有翼獅子失踪事件対策本部・後編@右己さん

 一時間後に寮玄関に集合。
 スィフィルにそう言われたとおり、リートは“有翼獅子失踪事件対策本部”が、院非公認のうちに男子寮のとある一室にて設置されたきっかり一時間後、一人集合場所に立っていた。
 一時間というのは、今回の任務の標的“グリフォン”捜索にむけて、スィフィルが設けた各自の準備のための時間である。
 リートが手持ち無沙汰に菓子の詰められたリュックを揺らしながら待っていると、ドアの開く音と共に待ち人が現れた。
「うわぁ…」
 期待通りの羨望の感嘆に、約一時間ほど前に自らかの事件の本部長に名乗りを上げた少年は、誇らしげに胸を張る。
「スィフィルさん、かわいいですよ。すごく」
 本部長はがくりと肩を落とした。
「なんでかっこいいですねて言われへんのや!」
 そう言われて、リートはスィフィルの服装をあらためてまじまじと見てみる。
 まずは頭、彼はリートがちょっと見た事のないような、変わった形状の帽子をかぶっていた。前後に、日よけにはあまり役に立たなさそうな小さなつばがあり、耳あてのついた、格子柄の小さな丸っぽい帽子だ。
 そして、リートと同じく着用義務のある院の制服の上に、これまた変わったコート。院支給のコートではなく、何処から持ってきたのかロングコートとケープが一体化したような服である。
 ただでさえ丈の長いコートは明らかにサイズが合っておらず、袖はだぶだぶで、裾は地面にかなり近かった。
「どうしてコートなんですか?」
「こういうのはな、見た目が重要なんや。探し物のプロフェッショナルはこういう格好をするってきまっとるんや」
 初耳である。
 そう言えば、リートと同じクラスの先輩であるレイヴが、「院に住まう者の出身地の多様性を考えれば、文化的習慣の相違は当然だ」と以前に言っていた。よくわからなかったけれど、きっとそういうことなのだろう。
 お世辞にも動きやすいと言える代物ではないが、そのコートはかわいくて、リートは気に入った。
 右手には、生物室からもってきたのだろうか、かなり大きなサイズの拡大鏡。
「虫眼鏡、何に使うんですか?」
「お、よく訊いてくれたな。これでもってグリフォンを見つけ出す!」
「でも、グリフォンさんってとっても大きいんでしょう? そんなに大きなものを虫眼鏡で探すんですか?」
「………」
「………」
 しばしの沈黙。
「…やかまし!とっとにかく、これは重要なアイテムなんや! わかったら行くで!」
「あっ待ってください、スィフィルさ〜ん」
 と、いうわけで、有翼獅子(略)本部はここに活動を開始したが、残念ながらリートは、スィフィルの左手に握られていた大きな木製のパイプの利用法は、とうとう訊きそびれてしまったのだった。

「まずは現場検証や」
 そう言ってスィフィルが向かったのは、件のグリフォンと出会った場所。
 先ほどの集合場所から幾らも離れていない、寮の玄関を少し出たところである。
 彼らの足元のには、明らかに違う種類の生き物の足跡が一対ずつ刻まれていた。
 つまり、前脚の部分には鳥脚の鋭い爪あとが、後ろ脚には哺乳類の――恐らくは猫科の――巨大な足跡が残されている。
「スィフィルさん、何してるんですか?」
 ごそごそと地面に這いつくばって手にした拡大鏡で奇妙な足跡を調べるスィフィルに、リートは訊いてみた。やや長すぎるコートの裾は、もはや完全に地面を引きずってしまっていた。
 リートには、やはりこの足跡も虫眼鏡で見なければいけない大きさとは思えなかったが。
「手がかりを探しとるんや」
 と、顔も上げずにスィフィルが答える。
「グリフォンさんって地面に潜ったりするんですか?」
「そうじゃなくて、足跡や! 足跡をたどれば奴の居所が…!」
「でも、グリフォンさんは翼があるんですよね。飛んだんじゃないですか?」
「…リートぉ〜! いっつもはボケボケなくせに、どうしてそういうツッコミだけ鋭いんや!」
「でも…」
 何やら考え込みだしたリートには、スィフィルの話は聞こえてないらしい。
「な、なんや、急に真面目な顔して」
 腕を組んでちょっと俯いた「考えるポーズ」のまま、リートはぽつりと言った。
「走るとしたら、鳥さんの脚とライオンさんの脚と、どっちで走るんでしょうねぇ」
 確かに、あの巨体では前脚か後ろ脚片方で走るにはバランスが悪そうだが、動き方の違う鷲の脚とライオンの脚では、連動して走るのも困難に思える。
「って! そんなことはどうでもええんや! ええか、状況を整理するで!!」
 と、立ち上がって巨大な足跡を指差す。
「まず、僕は今朝、寮を飛び出した直後に、ここであのけったいな生き物と出会った」
 スィフィルはその時のことを思い浮かべた。 
 見慣れた風景の中、威風堂々とたたずむ異形の生物。
 圧倒的な存在感と威圧感、その姿には、荘厳ささえ感じた。
 リートのほうに振り返った一瞬のうちに、あの巨体は、スィフィルの前から姿を消していた。
「ほんで、」
 今に至る。
 結局、現場検証にさしたる手がかりは得られず、事件は早くも迷宮入りの相を呈していた…。

