顔の前をふわりと漂う様にロニが思わず眼を細めた薄い羽は、隣を歩く黒衣の剣士の仮面に付いた装飾だった。
「ファンタジーだよなぁ」
嘆息に似た声が漏れる。
それを聞き咎めた様子で、ふいと仮面の付いた頭が動かされた。
「なんだ」
「いんやぁ、今時お前みたいな格好している奴は珍しいって言ったの」
それだけなのだと殊更主張するように大きく両手を振る。もっとも、その動作が行き交う人々の視線を集めていると気が付いて直ぐに止まったが。
剣士──ジューダスは、傍らのロニが振り上げた手で決まり悪そうに髪の毛を弄っている様子を数秒見つめていたが、やがて仮面の奥から覗く瞳をきゅっと不審そうな調子で細めた。
「言いたい事があるならはっきりと言え」
共に旅をしていながら、そもそも出会った当初から、ロニはジューダスを目の敵にしている。その事実は相手であるジューダス本人にも知られている事だった。
そして先日リアラまで巻き込んで行ってしまった口論。
さぞ言いたい事が積もっているだろう、とジューダスは優しくない口調で促した。勿論聞くだけであって、彼には都合の悪い質問に答えるつもりなどないが。
嘆息したロニは衆目を憚って、耳打ちするように腰を屈めた。
「その……よ。目立ってるぜ?」
──彼にとっては予想を大きく外した話で、ジューダスは思わずまじまじとロニの顔を見返した。
ノイシュタットは十八年前の争乱から見事に復興を遂げた大きな街だ。相当な数の人通りがある。それでもジューダスのような格好をした者はいなかった。今時お目に掛かれない貴族趣味な衣装に大仰なマント、そして顔を隠す白骨の仮面。しかもその全身が黒で統一されており、明るい街中では彼が立つ一カ所だけ闇が固まっているかのようにも錯覚された。通り過ぎる際に人々が訝しげな表情を向けるのも充分頷ける。もっとも、正確には先程街路の真ん中で突然手を振ったロニの方が、余計に人々の視線を集めていたのだが。
つと、街の真ん中で見つめ合う少年と青年と言う構図にも奇怪な眼差しが向けられているような気がして、ジューダスはふいと視線を外した。
しかし傍目からはそれがどうしたと言わんばかりの態度で顔を背けられ、ロニは些かむっとして身を乗り出した。自然、背の低いジューダスを見下ろす格好になる。
「あ、そう。目立つのは慣れてるって事かよ」
何か言いたそう──でもなかったがジューダスの意見は無視し、ロニは畳み掛けるように軽い苛立ちを吐き出した。それに対して反対に冷静な声でジューダスが告げる。常にその声に含まれるどこか馬鹿にしているような響きがなければ、もう少し好意的に解釈出来るのだが。
「嫌なら僕と一緒に歩かなければ良い。どうせ向かう先は一つなんだ」
港は街の外れの方だ、と指し示された先に向かって既にカイルとそれを追い掛けたリアラは駆け出して行った。まだ世間知らずで危なっかしい弟分を守るのはロニの役目だったから、今までならば彼も追い掛けて行っていた筈だ。
けれども。
「そう言う訳にもいかないだろうが」
白雲の尾根を越える山小屋の中での一件以来、何でもない風は装いつつもロニの意識は常にジューダスに向けられていた。
別段、彼は好んで仲間に疑いの眼差しを向けている訳でない。しかし如何せん彼は謎が多すぎた。
勿論それを言うならばリアラも十分不思議過ぎる存在だったが、彼女の方はカイルへの淡い好意と言うようなものが見え隠れするしなにより美少女である為、ロニとしては早々に仲間として受け入れ、庇護すべき対象に成り得ていた。
それに対してこの正体不明の剣士は、こちらが好意の欠片すら抱くのが間違っていると思えるほどの愛想のなさだ。何が悲しくて美人のお姉さんではなく、こんな可愛げない男と仲良く歩かねばならないのか……そう自問すると、気持ちが滅入ってくるのをロニは感じた。
元々気は長い方ではない。
「それとも、俺がいちゃ不味い事でもあるのか?」
