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歴史の表層を紡ぐ者

 激痛。
 巨漢に見合わぬ早さで繰り出された一撃に息が詰まった。致命傷だけは避けようと──とは言え玉座から立ち上がった姿勢ではたいした動きも出来ず──捻った身体を、刃は易々と断ち切った。
 激痛に呻き声が零れたのと同時に膝がついた。その衝撃で再び身体中を痺れにも似た衝撃が走る。
 緩慢な仕草で見下ろすと、肩から腹部にかけて袈裟懸けに深い傷が出来ていた。傷口を押さえようと片手を当ててみると、見る間に紅い鮮血が手を隠していった。
 致命傷は避けられたが、手当をしなければ死ぬ。
 こんな状況で思い至ったのは、ごく当然の内容でしかなかった。
 救援か、あるいは敵の増援なのだろうか、複数人の足音とざわめきが謁見の間に押し入った事までは伺い知れた。が、血液と同時に意識を保つ力も外部へ流れ出していた。意識は朦朧として、気力すら塗り潰していく。
 ついに、玉座にもたれ掛かるようにして全身が崩れ落ちた。
「大丈夫か、ウッドロウ!」
 薄れゆく意識の中、その声だけは妙に間近く聞こえ──

 ……奇怪しい。彼は死んだ筈でないか。
 とすると私も死んだのか。

 愛する祖国を、国民を、この混乱の最中に捨て置いて逝く事が出来るだろうか。
 襲撃よりもむしろその事に戦慄して、ウッドロウは早過ぎる死者の国の出迎えを振り切ろうと、最後の力を振り絞って瞼を持ち上げた。
 そして、一瞬だけ意識が痛覚を忘れた。
 思わず声をあげた──つもりだった。正直なところ、吐き出したつもりの言葉は内に籠もっただけで、呻き声にすらならなかったのだが。

 すまない。
 君の名を裏切り者として残したのは私の判断だ……!

 浮上した時と同じように、否、それ以上の速度で視界が闇に覆われていく。
 そして懺悔の言葉を聞くことなく、十八年前見知っていた者と同じ体格の少年がその頃と同じ剣筋で敵に斬り掛かって行った後ろ姿を最後に、ウッドロウの意識は消えた。




 つまり彼、リオン・マグナスは、運命に彩られた歴史の大きな流れの生け贄だったのだ。
 世界中を巻き込んだ争乱の終結後、オベロン社総帥ヒューゴ・ジルクリフトは卑劣な大罪人として、リオン・マグナスは裏切り者として人々の記憶に、そして歴史に名を刻まれた。
 ダイクロフトでの死闘を終えた仲間たちは、あの戦いの真実が歪められ、自分たちが英雄と讃えられる様を唖然とした様子で見つめていた。
 何もかもが歴史の奥底に秘められていった。ヒューゴは天上人の王ミクトランに操られていたこと。リオンはそのヒューゴに愛する人を人質に取られ、苦渋の選択をしただけであること……。
 人々に本当の事を知らせよう。そう言ったのは、心優しい仲間の誰だったか、最早記憶にない。
 けれども。
 ようやく落ち着いた人々の心を、最早終わった出来事でまた掻き乱す事はない。
 あの少年が、汚名をすすいでくれと言うだろうか。
 マリアンの存在が知られれば、今度は彼女が人々から唾棄される事になるやも知れない。
 仲間たちにそう説いて、敢えて歴史の修正をさせなかったのは若き賢王──その頃には既に英雄王と謳われるようになっていた彼、ウッドロウだった。
 彼は既に考えていた。疲弊した世界を、セインガルドの王らすら失った今導いていくのは、自分の役割だと。
 そして覚悟していた。
 その為にはどんな些細な物も利用してやるのだと。英雄と褒め称えるその民衆を動かすために、たとえかつての共に戦った事もある一人の戦士として卑劣であっても……。

 愛する人を守ろうとした少年、それも仲間であった者を殺した、などと。
 英雄と呼ばれるべき彼ら──彼にそんな汚点があってはならない。
 ほんの一点でも、一人にでも疑念を抱かれてはならない。

 彼がこれからの世界を築きあげていくために、リオン・マグナスは裏切り者として厭われる事となった。
 その判断を仲間たちがどう思っていたのかは知らない。それぞれに仕事があり、あの争乱から数年も経てば人々の記憶が風化したのと同様、彼らの仲も縁遠くなった。自分を慕っていたと言う少女も何時しか姿を消した。
 それでも、彼に一度選んだ道を違えることは出来なかった。この道を進み続けることだけが、自分に出来ることだと信じていたからだ。

 ふと、記憶にある少年の姿に彼は語りかけた。
 そうやって、君は歴史の渦の奥底で生きてゆくのだな。そして私はその咎を負って、歴史の表層を生きなければならない訳だが。
 無論、我々のほかには誰も真実を知らない。君が告げなかったからだ。
 君のその覚悟にせめて報いているつもりなのは、生き残った者の傲慢というものだろうか。
 なぁ、リオン君……




 今度の覚醒は、ひどくゆっくりとしたものだった。自分の瞼が開いて、灯りが見えている事に気付いて意識があることを自分でも認識した程度の、そんな起き方だった。
 まだどこか朧気な視界から分かったのはここが気を失ったのと同じ謁見の間で、自分が取りあえず一命を取り留めていると言う事実だった。
「陛下、気が付かれましたか!」
 兵士たちが安堵の声をあげる。

 そうだ、私は未だ死ぬわけにはいかない。
 如何に自分に都合の良い論理だろうとも、ここまで進むために犠牲にしたものの為にも。

 そう心中で零すと、ウッドロウは痛みを堪えながら玉座に腰を降ろした。
 その位置こそが、彼が紡ぐべき歴史の始まるところ。