天の響

33:砂漠

フォント調整 ADJUST △ - ▽

 夜の訪問客を迎えたのはリフィルだけでなかった。
「先生――コレットも、まだ起きてたんだ」
 リフィルは小さな机の上に帳面を広げ、何かを書き込んでいるところだった。コレットはその傍らの寝台に腰掛け、ロイドと視線が合うとはにかんだ様子で微笑んだ。
「ええ。モンスターについて調べたことをまとめているの。あなたこそ、夜更かしはいけなくてよ」
 喜ばせようと思っていたのに、悪戯を窘めるような調子で言われたことが癪で、幼い仕草だと分かっていながら、ロイドの口先が尖った。部屋へ入る直前、後ろ手に隠した要の紋を手の中でころりと転がす。
「先生の要の紋を直してたんだよ」
「ええ、分かっているわ」
 修繕に没頭する姿を見ていたのだから、それは当然だ。リフィルは澄ました顔で応えてみせた後、弟へ向けるのと同じ優しい笑みに表情を改めた。
「でも無理をしては駄目。旅は長いのだし、いつでも構わないのよ?」
 勉強が苦手なロイドだが、その意味はすぐに理解できた。
「ってことは、俺もジーニアスもこの旅についてっていいんだな!」
 喜びに比例して声は大きくなった。瞬間、時刻と場所を思い出して今度は蒼醒めたが、リフィルは苦笑しながら唇に人差し指を当てて、それ以上咎めることをしなかった。
「はなからそのつもりでしょう?」
 無論、その為に追ってきたのだ。しかしこれほど早く認められるとはさすがのロイドも思っていなかった。村で名乗りを上げた際に簡単にあしらわれた事もある。何より、クラトスが同意するとは信じ難い。
 応じるリフィルの視線はロイドを通り過ぎ、傍らに向けられた。
「神子の許可も出ていることですからね」
 再生の旅におけるすべての決定は、神子の意思が優先される。自明の事が、ロイドの不意を衝いた。
 同行を許す神子の言葉は確かにあった。あの夜、月の下で。けれどもそれは偽りを含んだものであり、コレット・ブルーネルとしての真実の想いは、あの奇妙な手紙にしたためられていたのでなかったか。すなわち、友を危険な旅から遠ざけようと言う意思が。
「――コレット」
 良いのか?
 そう問うつもりで少女の名を呼んだロイドに、コレットは頭を下げた。
「ごめんね」
「え?」
 唐突な謝罪に、ロイドの首は自然と傾く。
 何を償おうと言うのか、疑問は本人の口から明かされた。
「お父様もお祖母様も……私も、ロイドの追放を止められなくて」
 ロイドは目を瞠った。
 人々の幸に尽くすことはマナの血族の務めであるらしい。ゆえに、先日のディザイアンの襲撃の被害にも助力したいのだろう。だがそれは充分に果たされている。ファイドラは災禍に呑まれた村人達に安らぎを与えていたし、ロイド自身、フランクに受けた言葉があったからこそ道を失わずコレットを追うことが出来たのだ。
 なにより、謝るべきは勝手な行動で村に厄災を呼んだロイドであって、決して彼等でない。ましてやその場にいなかったコレットにどんな責があると言うのか。
「バーカ、おまえはそんなこと気にしなくて良いんだよ」
 明るく応じて見せたのは、幼馴染みが小さな双肩に背負ったあまりに多くの荷を少しでも吹き飛ばしてやりたかったからだ。
 しかしコレットはそれすら手放すまいと首を振り、結んだ手の中に何もかも閉じ込めてしまった。
「マーブルさんって人の為にも、世界再生、頑張るから」
 笑みは柔らかいが、その瞳は自身が定めた道を真っ直ぐに見つめている。
 ああ――とロイドは応えた。それが感嘆なのか嘆息であるのかは彼にも分からなかった。
「それでロイド、あなたはどうしたの?」
 続く言葉を失い沈黙の中に揺蕩っていたロイドをリフィルが掬い上げる。それで当初の目的を思い出したロイドは、背に回していた手を開き、中の物を差し出した。
「要の紋が出来たから渡そうと思ってさ」
 ひとつなぎの細工は涼しい音と共にリフィルの手のひらへと移された。
「もう直ったの? ありがとうロイド!」
「わぁ、綺麗だね!」
 二人は頬を寄せるようにしてリフィルの手元を覗き込み、歓声を上げた。
 華やいだ様に、コレットへのプレゼントも一緒に持ってくれば良かった、とロイドは己の迂闊さを反省した。それがあれば、コレット自身をもっと喜ばせてやれただろう。
 リフィルの手の中で、花弁を広げた要の紋の中心に魔力の石がぴたりと組み合った。吐息に似た呟きが零される。
「これがエクスフィア……」
 ロイドとコレットは顔を見合わせた。
 リフィルは陶然たる様子で、瞳の中まで紅潮したように彩を変えている。
「――先生?」
 けれど呼び掛けに応えてロイドに向き直ったのは、常の『リフィル先生』だった。瞳に不可解な色の光はなく、ただ、エクスフィアを大切そうに握り締めた。
「コレットもロイドも、もう休みなさい」
 頷き、ロイドは空になった右手を軽く挙げた。
「わかった。じゃあ、俺行くよ」
「うん、お休みなさい」
「どうもありがとう、ロイド。ゆっくりお休みなさい」
 帳を引き開き、一歩踏み出したところでロイドは立ち止まった。背中を追うコレットの視線も一緒に動きを止めたのが分かる。
 これだけは告げておかなければならない。
「ありがと、な」
 コレットが微笑んだのを、ロイドの背中だけが見ていた。