「次は聞き込み調査やな」
 現場検証を諦めたスィフィルは、早々と捜査法を転換したらしい。
「あないなどでかい生き物や、きっと他にも目撃者がおるやろ」 
 そう言って歩き出したスイフィルの隣でリートが足を止めた。
「あっ、ロアンさ〜ん」
 先ほど教員室で耳にしたばかりの、今回の事件を引き起こした張本人の一人の名を聞いて、スイフィルも思わず振り向く。
 そこには確かに、金の髪にオレンジのメッシュという派手な頭をしたかのナンパ師が立っていた。
「よぉリート。どうした、スィフィル? 変な格好して」
「あんたには関係あらへん! …いや大ありや!!」
「何言ってんだよ?」
「僕たち、グリフォンさんを探してるんです」
 と、リートが質問の答えになっていない補足を入れる。
「グリフォン…って、何でお前たちが? リカルド教師に授業の単位か何かで釣られたのか?」
「そっそんなんやあらへん! 僕は、院の平和とかわいそうなグリフォンのためにやな…!」
「ま、いーけどね」
 そう言って、ロアンは虚勢を張る後輩を、意地の悪い笑みで見返した。
 図星を指されたスィフィルは何とか反撃を試みる。
「……大体グリフォンなんか召喚してどないする気やったんや」
「だって見てみたいじゃん」
 しゃあしゃあと悪びれずに言い放つロアンに、感情を逆なでされるスィフィル。 
 そうですねぇ、と隣からリートがさらにそれを増幅させる。
「ちっとは他人の迷惑考えて行動せんかい!」
「おかげで成績稼ぐチャンスだろ? 良かったじゃないか」
「く…! ああもう、埒があかん! こないな事してる場合やない、行くで、リート!」
 このお喋りな男に口で争っても勝算はない、そう判断して、スィフィルはリートの腕を掴んで精一杯の早足でその場を立ち去ろうとした。
「がんばれよ〜」
「はぁい」
 ひらひらと手を振って激励を贈ってくれる先輩に、リートはスィフィルに引きずられながらも、しっかりと笑顔で手を振りかえす。
 二人の姿が見えなくなってから、双子の兄は一人ごちる。
「…あいつに見せてやったら喜ぶかと思ったんだけどなぁ。いや、やっぱり怒られるかな」
 自嘲気味に呟かれた台詞は、しかし誰にも聞かれる事のない独り言。

