「子供ゆえの残酷さね」
激しく降り続ける雪で閉ざされた世界を行進しながら、ハロルドがぽつりと呟いた。普段ならば聞き落としそうなその音を、けれども彼の耳は拾っていた。誰に言うでもないのだろうその言葉は、それだけに彼女の思いそのものであるようで。
陽が射すこともない視界の悪さとは少し違う動きでジューダスの歩みが緩んだ。数歩前を歩いていた筈の黒い人影と肩が並んだところで、ハロルドは首を巡らせた。
「私はどっちもどっちだと思ってるけど」
今度は明らかに自分に向けられた台詞だと、ジューダスは隣を見下ろした。深く被ったフードの奥から紫水晶の瞳が輝く。
「ま、今のディムロスにはあれくらい言ってやっても良いと思うし」
軽く語尾を上げて、殊更なんでもない事のように言い放った彼女はなにを思ったのか手を伸ばしてジューダスの肩を──まるで励ますかのように数回叩いた。
対象を肩にしたのは、彼が背中に隠すようにして持つシャルティエを避けての事だろうが、その行為の意図は分からずジューダスは沈黙し続けた。
彼女は知らないのだから。
彼が世界よりもただ一人の愛しい女性を選んだことなど。
気付けばまた速度が落ちていたのか先行したハロルドが背を向けて。
「なんにせよ、あんたが気に病む事はないわよ」
背中を向けたまま彼女が言った言葉に、ジューダスは仮面の奥に隠した紫眼を軽く見開いて一瞬立ち止まる。他の仲間が注意を向けるよりも早く、また歩みを再開したジューダスは直ぐにハロルドに追い付いて、彼女を伺った。
ちらり、と一旦ジューダスが付いてきた事を確認して、ハロルドがふーっと細い糸のような息を吐き出した。
「誰だって出来ることをやるしかないんだから、どっちの主張もそれぞれよね」
竦められた肩上の真白い物が少し落ちて、ほんの少しだけ自然の物とは別の布地の色を顕わにする。
カイルとディムロスの事を気にしている──と思われたのか。
そう思ってジューダスは、彼が何時もそうであるように可愛げのない吐息を落としてハロルドを追い抜いた。
カイル・デュナミスは私人として彼の意思を、ディムロス・ティンバー中将は軍人として彼の決定を、どちらも変える事は出来ない。つまりそれは、何だってそうなのだ。
再び黒衣が先に立つ。その背中に向けてハロルドは口を開いた。
「だから、後悔しないように自分の信じる道を進むだけでしょ。あんたはあんたに出来る事をすればいいし、例えばあんたを止めたりする役は別の奴に出来る事で、あんたが考えなきゃいけない事じゃないでしょ」
普通口内に雪が入らないよう俯き加減に話すのだが、まともに前を向いたため彼女の言葉は半分以上もかき消されたけれども、言葉が届いた証拠にもう一度ジューダスの動きが止まって二人の肩が並んだ。
自分はなによりもただ一人の女性を守りたかった。その為に在ることが総てだった。どれほど身勝手かと分かっていても、それが。
必要以上に足下を見つめて視線を逸らすジューダスの様子に、ハロルドが明るく声を上げた。
「あら、ひょっとして当たりだったの?」
何となくあんたはそう言う事を考えてるんじゃなかと思ったのよね。
なんのことはない。カオス理論も超える女のカンとやらに乗せられた訳か、とジューダスは顔を歪めた。
「……心理学者の真似事もするとは知らなかったな」
「私だって知らなかったわ」
ハロルドは幼い印象を与える顔に不似合いな、いわゆる不適、と言うのが一番しっくりと来る笑みを頬に浮かべた。
「お節介だと思うし……でもまぁ、一番全員が納得いく結末が来るように祈っててよ」
「それはどういう──」
尋ね掛けたところで、ジューダスは双剣を引き抜くと腰を低く構えた。それを見て他の者たちも得物を構える。
これだけ視界が狭いと仲間すら見失いかねない。しかし一カ所に固まって動けばそれだけ、モンスターの不意打ちに晒される危険性が高まる。ジューダスはそう言った気配に鋭く対応してやるのが常だった。
「さぁあんたたち、キリキリ守んなさいよ!」
元々ハロルドの護衛として連れてこられている一行は、一瞬その無体な台詞に微かに苦笑しながらも、姿を現したモンスターたちに対して気を張りつめた。この極寒の地ですら生き延びるモンスター共の生命力には感心させられるが、こちらも歩みを止める訳にはいかないのだ。
そう、自分の信じる道を一歩前へと進むためにも。