養父ダイクと共に暮らす家へ着いた時には、身を傾けた太陽が木の壁と母の眠る墓を黄金色に染め始めていた。
利口なノイシュは、ロイドを降ろすと脇に建てられた自分の小屋に入り桶の水を飲み始めた。今晩の食事の量は、少々奮発して働きに報いてやらねばならないだろう。勿論、幾ばくかの口止めも含んでいるが。
「おかえり」
養父は、丁度作業の一区切りついたところだったのか、立ち上がりロイドを迎えた。茶でも入れよう、と言って分厚く膨れた手が金屑の飛ぶ竈の上にやかんを置く。
ドワーフと言う種族は普通地上で暮らさないらしく、ロイドは養父と同じ生き物を他に見たことがない。自分とは確かに違う。けれど、それだから何だと言う事もないだろう。髭は祭司長と競って良いくらい立派で、膨れた腹は雑貨屋の小母さんも似たようなものだし、ジーニアスは同じくらい――小柄だ。
「ただいま、親父」
腰に帯びた剣を外しながら、ロイドは殊更ゆっくりと応えた。
瓶に貯めた水で手を洗い、水面に映った揺れる自分の表情が、あまり強張らないよう気を付けながら口を開く。
「あのさ、要の紋を作ってくれないか?」
極力不自然にならないようにと軽い調子で持ち掛けたものの、持ち出す頃合いは唐突に過ぎたらしい。
「何でぇ、いきなり」
ノイシュの尻尾のように豊かな眉毛が、不可解な頼みを聞いた、と持ち上げられる。
確かに、養父の仕事を見ていても要の紋だけを作る依頼など聞いた事がない。
「今日知り合った人が、要の紋なしのエクスフィアを着けてたからさ」
出来る限り牧場のことに触れないよう、ロイドは注意して言葉を続けた。
「要の紋なしのエクスフィアは体に毒なんだろ。それともまさか、一旦要の紋なしのエクスフィアを装備したらもう手遅れなのか?」
「そんなこたぁねぇ。ただ――」
ダイクはふーっと白い息を吐き出したやかんに乾いた茶葉を投げ込むと、同じくらい大きく息を吐いた。
「要の紋がないエクスフィアは取り外すだけでも危険だ。だから抑制鉱石でアクセサリーを作って、それに呪を刻むことで要の紋にするしかねぇなぁ」
密かにロイドは、そんな事で構わないのかと拍子抜けていた。その想いはそのまま声音を明るくする。
「じゃあ、腕輪で良いからすぐ作ってくれよ」
それをジーニアスに渡せば解決だ、と気持ちが浮き立っていられたのは一瞬だけだった。
「ちょっと待て」
荒い茶毛の頬髭と顎髭の中から覗く、小さいが鋭い瞳がじっとロイドを見つめた。
「その要の紋がないエクスフィアってのはどこの誰が身につけてるンでぇ?」
「あー、えっと……旅の」
マーブルの事は言えぬ。言い淀んだその時、啓示のようにクラトスの顔が思い浮かんだ。
「旅の人だよ。旅の、傭兵」
要の紋の有無は別として、エクスフィアを身に着けていた事は事実だ。まるきり嘘でなく、一分の隙もない、とロイドは密かに歓声を上げた。
だが養父はそれほど甘くなかった。
「そんな訳ねぇだろう」
見破ったダイクの説明は簡単だった。
「エクスフィアってのは、ディザイアンどもの道具だ。奴らから奪ったんなら、要の紋もついてるはずでぇ」
それは、と応えかけた言葉が途切れた。視線が下がり、足の爪先は土間の土を掘り返し始める。
ドワーフの誓い、第11番。嘘つきは泥棒の始まり。
その教えがロイドの脳裏を駆け巡り、縛り上げていた。
「正直に話せ。どうして要の紋が必要なんだ?」
最早ロイドに嘘を吐く気力はなかった。ただ養父との約束を破った事実を認め謝る強さが欲しいと願い、二度唾を飲み込む。
「……今日、牧場で知り合った人が要の紋なしのエクスフィアを着けてた」
真実は想像していたよりも容易く言葉になった。だが――
「牧場に行ったのか!」
「わ、悪かったよ。ちょっと色々あってさ」
言葉の終わりは口の中に籠もり、歯の合間に物が挟まった時のような嫌な感覚を残した。
「ディザイアンにエクスフィアを見られなかっただろうな?」
「大丈夫だよ」
それだけは確実に請け負い、けれどロイドは解せず問うた。
「でも、どうしてそんなにこいつのことを隠すんだ? 今日村に来た傭兵なんか堂々と装備してたぜ」
ダイクはじっとロイドの瞳を見つめると、筋肉の付いた肩をふと落とした。
「……お前のエクスフィアは特別なんだ」
ディザイアンが装備してる物とは違うのか、とロイドは首を傾げたが、ダイクは暫し沈黙を保った。竈に送る風を強め、額に噴き出た汗を拭う。
「そのエクスフィアはお前の母親の形見だ」
再度湯気を吐き出し始めたやかんが、がたがたと体を震わせた。
「ディザイアンはそいつを奪うためにお前の母親を殺したんだ」
また、ディザイアン!
ロイドは脳を直接殴られたような衝撃を感じ、魔法の石が宿る左手を戦慄かせた。
聞いた事のない話だった。母親は崖崩れの事故で死んだのでなかったか。
「牧場近くの崖でお前を拾ったときの話はしたな? その時、まだ母親には意識があった。そこで聞いた。間違いあるめぇ」
それを聞いたロイドは怒鳴り声を上げていた。やかんより激しく息を震わせて。
「何でそれを今まで黙ってたんだよ!」
「言えばお前は、ディザイアンに突っ込んで行っただろう?」
その指摘は余りに的確で、激したロイドの口も封じた。
養父は溜息を一つ零すと、すっかり陽が落ち闇を招き入れていた窓に幕を下ろした。
「昼間、救いの塔が出現した。後はコレット嬢ちゃんに任せておけ。そうすればディザイアンも滅びる」
「……だけどよ」
「お前はディザイアンに関わるな。母親が命を懸けて守った、エクスフィアとお前自身を大切にするんだ」
養父の気持ちは分からないでない。自分の事を思って言ってくれている事も分かる。
ゆえにロイドは、一度左手の布の下に隠れた輝きをじっと見据え、それから真っ直ぐに顔を上げた。
「……で、要の紋は作ってくれるのか?」
「ロイド! 話を聞いてなかったのか」
そんな訳はない。
「聞いてた」
静かに、少し憮然とした調子が入ったのは致し方ないとしても、出来るだけ落ち着いて首を振り、それからロイドは叫んだ。
「聞いたら尚更ほっとけねーよ!」
そう叫んだと同時に目の前に火花が散った。
殴られた! と、分かったのはダイクの険しく吊り上げられた瞳を眼にしたからだ。鉄を鍛える腕に一撃を食らい、ロイドは卒倒しかけた――が、何とか意識を踏み留める。
数秒の睨み合いの末、ロイドは怒りと悔しさが入り混じった感情で肩を持ち上げ、一言も弁明なく自室へ続く階段を昇った。ダイクもまた、何も言わなかった。ただ煮立ち過ぎた茶の蓋がからりと転がった音が、虚しく聞こえていた。