 その後の必死の捜査にもかかわらず、有力な手がかりも無いまま時刻は夕方、院の人工の空が人工の夕陽によって茜色に染められるころ。
「まるっきし手がかりなしかぁ…まったく、何処におんねんグリフォンは!」
 思わず黄昏たくなるような見事な夕焼けに、愚痴をこぼすスィフィル。
「どこでしょうねぇ」
 頼りない相棒は、道で拾った大きな鳥の羽根を玩びながら意味のない相槌を返してくれた。呑気な声が少々癇に障ったが。
 …羽根?
「…リート、その羽根… 」
「あっちで拾ったんです。大きくてキレイでしょう?」
 巨大な羽根、鳩や烏のそれではない、茜の陽光をうけて不思議な輝きを放っている。
「グリフォンの羽根…?」
 言うや否や、スィフィルはリートの指差す「あっち」へと駆け出していた。
「あっ、スィフィルさん?」
 後ろからリートが呼びかけるが、初めての手がかりらしい手がかりに、スィフィルの胸は高鳴り、足は止まらない。
 しかし、それほど走ることもなく、辿り着いた場所にそれはいた。
 そこは、人通りのほとんど無い空き地だった。
「見つけた…。」
 捜し求めていたその巨大な生き物は、スィフィルの記憶の中の姿そのままに、気高く、美しく、威風堂々たる風貌で、
『クぅ〜………クぅ〜…』
 昼寝をしていた。
 猫達に混じって。
 ここは静かで、日当たりもよく、どうやら猫の人気のスポットらしい。
 グリフォンの巨体のおかげで、ほとんど満員になってしまっているが。
「気持ち良さそうですねぇ」
 遅れてついてきたリートがおっとりと眠そうな声を漏らす。夕暮れの陽の光の中、鋭い鳥の眼を瞑って穏やかに眠るグリフォンを見て眠気が移ったらしい。
 しかし、それを言うならこっちだって眠いのだ。
 なにせ今日は半日グリフォンを探していて疲れているし、昨日は宿題を夜遅く、いや朝早くまでやっていたのでろくに寝ていない。それなのに、このグリフォンのおかげで授業には遅刻。ただでさえ成績が危ぶまれるというのに…。
「…そうや成績! あのグリフォン捕まえなあかん! 僕の成績がかかっとんねん!!」
「どうやるんですか?」
 わくわくと目を輝かせて聞いてくるリートに、しかしスィフィルは絶句する。
「…え?」
 目の前のグリフォンは巨大で、嘴につつかれても前脚に引っ掻かれても後ろ脚に蹴飛ばされても、もしくは踏んづけられたって、おそらくは致命傷であろう。
 何とか起こさずに捕獲したいのものだが、一体どうやって?
 見つけることしか考えてなかったとは今更言えない。いや、言ったところで事態が好転するわけでもない。
「どないせいっちゅーんや…」
 成す術もなく、二人の少年は、ただぽかんと世にも珍しいグリフォンの昼寝を見守るしかなかった。
 ピクリ。
 と、その時、微かにグリフォンが身じろぐ。
 スッと猛禽類の鋭い眼を開き、鷲の首を擡げる。
 空の王者の瞳が、眼下の小さな生物達を見下ろす。
 スィフィルは、その眼に射すくめられて、最初に出会ったときのような戦慄を覚えたが、グリフォンのほうはその再会には何の興味もないらしく、大空を仰ぐと、凄まじい声で一鳴きした。
 何かに呼応するように。
 誰かに喚ばれているように。
 ばさりと翼を広げたその生き物は、その翼を優雅に羽ばたき、あたりに突風を巻き起こす。すさまじい風圧に思わず目を瞑って踏ん張った二人が目を開けたときにはすでに、グリフォンは巨体をものともせずに軽やかに大空へと舞い立っていた。
「あ…あかん! 追うで、リート!」
「はい!」
 二人は、昼寝を邪魔された猫たちがなにやらにゃーにゃーと盛んに抗議の声をあげるその場を後にして、はるかな上空を舞うグリフォンを地上から追いかけた。

