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君が信じてくれるなら

 前に進んで行くに連れて、言葉は減っていった。
 歪められた時空の狭間で対面した過去にも惑わされる事はなかったけれど、皆なにかしら思うところはあったのか、また単純に行く手を阻む強敵たちとの連戦に疲れたと言う事もあって、いつもならば仲間達を盛り上げようとして雄叫びや掛け声をあげるロニですら、神妙な顔付きをしている。もっとも、ここが神のたまごと言う特殊な空間である為か数多く現れた目新しいモンスターが多く、従ってハロルドだけはデータ採取を声高に唱えて些かうるさい程だったけれど。
 たまごに足を踏み入れてからどのくらいの時間が経ったのか、あるいは経っていないのか、感覚が曖昧になってカイルは焦燥感に眩暈がしそうだった。
 こうしている間にもたまごは堕ちるのではないか。今自分たちがしている事は間に合わないのではないか。慣れない事をするからだろうか、考えれば考えるほど悪い事を考えてしまう。自分が酷い顔をしているだろうとは、口に出さないものの心配そうに様子を伺ってくる仲間たちの表情から分かったけれども、彼にはどうしようもなかった。
「あのねぇ、カイル」
 ふいに呼び掛けられ、カイルは幾分持ち上がっていた肩の辺りを反射的に痙攣させた。
 誰もが躊躇う中声を掛けたのはハロルドだった。振り返ると彼女は、長かったような短かったような行程の中でもうすっかりお馴染みとなった、スペクタクルズを片手にほうぼうに跳ねた鮮やかな髪を掻きながら、と言う姿勢である。色々と合成して作り出した愛用の杖は、データ採取の邪魔になるからと言う理由で仕舞われていた。
 あまり気の入っていない眠そうな瞳──生まれ付き垂れ目なだけだが──でじっとカイルを見据え、やがてはぁっと大きく息を吐いた。
「そんな気張ってちゃ、ほかの連中まで無駄に重くなるでしょ?」
「なんだよっ! だって急がなくちゃならないんだろ?!」
 決断を下した翌日、神のたまごが現出したと聞いて以来、カイルの頭の中を占めていたのはリアラと自分の決断を無駄にしないと言う一念だけだった。それだけで此処まで進んでこれたと言ってもいい。先程のトラップで記憶の中のラグナ遺跡──リアラと出会い、冒険が始まった場所。そして何時か巡り会う奇跡を約束した大切な場所を目の当たりにし、その気持ちは余計に募っていった。
 不安そうに見つめるリアラの存在も、それに拍車をかけた。大丈夫だから、必ずやり遂げるから……と言葉にするのがもどかしくて、自分を信じてくれる彼女の為にも先に進まねばと感じた。
「おいハロルド、俺達が暗くなってたのは勝手にだなぁ」
 此処まで来て仲間内の空気が不穏な物になった事に忌々しげに舌打ちして、ロニは彼女を弟分から引き剥がそうと声をかけた。が──。
「いいから黙って聞く! カイル、あんたの周りにいる連中は何なわけ?」
 胸を前に突き出すようにしてハロルドが迫った。そうすると元々ある身長差が更に大きくなり、上目遣いでカイルを見上げることになる。
 唐突に発せられた問いに困惑の色を隠しきれないものの、カイルはこの局面にいたって何を言いたいのかと唇を尖らせて言外に抗議してみたが、彼女は眼の光を弱めなかった。ロニも呆れた様子で首を振っているだけで、本気でハロルドを止めようとはしていない。
 仕方なくカイルは当然の回答を発した。
「仲間……だろ?」
 まさかみんな違うって言うのか、と早々に笑い飛ばして話を切り上げようとしたカイルの耳に、脇から挑発するような笑い声が聞こえた。
「仲間、か」
 そう呟くと仮面の隙間から見える口元が皮肉っぽく引き伸ばされる。
 カイルはむっとして腕を広げると仮面の剣士に向き直った。
「なんだよジューダスまで!」
 彼がカイルの両親と同じ旅路を行った過去の人間だと分かっていて、またその豊富な知識や経験に裏付けされた助言は一行が頼りにするところであったけれども、ジューダスの線の細い外見と時折見せる子供っぽい言動はカイルと同年代の少年のものだった。その彼が、大人が子供をあしらうようなやり方で笑った事を酷く理不尽に感じてカイルは吠えた。
 しかし、まだ何処かじゃれ合いのような気持ちで不平を訴えたカイルは、仮面の隙間から自分を見据えてきた冷たい紫眼に動きを止めた。
「お前、僕たちの事を仲間だと言う割には、一人で突っ走り過ぎなんじゃないのか」
