門のところで二人を出迎えてくれたのは、望んでいた幼馴染みでなく、彼女の祖母ファイドラと父親フランクである。ロイドも悟らざるを得なかった。
「ばあさん」
滑り落ちるようにノイシュから降り、ただひとつだけを問う。
「行っちまったって、本当か?」
ファイドラは静かに首肯した。
思っていたほどの激しい感情は湧かず、空虚な波紋ばかりが胸の内に広がる。
「コレットのやつ、俺に時間を間違えて教えたのか?」
それとも、子供の同行を嫌った傭兵か先生が急遽出立を早めたのか。
零れたのは問いと言うより、自分を納得させる呟きだった。だがそれはファイドラの豊かな皺で覆われた表情に奇妙な情を浮かび上がらせ、ロイドに言いようのない焦りを感じさせた。
柵で区切られた村と外界を結ぶ門の向こう、南の先を指差して見せる。
「なぁ、追い付くには、七曜の星に背を向けて真っ直ぐ行けば良いんだよな?」
「ロイド」
遮ったのは、さして強くもない声だ。凪いだ空のように落ち着いた瞳で、フランクが柔らかく言った。
「そのことでコレットから手紙を預かっているよ」
――手紙?
漸くノイシュから降りて来たジーニアスが鸚鵡返しに言ったその単語は、ロイドの中でも同時に反復されていた。
何故、彼女は手紙を書いたのだろう。
脳が囁く自身の答えを、ロイドは必死に否定した。自分は昨夜、また明日、と言ったのだ。一緒に行く事を確かに告げたのだ。約束した首飾りは未だ此処にあるのだ。
手紙など読みたくない、と無性に思った。だが自分に宛てられているならば、読まないわけにいかない。
「二人とも家に来ると良い。なに、直ぐそこだろう」
断る所以はなく、荷物ごとノイシュを村の外に置いて、二人は血族に従った。
神子の旅立った村は既に日頃と同じ光景を取り戻していたが、やがて訪れるだろう再生への期待が、ハレの日の舞い上がる気持ちに似た残滓として漂っていた。短い路を行く間も、人々は再生への期待を繰り返し語り、もう何度も同じことを繰り返したのだろうファイドラが謝辞と祝福の言葉を口にする。飽く前にブルーネル家に着いたのは幸いだった。
戸が閉ざされ、世界が切り離される。静かな空間の中で、フランクは村人の誰かが持ってきたのだろう机上の焼き菓子を勧めたが、応えたのはジーニアスのみで、ロイドは目の前に置かれた手紙に意識のすべてを注いでいた。
渡されたのは真白い封筒だ。
半分に折り畳まれた便箋を広げると、親愛なるロイドへ、と言う何時か先生が教えてくれた正式な手紙の書き方で始まっていた。
中身は至極簡単であった。
「親愛なるロイドへ
これをロイドが読む頃には、私はもう旅に出ています。
ごめんなさい。
私はロイドに嘘をつきました。
世界再生の旅は、今まで大勢の神子が失敗してきた危険な旅です。
大好きなロイドを巻き込みたくなかったの。
私ががんばって魔物やディザイアンを鎮めるから、ロイドは再生された世界で平和に暮らして下さい。
今まで仲良くしてくれて、本当にありがとう。
ロイドに巡り会えて私は幸せでした。
さようなら。」
一番最後に、コレットの名が書かれていた。予定より詰めて書いてしまったのか、充分すぎる余白の後に記されたそれは、まるで白い手紙の中で一人迷子になっているようだった。
他にも何か書かれてないか、ロイドは手紙を裏返し、透かし、もう一度頭から眼を通したが、書いてあったのはそれだけだった。
「……何だよ、こんなの」
ロイドを置いて行ったのは他ならぬ神子の意思。それは分かった。けれどこれでは、コレットの気持ちなど何も分からない。
想いが胸の奥で絡まり、酷く掠れた音になって喉に嫌な感触を残しながら滑り落ちた。
「まるで遺書みたいじゃないか……」
旅立ちの日に相応しくない言葉だったが、フランクが咎めることはなかった。それどころか、彼は深く頷いたのである。
「そうかも知れないね」
「それ、どういうことなの?」
代弁した親友の声の中に、好奇心より不安の色を強く感じたのは、間違いでない筈だ。
応えるように二人の名を呼んだフランクの方は、吐息混じりの調子だった。彼はおよそ大声で話すと言う事がなかったけれど。
「君たちにも、村のみんなにも隠していたことがあるんだよ」
彼は決して殊更に言葉を潜めてみせたりはしなかった。だが、沈痛な色は隠しようがなく、子供たちは、それを沈黙を持って受け止めた。
「コレットは――」
その名の先に、言葉は続かなかった。口に上らせる事を躊躇っているような、そんな様子が続き、ややあって小さな否定を言い添え、フランクは名を呼び変えた。
「神子さまは、もう」
その時、轟音が大地を揺らし、窓を真紅に染め上げた。