夢から覚めても 1

 一学年に一人や二人は、何かの手違いで入学してくるものだ。
 劉天輝リウティンファイ教師はそれを悪いことだとは思っていない。
 その日の“武”の教官部屋には“武”部門の担当者が集結し、先日の検査で正式に検出された新入生たちの運動能力や、それと希望に見合った獲物を割り当てる等、各種の決定事項を正式に行っていた。
 とは言え、劉が新入生たちを受け持っている担当授業は、一年生必須科目である「長柄武器」のみ。全員がほぼ同じ技能から出発することを考えれば、事前に決めておくべき事は少ない。
 一方、その隣で各教室長から回収した書類を前に溜息を付きたそうな顔をして止まない、今期から教鞭をふるう事になったルクティには、全学共通必須科目「選択武具対戦」と言う、要は一騎打ちの訓練がある。
「今期は小粒なのね」
 ふと、シオン・ペク教師のしぶった声音が場を打った。
 学期終了後、下級生内の最低成績保有者は退学処分を受ける。この選抜式により、卒業まで“院”に残れる者は確実に少なくなるが、それだけ全体の質を高いレベルに維持できるのだ。
 だが落とす側とて、何の感慨もないわけでない。
 時折──本当に稀ではあるが、全体が高水準で最低成績がいわゆる悪い結果とは言い難い場合は取りなされ、全員残されることもある。
 反対に小粒揃いとなると、さして成績の変わらないドングリの中から一人を落とさねばならない。
 むしろ、飛び抜けて成績の悪い者がいれば良いものを。
 在任も長く、仕事と感慨を切り離す術を心得始めた劉はそう思う。決して好んでではないが、程度の低い学生に併せて授業を行うのもまた、非効率なのだ。
 この新任教師はどちらなのだろうか。
 弱いものを切り捨てるのか、助けるのか。
 ベーギュウム教室に所属させられた新入生の資料を手操り、表情の乏しい貌をいつも以上に強張らせたルクティの様子を見て、劉はふと考えた。
 確かあの資料の少年は、体力的には問題なかった筈なのだが。
 希望選択武器が──

 “院”の生活とは、概ね平和で単調なものである。
 事件らしい事件が起こるのは、その学期が半分も経過してからだった。

 現在“院”学生内で優秀な者を一人上げよ、と言えば誰もがイグゼフォム・カルバニルとアーデリカのどちらを推すか悩むところだ。
 “武”部門にて首席を保持するイクスか、ベストとしてアーデリカか。
 実際、二人はどちらも優秀であり、当代きっての院生候補であり、どちらにしても立派にその勤めを果たす教室長であった。
 実はイクスとアーデリカは同期入学と言う接点があり、また同じく同期のラメセスを更生させようと誓いを交わした戦友とも呼べる仲でもあり、個性的な構成員たちに悩まされる教室長と言う苦労を分かち合える仲間として、仲がよい。
 そんな二人の教室ではこの時偶然のことながら、幾人かが今一週期チャプターに塔での研修が組み込まれ、どちらの教室の人数も減っていた。
 それを言い出したのはどちらだったのか、良く分からない。
 何にせよ、二人の間に出た提案はルクティ教師の承認を得て、ここに二教室合同の「選択武具対戦」授業が実現することになった。
 筈だったのだが。
「ご、ごめんね。うちの子たち実習入れちゃって」
「い、いやうちこそ。ラメセスは兎も角ロアンにはちゃんと伝えたのに……すまない」
 集まった面々はルクティ教室からイクス、リート。ベーギュウム教室からアーデリカ、はるか、スィフィルで合計五人。
 本来、ここにロアンを計算して丁度偶数になり、同技量の相手と組み手が出来る寸法だったのだ。尚ラメセスはどのみち授業の半分以上を欠席するので、数に入らない。
「実習は仕方ないさ。それより後一人いればね」
 思わず漏れる嘆息。
 ルクティ教室の教室長に任命されてから胃薬が手放せなくなった、と言う噂を聞いていたアーデリカは、正直、この愛すべき苦労性の青年に同情を禁じ得ない。
 こんな時に授業を指導すべき当のルクティ教師は、強引に乱入して来たフォウルのお供として連れ去られてしまった。
「……取り敢えず、一年生を中心にやらせてみましょ」
 その時、乾いた音を立てて競技室の扉が開かれた。

