地底へ続く道は、半ばから陽の届かぬ深みにあったが、不思議と仄かな明るさがあった。
手持ち無沙汰な様子で、ジーニアスは提げた灯籠を大きく揺らした。壁に映る影は、一行へ襲い掛かるように天井まで立ち上がる。少女が上げた悲鳴は、蹌踉めいた拍子にロイドの背中に吸い込まれた。
常ならば弟の悪戯を嗜めるリフィルは、遺跡の壁や床に一々感嘆して視線を彷徨わせている。代わりにロイドがジーニアスを小突き、コレットの仇を取った。
階段を降りる程に明るさは増していく。最後の段に降り立ったその時、地中の灯火の正体が明らかになり、一行の足は止まった。
「見ろ。我々は今、古代文明の極みを目の当たりにしているのだ!」
リフィルの興奮も、やむないことだった。
それは巨大な空間であった。イセリアで最も広大なマナの血族の土地よりも広いだろう。地底を刳り抜き石を組んだ工数を考えただけでも途方ない。
道の先は所々で途切れ、覗き込んだ底には紅く燃える火の川が横たわっていた。
「姉さん、せめて叫ばないでよ」
嗜めるジーニアスの声には諦めの響きがあった。
その時、姉弟の声に誘われ、天井に潜んでいた影法師が音と共に腕を広げた。今度はジーニアスの悪戯ではない。蝙蝠の群だ!
ロイドは剣を抜いたが、空中で捉えられるのは運の悪い数匹だけだ。思い直し、彼は片手で剣でなく灯籠を取り上げ、蓋を外して頭上に掲げた。溶岩と同居していても、やはり炎は恐ろしいのか、蝙蝠は慌てて一行の手の届かぬ辺りへ飛び退いていった。
ジーニアスの歓声を受け、ロイドは揚々と振り向いた。だが、迎えるコレットの笑顔はそこになかった。ロイドに見ることが出来たのは、傭兵から何事かの指南を受けて頷く彼女の横顔だ。
意気は昂揚していた分だけ急速に下降し、視線もその動きを忠実になぞる。
不快な思いは、そのまま唇を割って出た。
「あんた、コレットに戦わせるつもりかよ」
コレットの手には、円形の刃チャクラムが握られている。傭兵はそれに手を添え、何かの型を示していた。
灯に照らされ紅く光る眼差しはコレットへ向けたまま、男の声が静かに応えた。
「神子にも己の身は守って貰わねばならん」
この先、如何なる戦いが待ち構えているか分からない。危険が身近く迫ることもあるだろう。その時、神子は自身で己の身を守らねばならない。再生の旅は、神子が救いの塔に至らねば成就しないのだから。
そして神子が身を守り抜くことさえ出来れば、必ず護り手が彼女を救うだろう。
「この技だけは忘れぬことだ」
「はい」
金色の頭が一つ頷く。
動きに合わせて髪が揺れた。それは雲が春の空を渡る様に似て麗らかな動作だった。けれど、その髪先にはきっと茨が付いていたのだ。証拠に、ロイドの身体の内側のどこかを引き掻いて、腹の奥に痛みのような炎を灯した。
「俺だって!」
上げた声の大きさに、コレットとクラトスが揃って向き直る。
ロイドは空いた腹へ誇りを詰め込んで膨らませると、二人の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「あんたの助けなんか待たなくたって、コレットは俺が守る」
少女の目元は熱に溶けて崩れ、赤子のように笑んだ。それは女神像の浮かべる神々しい微笑や、聖典に謳われる神子スピリチュアの慈愛に満ちた微笑みとは掛け離れていたけれど、確かにロイドが守るべき幼馴染の笑顔だった。
「うん。ありがと、ロイド」
まだ何も為していない身では、些か気恥ずかしかったけれど。
奥から姉弟の呼び声がして、コレットが歩みを再開する。その背を見送り、ふ、と傭兵は零した吐息の先で笑った。
「……精進するのだな」
言われなくても!
ロイドは肩を怒らせ、足早にコレットを追った。躓きながら歩いている彼女と肩を並べるのは容易い。追い抜きざま、白い手を取る。少しはにかんだ笑みを浮かべた顔は、振り向かずとも見る事ができた。
時折、床石に足を取られたのか、繋いだ掌が強張り、確かめるように手を握り締めてくる。
互いの手を繋ぎ、二人は遺跡の中を進んだ。
回廊の端には静かに存在感を放つ大きな両開きの扉があり、リフィルはそこに仁王立ちで待ち構えていた。
「お前たち! 遅いぞ!」
いつの間にか、遺跡の中の仕掛けを解いて回っていたらしい。
姉の傍らで床に座り込んだジーニアスと目が合い、二人は思わず同時に苦笑した。途端、鋭く名前を呼ばれ、反射的に飛び上がる。だがそれは叱責でなかった。
「ロイド、お前はソーサラーリングを持っているそうだな。あの燭台に向かって撃ってみろ」
指差された燭台は欠けた足場の先に立てられていた。慣れた手順で指輪を向け、火を放つ。灯が点った瞬間、扉の中央から微かな錠の外れる音がした。待ち構えていたリフィルが扉を押し開く。
扉の奥から吹く風は、思いのほか穏やかだった。
眼前に広がるのは、イセリアの大聖堂と同じ様式で造られた祭壇の間であった。
広い空間の中に支柱はなく、壁には彫刻の施された石が文様のように組み込まれていた。天井はやはり大きく円みを帯びていて、そこから柔らかな光が発せられている。地中の遺跡であることを忘失する光景である。
「ここも魔科学で造られているな。素晴らしい!」
リフィルは両腕を広げ、舞うような足取りで進み出ると歓声を上げた。
思いがけぬ子供のような一面も、知ってしまえばどこか微笑ましい。村の教師と生徒として暮らしていた中では得られなかった事実を、旅が教えてくれたのだ。今やロイドは、己が、かつて他ならぬ教師が教えてくれた逸話に登場する井戸の中の蛙だったのだと感じていた。リフィルを完璧な女性だと思い、そして自分を強い男だと信じていた少年の世界は、神子の旅に導かれ急速に広がり始めていた。
旅が続けば、もっと多くのことを知ることができるのかも知れない。
その時静かな変化が起こり、一行は浮ついた気持ちを地上に引き戻した。祭壇が、仄かではるが輝き始めたのである。
それは凝縮するように中心へ輝きを増し、なにかを形作ろうとしているようだった。
天使──?
ロイドは思わず、一歩、二歩近付き、祭壇の前で足を止めた。
光が大きく膨らみ、四つの足で立ち上がる。その姿は一見、獅子のようにも見えた。──その体に炎を宿していなければ。
「魔物だ!」
警告の言葉を聞くまでもなく、そこに立っているのは巨大な魔物だった。
魔物は立ち竦んだ子を見下ろすと、巨大な顎を大きく開いた。見開いたロイドの眼には、その口に鋭い剣のような牙が二本生えている様までよく見える。
瞬間、魔物の喉奥が紅く光ったかと思うと、圧倒的な熱と光で構築されたつぶてが勢いよく吹き出された。