天の響

12:真実

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「クラトスの奴、むかつく!」
 蹴り飛ばした石は道から外れ、草の上を飛び跳ねると、あっという間に傾斜を転がっていった。
 ふぅん、と気のない声が追い付いてくる。
「足手まといだって言われたの、まだ根に持ってるの?」
 ロイドはそれに応えず、影法師の尖った頭を睨み付けた。
 確かに彼は強かった。言い渡されたその言葉には侮蔑も嘲りも含まれていない。真実の事だからこそ、この心を酷く打ちのめすのだ。しかも二度も――
 神託が下った事実は四半刻もせず広まり、コレットの家では村の主立った者によって旅立ちの支度が進められていた。明日には立つのだと言う話に、最初ロイドは随分急なことと思ったが、この旅の為と言う神子の旅衣装や食糧不足の中でも残されていた蓄えが次々と運び込まれていたのを見ると、村の衆は疾うに準備を済ませていたらしい。
 忙しない空気の中、コレットは、大きなテーブルの真ん中に座って何時ものように微笑っていた。そして村長が大声で言う旅の護衛の取り決めに黙って頷いた。
「たったひとつの取り柄をけなされちゃ、腹立つよね」
 そう、自分は腹を立てているのだ。同意しようとしたロイドはすんでの所で台詞を飲み込んだ。吸い込んだ言葉で片方の頬が膨れる。
「たったひとつって言うな!」
 高い音が楽しそうに笑い声を風に乗せた。
 再生の旅の同行者として選ばれたのはクラトスとリフィルだった。傭兵は頼もしい護衛として、先生は信頼出来る識者として。
 当然ロイドも伝説に伝わる奇蹟の目撃者となるべく名乗りを上げたが、リフィルからは諭す視線で、クラトスからは先の台詞で、そして村長からは随分と素っ気なく断られたのであった。
 きっと大人たちは本気だと分かっていないのだ。無論多大に好奇心はある。だが親愛なる友を一人労苦に満ちた旅へ追いやる事など出来ない気持ちも、また本物だ。
「それよりロイドは、ちゃんと贈り物作ってあげなよ」
 恐らくそちらの方をコレットは喜ぶだろう、と年下の親友が言う予言を、些かの不満と不思議な想いが混ざったまま聞いた。
 神託の日。この日、幼馴染みは十六年目の生を迎えた。すっかり忘れていたため約束の首飾りは未だ出来ていないが、早く家に帰り作業すれば旅立ちに間に合うだろう。
 ロイドと養父の住処はイセリアの村中にない。家は丘を越え森を抜けた先にあった。
 崩れた岩場を互いに引っ張り合いながら登る。その横を兎のように軽くノイシュが跳び越えた。
 ノイシュは拾われ子であるロイドと共に発見され十数年を過ごしてきた兄弟である。と言っても人でなく、犬だ。もっとも人の三倍程も大きな図体と草色の体、それに長い耳のせいで、村の人々には今でも本当に犬なのか確認されるけれど。
 犬と言えば、とロイドは背後を振り返った。
 村の柵の中で暮らしているジーニアスが此処まで付いて来たのは、友達に会いに行く為だと言った。その瞬間、それまでロイドが抱いていた疑問に一本の線が通ったのだ。
 イセリアの子供達は日中働かなくとも食事する事が許されている。それはリフィルが学校で勉強をする事こそ子供の仕事だと教えてくれたからだった。以来学校では毎昼食べ物が与えられる。村の食糧事情を反映して、何時もお決まりの小さくて固いパンと薄い豆のスープと言う乏しい食だが、食べ盛りの子供にとってはご馳走だ。その拳骨ほどのパンを、ジーニアスは密かに鞄に隠して持ち帰る時がある。初めは後で食べる為だと思っていたが、腹を押さえて切なそうにしていたり、水ばかり飲んでいるのを見て気が付いた。あの食料は、村の何某でもない誰かの手に渡されているのだ。
 多分、姉であるリフィルに内緒で犬でも飼っているのだろう。
 落ちた視線の先で痩せ細った草が石の間で項垂れていた。この辺りではそれでも草が生えるだけ良い。少し南下したトリエット地方では、土地の殆どが砂に変わってしまったと聞いた。
 日差しの強さに萎れそうな前髪を掻き上げる。
「なぁ、友達のいる所って遠いのか」
 太陽の位置は日の出から数え夕七ツに差し掛かる辺りだった。
「乗ってくか?」
 後は比較的なだらかな道であるから、ノイシュも二人を運ぶくらい容易いだろう。ましてや、同乗するのは常の乗り手より頭一つ分小さい少年。
 けれどジーニアスは緩く頭を振った。
「せっかく誘ってもらって悪いんだけど」
 三叉路の真ん中で足を止めると、白い指先が一方を指した。
「ここなんだ」
 広い平らな道の先には、聖堂よりも更に大きな鉄の建物がある――ディザイアンの人間牧場だ。
 ロイドは言葉を躊躇った。
 村とディザイアンは条約を結んでいて、勿論ロイドはその詳しい内容など知らなかったけれど、ディザイアンの土地に決して踏み込んではならない約束だと言うことくらいは知っている。幼くとも自分以上に聡明な親友がそれを知らぬ筈ない。
 交差した視線が狭まる。
「ディザイアンだって聖堂に攻めてきたんだ。不可侵条約に反したのはあっちが先だよ」
「そりゃまぁそうだけど……」
 ロイドの言葉は風に溶けて消えていった。
 どだい、己より弁が立つジーニアスを説得しようと思う方が間違っている。けれどジーニアスも、困惑するロイドをそのままに行こうとはしなかった。この小さな友人は本当に頭が良いのだ。村の掟に反する悪い事だと言うことくらい、ロイドが言わなくてもちゃんと分かっている。
 二人見下ろした視線の下で、青い小さな靴の爪先が土を抉っていた。
「どうしても神託があったことを伝えたい人がいるんだ」
 彼がそうと決めているならば、友として取るべき道は一つしかないだろう。エルフ族の友人には時々、ロイドだって敵わない我の強さがあるのだ。
「……わかった。でもお前一人じゃ心配だから、俺も付き合うよ」
 ジーニアスは魔術の火を灯す時のように一瞬で顔を輝かせた。
 揃って高い塀が続く道を駆けると、その先は鉄の柵で囲われた敷地だった。否、牧場内に人々を閉じ込めているのだから、柵と言うより檻に近い。木々の合間に隠れながら垣間見えた向こう側の様子に、思わず腰に提げた柄をきつく掴んだ。
 人々が檻の中で働かされていた。皆、聖堂の中で遭った屍のような魔物に似た、生気のない顔をしている。
 死角になっているらしい鉄柵の傍に身体を滑り込ませた瞬間、ディザイアン達が鞭を振るった。背を打つ嫌な音が響いて、鳥が飛び退いていった。
 リフィルから隠す為とは言え、何もこんな所で犬を飼わなくとも良いだろうに。文句を探している内に、傍らの小さな肩が持ち上がり高い音を吐いた。吹子から空気が漏れているような巧くない指笛だったが、恐らくそれが合図だったのだろう。柵の向こう側から密やかに影が近付き、ジーニアスの姿を認めると微笑んだ。
 あ、とロイドは目を見張った。
 出てきたのは犬でなかった。年老いた人間の女性だった。