山小屋でも誰かと話していたような雰囲気があったから、その相手と密会でもするつもりではないかと勘繰ってみる。それによって何が起こるのかは知らないが、カイルに危険が及びそうな可能性は出来る限り排除しておきたかった。
ふと、ジューダスが仮面の奥で頬の筋肉を持ち上げたような動きをした。
「ああそうだな。馬鹿がうつったら大変だ」
ロニの喧嘩腰を押し止めるどころか、却って火に油を注がんとする返答を敢えて選んでいるとしか思えない。
頭の中がかっとなった。
「ああそうかい、勝手にしろ!」
威勢がいいだけの啖呵を切ってから、つと一息に燃え上がったロニの熱がこれまた急速に冷める。改めて何を言ったのか考え直してみると、乗せられてしまった感が強い。
とは言え一度口に出した事を訂正するのもしゃくで、仕方なくロニは店先に置かれたベンチにどっかりと座り込んだ。ジューダスを先に行かせれば、後でカイルたちと合流した際に一緒にいるかどうかで彼が寄り道したか否かだけでも分かるだろうと取り敢えず自分を納得させて、ロニは行き交う人々の流れを眺めることにした。弟分を放ってナンパに精を出すわけにもいかない以上、ただ見つめているだけでしかなかったが。
それだから、視界の隅に見える黒衣が何故か動かない事に気付いたのは数分経ってからだった。
「あれ……ジューダス、行かないのか?」
彼が着けているそれは大して面積がある仮面でもないが、それでも俯き加減の表情を隠すのには充分で、ロニには彼が何を考えているのかまるで分からなかった。
まさか、彼がカイルにするように迷子にならないよう付いているわけでもあるまいし。
身動ぎもしないのが気になって──元々ロニは兄貴分として世話を焼く性分だったから──もう一度問いかけると、ふいにジューダス自身もなんと答えるべきか悩んでいるような風で息を吐き出した。
何時も自信と嫌味をふんだんに盛り込んでいる筈のその声は、心なし小さいような……
「どうせ同じ所に行くんだ。少しくらいなら待ってやっても良い」
ロニは孤児院に帰れば何人もの弟を抱えているようなものである。当然、本心をなかなか口にしない子供だとか、意地を張る事ばかり覚えた子供とも付き合った事がある。だからだろう。嗚呼、とロニは納得した。
少し懸念を覚えるほど知識が豊富だったり、剣の扱いに長けていたりはするものの、ジューダスはカイルと同い年程度の子供だ。それもこのくらいの歳はいわゆる反抗期と言う年代だ。カイルが頭に馬鹿が付くほど正直で真っ直ぐに育ったせいで失念していたが、これくらいひねくれた物言いをしても、それほど異常ではないような気がした。
本心では輪の中に入りたいのに、変に生まれた自負心の為に外から眺めているだけの子供と同じようなものかもしれない。
つまり、都合の良い解釈をするならば。
「お前、一緒に行ってほしいんじゃねぇの?」
わざと可笑しそうに言ってやると、途端にジューダスの肩が大きく動いて異常な反応を示した。
「僕はただ、お前が──」
「はいはい。んじゃしょうがねぇな。迷子になるなよ」
こういう素直ではない手合いには少しばかり強引に。
そう思いながら立ち上がったロニは、まだ不満を言っている割に先に行く訳でも、後に残る訳でもなく付いてくるジューダスをちらりと見やって再び笑みを浮かべた。結局彼は、警戒心と疑念を延々と持続させるのが煩わしいと思えるほどに人が好いのだ。人見知りしないロニにしては珍しく初対面の時から何か気に食わなかったジューダスのような相手でも、共に旅をする以上は巧くやっていきたいと思う。
たとえ格好が珍妙で、中身も外見に劣らず怪しさ大爆発でも、カイルと同じ弟分の延長だと思えば少しは気が晴れそうだった。
勿論、子供扱いはジューダスが最も嫌がる扱いだろうと想像はついたが。
「まァあれだ。こういうガキはお兄さんが引っ張っていってやらないとなぁ」
わざとらしく脳天気な声でそう言ってやると、向こう脛が強かに蹴られた。