 険しい表情のなかに憮然とした色が浮かぶ。
 武人らしい長身を誇り、獣のように猛々しい精気を放つ男がそこに立っていた。素早く中の様子を一瞥する。
「ラメセス。良いところに来たわ。参加して頂戴」
 アーデリカの青金の瞳を射て、ラメセスは息を吐いた。
 合同訓練の連絡を受け取らなかった彼が、何故この場に現れたのは確かでないが、僅かに動いた表情からその憤懣を感じ取れる。なんにせよ、組み手訓練に参加する気はなかったに違いない。
 第三学年上級生、ラメセス・シュリーヴィジャヤ。
 ルクティ教室最大の問題児にして、学生内最強の名も高い能力者として知られている。クラスメイトであるロアンに言わせれば「あれはマフィアだろ」と言う事であり、現在塔で研修を受けているレイヴならば「規格外の存在だな」と言うところだ。
 この双子が共通して言うだろうことは「意味もなく近付くな」と言う教訓だろうか。
 しかし教室も違い未だ怖いもの知らずな新入生のスィフィルには、その言葉が届いていなかった。
 彼としては、このあまり会えもせず噂ばかり聞かされる先輩と、是非組み手をしてみたいところだ。
「頼んます。ボクと組んでくれまっしゃろか」
 制止しようとしてアーデリカとイクスが動く、それより早く練習用に潰れた剣先が空中に持ち上げられた。
 それに併せ、スィフィルも自分の獲物を構える。その武器に目を奪われたイクスが唖然とし、瞬きを一つした。
 リートは相変わらずの笑顔で、その傍らのはるかは「いつ見ても馬鹿っぽいな」と呟く。
 刹那。
 ふっと鋭い息を吐いて、スィフィルは一見無造作にその武器を突き込んだ。
 「長柄武器」の授業で一瞬の瞬発力を劉教師に誉められたスィフィルの動きだけあって、それはギリギリに引き絞られた弦から放たれた矢のように凄まじい勢いだった。だが一撃はその鋭い勢いのまま空を薙ぎ、何が起こったのか知覚するより早く、スィフィルは床に転がされていた。
 遅れて、窒息しそうな苦しさが肺を一杯にする。
「ラメセス! 訓練だぞ」
 だがそう制した言葉の裏で、そんな事は彼にとって何の関係もないのだろうと思う。
 呼吸するように戦い、そうやって生き延びてきたラメセスが、得物を手に向かってくる相手に加減をすることはありえなかった。久し振りに目の当たりにしたラメセスの動きに、体中の細胞が戦慄した。
 アーデリカはそんなイクスを先に制し、ラメセスに一瞥を投げかけてから、未だ倒れ伏したままだった少年を助け起こした。
 スィフィルは息苦しさに耐えながら、静かに息を吸い込む。
「……代わるわ」
「いや、けどボクも一矢報いたいやん」
 自己管理も危機管理も、すべて本人の責任だ。
 アーデリカは諦め、手から離れて床に転がっていた武器を拾ってやった。
 一見銀に見えるが恐らく鍍金なのだろう、十字形に組み合わされたそれは、アーデリカの知識の中では武器に相応しいと思えなかったが、これが彼の世界での風習ならば仕方あるまい。
 立ち上がり、受け取った身の丈近いサイズの十字架を構える。重量に耐えかね身体中が悲鳴を上げるが、ここでひけば村一番と言われた名が泣く。
「本気でいくで」
 自分自身に対して呟くと、スィフィルは両手で水平に獲物を構え直した。
 走る緊張感に、室内の当事者以外の八の瞳が注目する。対峙するラメセスの構えは、恐ろしいまでに隙の見あたらない自然体のままだ。
 緩やかに鼻腔を膨らませ、スィフィルは大きく息を吸った。
「必殺、ローリングクロス!」
 気合いと共に、驚くべき早さで上腕が動く。
 思わず、ラメセスを除く全員が呆然と回転する十字架を見つめた。その視線を感じながら、必死に手を動かす。
「──ど、どや。目ぇ回るやろ」
 周囲が呆然と見守る中、変わらぬ紅の瞳。
 無言のまま、神速でラメセスから放たれた気がスィフィルの手にした十字架を粉砕し、そのまま胸部にぶつかって彼を吹き飛ばす。
 イクスがよく受けている攻撃よりも更に威力をぎりぎりまで抑えた、ラメセスとしては軽く小突いた感覚の技だったが、不幸なことにその時のスィフィルは己の技を維持することで無防備になっており、なにより耐久が付いていなかった。
 衝撃で身体中に痺れに似た感覚が走り、スィフィルはぎしり、と骨の砕ける音が室内に不気味に響いたことに気付かなかった。

 負けた……村一番と謳われたこのボクが負けた──

「相手は救護室で集中治療、本人はこの学期の残りを塔で謹慎?」
 いやぁその大技見たかったな、と軽い笑いを響かせ、ロアンはルクティ教師の出ていった教室内で項垂れたイクスの髪の毛を掻き乱した。
 イクスの方は、ロアンさえ約束通り授業に来ていれば問題なかった事を思って、ため息を吐いた。最近、本当に胃薬が必要になっている気がする。
「また、前途有望な少年を一人潰したかもしれない……」
 一瞬、教室長辞退の文字が頭の中を駆け巡る。
 ずぶずぶと沈んだまま浮上してくる様子がないイクスを所在なく突っつき、さすがのロアンも口を噤む。と、リートがぽつりと言葉を零した。
「三人だと、寂しいですよね」
 数瞬してから問い掛けだったらしいことに気付いて、ロアンは取り繕うような笑みを浮かべるとそれに同意する。それを聞きながらリートは視線を下げた。
「──独りはもっと寂しいのに、スィフィルさん押入から出てこないんです」


[用語説明]
 解説しよう。
 ローリングクロスとはスィフィルの特注武器である巨大十字架を超高速で回転させ、対戦相手の目を回させる大技である(by スィフィル提供者M嬢の言)
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