 正直、何を言われているのか分からなかった。誰よりもみんなを仲間だと思って信じているというのに、その自分の気持ちを否定されているのかとだけ思って、頭の中が混乱して、何かが喉の奥に貼り付いたままヒリヒリと熱だけを持って籠もった。言葉が出ない。
 するとジューダスは、カイルの後ろでじっと話を伺っているリアラの方に顎をしゃくって見せた。
「リアラの英雄だから、決断はお前にしか下せない……だから責任も、苦しみもすべて自分一人で負うものだと勘違いしているんじゃないか?」
「だ、だってそれは……」
 ジューダスが言ったんじゃないか。
 口唇はそう紡ごうとしたが、言葉は掠れてそれ以上続かなかった。その様子を見て、ジューダスは軽く首を振る。戦う者としては少し長い前髪によって、仮面の隙間から見える眼の辺りが半分近く隠れた。
「確かに僕はお前が決める事だと言ったが、僕たちを頼ってはいけない、などとは一言も言っていないぞ」
 元々こういった台詞はジューダスの物ではない筈だった。いつもならば仲間だと、皆で助け合おうと率先して言うのはカイルの役目だった筈なのに、本人が悩みを抱え込む番になってみれば、それまでの自分の言葉を忘れたかのような振る舞いをしている。そんな状態が良いとは思えなかった。
 今思い返せば、かつて自分が陥っていたのも同じ状況だと思う。
 仲間を信じる事が出来れば、独りで戦う以外の道もあったのかも知れない。けれども結果として彼は掴めたかもしれなかった手よりも、ただ一つ知っていた温もりを守る事を決めた。そのこと自体は間違っていたとも、やり直そうとも思わない。自分の決めた道だった。ただ彼らの、そして彼女の息子であるカイルには、あの時差し伸ばされた手に応えられなかった自分とは別の強さがある筈だと信じたかった。
「そ。つまりあんたが一人で気張ってるってのは、わたしたちを信頼してないって事になるのよね」
 続けてハロルドが新しい理論を説明する時のようにポーズをつけて言ったが、それは戯けたようなその素振りとは逆に、ロニ達やカイル自身にとっても思いも寄らない内容だった。
「なんだと?」
「本当かい? カイル!」
 思わず声をあげたロニ以上に声を荒げて前に進み出てきたのはナナリーだった。
「あたしらじゃ頼りないってのかい?」
 これまでモンスターの襲撃を警戒して外に気を配りながらも、仲間たちのやり取りを酷く緊張した面持ちで見守っていた彼女だが、その己の気遣いも忘れてハスキーな声を一段と高くあげた。幸い付近のモンスターは一掃出来ていたのか、薄暗い道に反響するだけだったが。
「そんな事ないよっ!」
「じゃあ、どうしてだい?」
 反射的に頭を振ってから、カイルは言葉をなくして立ち尽くした。
 信頼していないわけがない。信じていないわけなんかじゃ、もっとない。
「ただ、ただ……」
 なんだと言うのだろう。
 大きな目を更に見開いて茫然とするカイルを前に、詰め寄ったナナリーも困惑気味の表情を浮かべて周囲を見渡した。と、彼女を押し退けてロニはカイルの真正面に立った。
「カイル」
 そっと名前を呼ぶ。それは幼い頃に守ると誓った少年の名だ。今では少年自身も守るべきものを見出して一人の男として成長したけれども、それでもロニは彼を守るべき自分と言う立場を捨てようとは思わなかった。
 だからこそ、彼はハロルドが言い出すまでカイルが抱え込んでいる悩みと向き合おうとしていなかった自分に気付き、そんな自分を恥じていた。否、カイルが自身を見失うほど思い詰めている事に気付いていなかったのかも知れなかった。また少しすればよく見知った何時もの彼に戻ると、勝手に考えていた。
 ロニは背中を屈めてカイルの肩を掴んだ。そしてグローブ越しに感じる少年らしい細い肩──けれどもそれはこの旅の過程で見違えるほど逞しくもなったのだが──を折ってしまいそうなくらい力が籠もるのを押し止めながら、視線をあわせた。
「俺は、……俺たちは、お前の事を信じてる」
 思えば不思議な縁で集まった仲間たちだった。本来生きる時間すら違う彼らは、けれどもこの少年を中心に仲間として存在していた。
「だから、リアラがお前を信じて、そんでお前がリアラを信じて応えたのと同じように、俺たちにも応えてくれねぇか」
 何故カイルが自分たちを信じられない程自失しているのか、正直ロニには分からない。けれども信じて欲しかった。信じ合いたい、お互いに応え合いたい。その気持ちだけは真実だった。
