天の響

25:手紙

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「大変なことをしてくれたな。見ろ! この村の惨状を!」
 肩が掴まれ、強い調子で上がった村長の声に合わせ視界が揺れる。ロイドは思わず視線を伏せた。同時に、喉元まで迫り上がった理由を飲み込む。もう、何を言っても言い訳にしかならない。
「ごめん……なさい」
 それだけの言葉が、酷く重かった。
 怒気が応えて断じる。
「謝って済む問題じゃない」
 音にしたのは村長一人だったが、その背後では村人達が半円を描き、昏い眼でロイド達を見遣っていた。
「奴等はお前を敵と認定した。お前がいる限り村の平和はないのだ。……わかるな?」
 わかる。
 最後だけ潜められた言葉の剣呑さに反応したのは、自失していたはずのジーニアスだ。
「ちょっと待ってよ! それってロイドを追い出すってこと?」
 ロイドを放し、少年に向き直った村長の首が重々しく肯んじた。
「そんな! ロイドは、ただマーブルさんを助けただけなのに」
 翻意を求め周囲を見回したジーニアスを、人々の視線が突き刺す。頷く者はなかった。
「牧場に関わる全てが禁忌だ。例外はない」
 それが不可侵条約であり、村で暮らす者の領分なのだ。
 ロイドにも分かる事を、あんなに頭の良い親友が理解していないはずはない。けれどジーニアスは重ねて叫んだ。
「じゃあ、村を守るためなら人間牧場の人は死んでもいいの!?」
 その問いに、幾人かは恥じた様子で視線を逸らしたが、怒りと、悲しみを含んだ声は先の炎よりも激しく人々の合間から立ち上った。
「どうせ牧場の人間なんて、あそこで朽ち果てる運命じゃないの」
「そうだ。余計なことをしなければ死ぬのはそいつだけですんだのに」
 この時子供たちは初めて、何時も自分達の悪戯を仕方なさそうに笑って見ていた隣人たちが、他者に対してこれほど残酷になれる事を知った。
 煤に汚れた小さな手が拳を作り、微かに震えた。
「……人間なんて、汚い――」
 あ、とロイドは胸の奥で声を上げ、止める意図を持って少年の肩を引き寄せた。小刻みな振動を手の中で押し止める。
 こんなことを友人に言わせたくなかった。言われたくないとも、思った。
 それゆえ応えは自然と口をついて出た。
「出て行きます」
「ロイドは悪くない!」
 もう一度、ジーニアスは声を上げた。
「牧場に誘ったのはボクだ。だからボクが悪いんだ」
 だが村長は首を振った。
「ディザイアンが狙っているのはロイドだ。それにロイドは元々村の人間じゃない。ドワーフに育てられた余所者だ」
 それは幼い頃から何となく気付いていた壁だった。村での生活の中、ふとした拍子に人々が見せた異種族や異邦人への恐れは、掃除の手を抜いた一月の井戸の澱みに似て、奇妙に暗く重い感触をしていた。
 それでもロイドは、その壁は薄く低く、何時だって乗り越えられるのだと信じていた。
 信じていたのに。
「だったら、ボクも出て行く。ボクも同罪だ!」
 この時、壁を乗り越えたのはジーニアスの方であるようだった。但し、忌まれる側へ。
「ジーニアス、お前……」
 続く言葉を見出す困難を感じ、ロイドは口を噤んだ。
 嬉しくないと言えば嘘になる。巻き込んで良いのかと言う躊躇いがその裾を引いている。そして親友の顔に固い決意がある事に、安堵とも落胆とも言えぬ感情が湧く。
「ならば、仕方がない。村長権限でここに宣言する」
 村長の声は、告げる内容の重さに反し些か平坦であった。
「ただ今をもってロイドとジーニアスを追放処分とする」
 それは村への立ち入りも許されぬ、死と等しい宣告だ。だが――ロイドはそれを受け入れ、頭を下げた。
「迷惑かけて、すまなかった」
 頭を下げたと言うのは適切でない。増した自重に耐えきれず項垂れたのだ。
 冷ややかな視線と、罵倒がロイド達の上を通り過ぎていく。ただ、処分を受け入れ広場から去った村人たちは未だ良いのだとロイドは悟っていた。残った者は、家を焼かれ、家族を失い、どうして良いのか分からないのだ。そう思うと、下げた頭が戻る頃合いは見付けられない。
 誰かが近付く気配に身が強張った。殴られる、と覚悟したその時、地面へ落ちた視界に白い靴が現れ、ファイドラだと分かった。
「その気持ちがあるのなら、どうか神子様を追いかけて守ってやっておくれ」
 促され、ようやく持ち上げた視線を受け、ファイドラが頷く。傍らのフランクは、娘がそうするように淡く微笑した。
「コレットも、きっとそれを望むはずだ」
「ああ」
 肯定の言葉は溜息を吐くのに似ていた。
「償いはする。俺のせいで亡くなった人のためにも、必ずコレットを守るよ」
 願った形とは余りに懸け離れてしまったけれど、今はそれが唯一の為せる道だった。
「ボクは、ロイドについていくよ。ロイドが追放されたのはボクのせいだもん。だから……ずっとついていくから」
 菫色の瞳が涙とは別の要因で瞳を光らせ、ロイドを見上げた。その視線に胸が詰まる。
 親友の決意に、何と応えれば良い事だろう!
「なぁ、ジーニアス。そのエクスフィアはお前が装備しろよ。マーブルさんの、形見だ」
 彼が握り締めたあの青い石を指差し、ロイドはほんの微かな、巧くない笑みを頬に浮かべた。
「要の紋の使い方はゆっくり説明する。どうせ……長い旅になるしな」
 ロイドの言う所を正しく理解し、ジーニアスはぎこちなく肯いた。何処へ隠れていたのか、門から顔を覗かせたノイシュも、まるで事情を悟っているかのように悲しく鳴き声を上げる。
「マーテルさまのご加護がありますように」
 フランクが与えてくれた祈りを最後に、門を潜り、ロイドはノイシュを牽いて歩き出した。濡れた鼻面が数回背中に押し付けられるのを無視して、前だけを見つめて。横にジーニアスが並ぶ。
 村から遠離る中、二人の背中は、村人に語りかけるファイドラの声を聞いた。
 さ、焼け出された者はワシらの家を使うと良い。マーテルさまが守って下さっておるからの、もう安心じゃ――その言葉に従い、漸く人々が安堵の表情を浮かべた様子も、思い浮かべる事が出来る。きっと血族の言葉通り、女神の軒先が彼等を受け入れ守るだろう。
 けれど、子供たちを守るものは互いの影しかなかった。