドラより更に偉い天使たちの事だ。
 輝石は、祭壇の中央でその名の通りに光を放っている。助けに現れたあの視線ほども紅い光を。
「そうだよ。私、あれを握って生まれてきたんだって」
 コレットが緩やかに笑い、長い金髪が揺れる。
 その時、燦とした光が天から射し込み、一行はそれに促される形で顔を上向けた。