 慣れ親しんだ銀色の瞳がじっと見つめてくるそこに映った自分の表情と向き合って、カイルは口を戦慄かせた。
 見えたのは、情けないほどちっぽけな自分だったから。
「オ、オレ──」
 大事な人を守るのだと思っていた、英雄とはそう言うものだと思っていた浅はかな子供だった。
 けれども自分が信じていたような英雄像は、今や儚い夢と潰えた。世界と大事な人を天秤にかける等という決断を迫られたことで、カイルは自身がそうすべきだと思っていた行動を取れなくなった。信じる道を進めなくなった。
 そうだ、そんな自分が。
「みんなのことは、信じてる。だけど、自分を、信じられなくなってたんだ。本当の強さが、なかったんだ。だから……」
 リアラの英雄は、自分だから。神を殺すことを決めたのは、自分だから。けれどもその責任を、リアラを殺してまで神を否定して、人々の幸福を奪って、その責任を負えるのかなんて分からなかった。
 つん、と鼻の奥が熱くなって、今まで溢れそうな位置で溜まっていたのは涙だったのだと気が付いた。気が付いた瞬間にはもう碧眼から止め処なく透明な雫が落ちて、カイルは咄嗟にそれを拭った。まだ終わってはいないのに、何も出来ず父に縋った子供の時のように泣くことは自分が許せなかった。
 多分責任なんて負えないのだ。高々一人の人間が、どうして人の命や全人類の幸福なんて大きなものを負えることが出来るだろう。どうして負わなくてはと思ったんだろう。
 ただこの胸の奥の気持ちに嘘はつけないから、走ろうと思う。
 自分たちの生きてきた歴史をなくしなくなかったから、ただそれだけの為に自分たちは神を殺すのだ。
 次の瞬間顔をあげたカイルの表情は、神のたまごに突入して以来初めての、何かが吹っ切れたしっかりと前を見据える、皆の知るカイルだった。
「行こう、みんな!」
 みんなを信じている。そのみんなが信じてくれる自分ならば、信じることが出来そうだった。
 或いはみんながいてくれれば、負えない荷物も負えるかも知れない。
「まったく。此処にきてこんな事で時間をとられるとはな」
「ご、ごめん」
 途端にジューダスが吐き捨てて、直ぐに歩き出した。油断なく双剣を構えて進んでいくその背中に思わず謝ると、どちらに向かってか笑い声をあげたハロルドが妙な音程で音頭を取りながらその後に続いた。続いてよし、と気合いを入れ直したロニと、ふっと目元を緩ませて微笑んだナナリーがカイルを促してから進む。
「なんだよぉ」
 元気になったらもう良いのかよ、と怒ったような素振りを見せると、その意気だと笑われる。ああ、自分たちは本当に仲間なのだ、お互い信じあって助け合って、荷物を分かち合う事も許される仲間なのだ、と思うとまた涙腺が緩んできそうで、カイルはいささか乱暴に右腕で目元を擦った。
 と、その傍らでリアラが変わらず見つめている事に気が付いて、カイルは照れ隠しに中途半端な笑い顔を浮かべると収まりの悪い金髪を性急に掻いた。
「みっともないところ見せちゃったな……」
 レンズの飾りが着けられた黒髪が左右に揺れた。
「カイルが元気になって良かったわ」
 そう呟いて笑顔を浮かべると、リアラはカイルの腕にそっと白い指先を添えた。カイルは一瞬涙に濡れているかも知れないと思って背を緊張させたが、黙ってリアラの手を見つめた。
「信じてるから」
 彼女が言うその言葉は誰のものよりも重い。何故ならば彼女はカイルに命を懸けているからだ。だがもうそれを重荷に思うことはしまい、とカイルは決意して、リアラの手を取った。
 リアラが彼に命を懸けたのと同様にカイルは、そう決断した彼女を、そして彼女に決断させた自分を信じることにしたから。
「うん。オレも、信じる。もう迷わない」
 彼女だけではなく自分自身にも話しかけながら、カイルは彼女の手から薄桃色の衣を纏った細い腕、首元へと視線を持ち上げていった。リアラが首に下げていたレンズのペンダントは今はない。二人の願いを込めて、飛んでいったから。それから薄い唇とすっきりとした鼻筋へと移っていく視界の中、カイルは一つ一つの単語を噛み締めるようにゆっくりと口にした。
「みんなで神を倒す。みんなとならやれる。リアラとだって、離れ離れになってもきっとまた巡り会えるって」
 大きな瞳がお互いを見つめた。
「信じてる」
 二人はそう言葉を揃えて少しばかり照れ臭そうに微笑み合うと、仲間たちを追いかけて走り出した。