「待たんかい! グリフォ〜ン!」
 息を切らしながら叫ぶスィフィルに、しかしその呼びかけに応えるはずも無く、そもそもコトバが通じるかどうかも定かではないグリフォンは、悠然と障害の存在しない空を飛んでいく。
 追いついたところでどうしようもないかもしれないが、追わないわけにはいかないのだ。
 必要以上に長いコートが足に絡まって走りにくい、帽子は既にどこかに落としてきてしまったようだ。
 後ろをついて来ていたリートも何時の間にやらはぐれてしまったらしい。
 どれくらい走ったのだろうかスィフィルの声が届いたのかどうか、グリフォンは段々と高度を下げ始めた。どうやら着地するらしい。
 しかし、その場所は、
 「ここは…」
 自分のいる場所に気付いて、スィフィルはようやく足を止める。
 うっそうと生い茂った木々。
 外から見れば単なる森だが、実はその内部ではめまぐるしく次元の変わるという不条理な性質をもつ、院内でもっとも危険な場所であると名高い“迷いの森”。
 夢中でグリフォンを追ううちに、何時の間にかその手前まで来てしまっていた。
「グリフォンは、ここに…?」
 と、その時、リートがはぁはぁと息を切らして追いついてきた。振り切ってしまったとばかり思っていたが、どういうわけか、ちゃんとついてこれたらしい。
 今日は走ってばっかりですね、とやはり呑気な声をあげるが、これは無視する。
「グリフォンさん、森に入っちゃったんですか?」
「そうらしいなぁ…」
 何も「中に入って出てきた者はいない」とかいう伝説的呪いチックな場所なのではない、一応は住んでいる人もいるのだ。色々な意味で、とても普通ではない人なので、あまり基準にはならないが…。
 とにかく、できる事ならあまり入りたくは無い場所である。が、
「身の安全をとるか…成績をとるか…う〜〜〜〜」
 程度の低い板ばさみである。
 しばし逡巡するスィフィルに、答えを出させる余裕も与えずに事態は一転した。 
「あれ、何か聞こえません?」
「鳥の羽音…グリフォンが引き返してきたんか?」
 ふいに、ふっと二人の頭上に影が落とされる。日の光を遮り巨大な影を作ったのは、やはり、かのグリフォンであった。
「あ、フォウル様! あれ!!」
「あ? リート?」
 スィフィルがグリフォンを呼び止めようとする前に、上空から明らかにグリフォンのものではない声が、会話が聞こえた。
 この声は…。
 ばさりばさりと、羽音を立てながらグリフォンが二人から少し離れた場所にゆっくりと降りてくる。何かに気遣うように、ゆっくりと。
 グリフォンの前脚が地面につくかつかないかの内に、その巨大な背から何かが飛び降り、二人の前にすちゃっと、着地する。
 三毛の髪、猫目石の双眸。
 誰の目にも猫を思わせる容貌の彼こそは、迷いの森の住人、とても普通でない人、フォウル:オナー・ホワイトその人であった。
 その後ろでは、完全に着地を終えて可能な限り伏せてやっているグリフォンの背中から、彼と共に生活している刹という少年が慎重に滑り降りていた。
 立ち尽くすスィフィルとリートに、フォウルが声を掛けた。
「よ、どーした? 俺になんか用?」
「そ、そう言うわけや無いんですけど…」
 そう言いながらも、スィフィルの視線はフォウルの後方のグリフォンに注がれている。それに気付いたフォウルがそちらに振り返った。
「ああ、あれか。昨日拾ったんだよ、捨てグリフォン」
「…へ?」
 意外な単語に思わず間の抜けた声を出すスィフィル。
「まったく、ひどいことする奴がいるよな。かわいそーになぁ」
 グリフォン捨てる奴がおるかい!!と、心中のツッコミは声にはならない。
 隣ではリートが、わかっているのかいないのか、ひどいですねぇと相槌を打っている。
「だろ? で、うちで飼ってやろうと思って。そしたら刹が乗ってみたいっつーもんだから、とりあえずそこらへんぐるっと回ってみようと思ってさ」
「は、はぁ」
「てなわけで行ってくるな。じゃーなー」
 そう言うとフォウルはくるりと彼らに背を向けて、やっとのことでグリフォンから降りて追いついてきた刹を抱え上げて、軽々とグリフォンの背中にとびのった。
 刹の為と言いながらも、自身が楽しそうなフォウルと、敬愛する保護者との空中散歩に、子供らしい嬉しそうな笑みを浮かべている刹。
 二人を乗せて大空へ舞い上がるグリフォンを、スィフィルに止める術があっただろうか?
 急激な疲労感に身を任せて、ただ大空を仰ぎ、小さくなっていくその影を見守る他は無かった。
「いってらっしゃ〜い」
 すぐ隣で手を振っているリートの声が、スィフィルにはやけに遠く聞こえた。

 一方、同時刻、教員塔にて。
 人が少ないことをいいことに、ぬけぬけと教員室に入り込んでいる金髪の生徒が、一人の教師に授業には無関係な質問をしていた。
「リカルド教師、あの二人にグリフォン捕まえられると思いますか?」
「十中八九、無理だろうなぁ」
 のほほんと緑茶をすすりながらリカルドが答えた。
「あ、やっぱり。何で任せたんです?」
「だって何かしなきゃカイがまたうるさいだろうし、でもどうせ何もしなくたって、あんな派手なものがあの人の目にとまらないわけないだろ?」
「あ、やっぱり」
 予想通りの答えに納得しながら、ロアンはリカルドの言う“あの人”を脳裏に描いた。
 各世界から有能な人材を掻き集め、惹きつけ、同居するあの少年までも何処かから拾ってきたのだ。
 あの異世界の生き物を手なづけるのだって、お手の物だろう。
「拾いグセ悪いからなぁ。あの人」
 本人に聞かれたらどんな目に会うかわかったものではない台詞を呟いて、リカルドの淹れてくれた緑茶に口をつける。
 何気なく窓から外を眺めると、茜色の空を背景に、やけに変わった形状の鳥の影がただ一羽、飛んでいるのが目に映った。

 その日のうちに、二人を乗せて院上空を飛んでいたグリフォンがカイ教師によって目撃され、彼に怒られたフォウルはしぶしぶその新しいペットを元の世界に返したらしい。
 かくして、有翼獅子失踪事件は、グリフォンの捕獲及びあるべき世界への帰還をもって、無事に幕を閉じた。

 そして、これは余談であるが―――
 後日、院の図書館で常連のレイヴによって『正しいグリフォンの捕まえ方』なる珍妙な本を熱心に読んでいる少年が目撃されたとか。されないとか。

お蔵入りしていた拙作「有翼獅子失踪事件対策本部・前編」に繋がる後編の物語を頂いてしまいました!
私の強引なオチ付では出来ない、素敵な物語にして頂けたこと、感謝の念に耐えません。