天の響

09:神託

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 はじめ、光は一筋の線でしかなかった。
 祭壇の輝石を射った天の導きは、そこから光を溢れさせ、まばゆく煌めきながら次第に祭壇の間を輝きで埋めていった。大気の中に光の成分が増し、暖かく降り注ぐ陽光と透明に輝き導く清浄な月光が手を繋ぎ合う。
 だが――その光は一体何処から射し込んだのか。天には石の屋根があるばかり。椀の形のそれを見上げると、一際強く光の量が増した。
 それは神子への祝福の光である為か、眼を射るような性質の物でなかったが、ロイドは反射的に手を翳した。赤い指先の合間から零れ落ちるそれに気付いたのは偶然だ。
 白い光の中で、白い白い欠片が煌めいている。その根元へと更に上げた視界を先ず奪ったのは、両手を広げてなおも届かぬほど大きな翼。
 光を背にしていると言うのに、ロイドにははっきりとその色が分かるようだった。
 真白い翼の、白い男。
 なんだ、あれは。
「あれが天使だろう」
 飲み込んだ筈の言葉に応えがあった。
 確かにそれは天使に違いない。女神の教えを記した絵本の扉でも、彼らは翼を広げ舞っていた。あれは真実だったのだ。
「じゃあ、もしかしてあの人がコレットの本当のお父さん?」
 興奮し上擦った言葉の中身は不可解だったが、それが良くない内容であった事は直ぐに分かった。言ったジーニアスが切れた釣瓶のような勢いで、小さな身体ごと向き直って来たからだ。強張った視線はロイドを通り過ぎ、コレットを突き刺す。
 だが思い詰めた表情の彼女は、先程からロイド達が交わす言葉など耳にも入らないのか、ただ真っ直ぐに天から降り立った天使を見つめていた。
 やがて祭壇の隅まで支配した光が指し示すのに併せ、コレットは前に進み出た。それが神託の日と同じように予め定められた所作なのか否か、ロイドには分からない。自分だけが知らないのだろうか、と不意に浮かんだ想像は、ロイドの鳩尾の辺りに妙な違和感をもたらした。思わず左手で撫でさすった表面の、もっと奥が。
 その時、天使が口を開いた。
「我が名はレミエル」
 その声はさほど大きくなく、強くもなかったが、堂の中でよく響いた。
 反射的に背筋が伸び、ロイドはほんの一瞬だけ既視感に溺れた。先生から問題を解くよう指された時の感じに似ているのだ。
「マナの血族の娘コレットを新たな神子として天に導く、クルシスの天使」
 クルシス!
 聞き慣れない言葉の羅列にロイドの耳は仕事を休めかけ、ただ最後の一言にだけ素早く反応した。
 先程ロイド自身も口にした、天の機関――。嘘か真か、天空に存在するのだと言うそれ。頭上に広がるこの空で暮らすなど、寝返りの一つですら雲の端から落ちそうで窮屈だと感じていたけれど、自在に飛べる彼等は恐ろしさなど感じないのだろう。もっとも今度は、あの背中ではさぞかし寝難いだろうと思ってしまったが。
 背中の翼が緩やかに動き、天使の身体がゆっくりと近付いてくる。同時に、祭壇の上の輝石が人の手に拠らず持ち上がった。
 宙に浮いた輝石は、天使を通し射す光を受け止め、幾筋も細く紅い光を零す。ロイドはふと、唐突な発想に取り付かれた。あの石は天上で煌めく星の一つだったに違いない。天使は空を飛び、激しく燃える星を選んで地上に送るのだ。
 その想像を裏付けるように、祭壇の少し上の空間へ降り立った天使が星を手にした。
「世界の中心で眠るマーテルさまを目覚めさせる刻が来た」
 上を見上げていた為に、少しばかり痛くなってきた首を真っ直ぐに直して見た天使の表情は、微かな笑みを形取っているようだった。
 当たり前のことではある。天使は世界中の人々が安らいでいられるように見守る存在。だから世界の再生をもたらす女神の目覚めが近いならば、それこそ楽器を吹き鳴らして喜んでも良いくらいだ。
「女神マーテルさまを……姉さんが話してた伝説の通りだよ」
 最早完全に舞い上がっているらしいジーニアスの声は、どこか遠く感じた。祭壇の真上で話す天使の声より近くて大きかったはずなのに。
 或いは、この場で起き続ける不思議の技に飲み込まれてしまったからだろうか。
 輝石が空中を滑った。突然の動きにどきりとして見開いたロイドの眼の前を、緩々と通っていく。
 その目指す先にいたのはコレットだった。思わず一回り小さい彼女の身体を自分の後ろに引き寄せようと伸ばした手が、後ろ手に制される。
 星は流れ、弾けた、と思った。輝石をその身で受け止めたコレットの胸元で、まるでしゃぼんのように光が空気に溶けた。始めは紅く、それから虹色に煌めいて――瞬きする合間にその光は消え、その時には既に、石はコレットに白い肌にぴったりと貼り付いていた。まるで根のように黄金の飾りが胸を彩っている。
 まるでエクスフィアのようだ、とロイドは思った。ロイドが左手に宿した魔法の石も、手にした瞬間、そこに在る事が自然であったように一分の隙もなく吸い付いた。
 だが輝石の輝きはそれより深い。
「今この刻より、コレットは再生の神子となる。我々クルシスは此を祝福し、シルヴァラントに救いの塔を与えよう」
 その時何かに導かれるようにして視線が窓の方へ向いたのは、ロイドだけでなかった。
 山の向こう、海の向こう、鳥の羽ばたきの向こうに、その建造物は在った。その足は霧深く、その頭は空高く、雲の上まで、どこまでもどこまでも……。遠目に見える救いの塔は頂点を過ぎた陽に照らされ、やはり白く輝いていた。天へ繋がる建物として正に似合いの色に違いない。
「再生の神子コレットよ。救いの塔を護る封印を解き、彼の地に刻まれた天のきざはしを上れ」
 天使のお告げには逆らいがたい引力があるようで、一度は窓の外へ向いていた皆の視線が戻った。
 その時、コレットが初めて天使に向かって口を開いた。
「神子は、確かにその任をうけたまわりました」
 聞き慣れた声が、聞いたことのない硬質な調子を帯びて応える。聖堂に向かう時から少しずつ増えてきた違和感は、彼女は再生の神子として選び出された証なのだろうか。今朝まで一緒に遊んでいたコレットがいなくなったわけでもないのに。
「よろしい。我らクルシスはそなたが封印を解放するごとに天使の力を与えよう」
 満足そうに頷いた天使の髪が揺れる。初め光の中で真白い人だと思った天使は、けれどコレットと同じ蜜色の柔らかな髪をしていた。
「そなたが天使として生まれ変わった刻、この荒んだ世界は再生される」
 天使の言葉に、コレットは固く強張っていた頬を緩めたようだった。
「ありがとうございます。必ず世界を再生いたします」
 格段に柔らかくなった声に、ロイドとジーニアスもほっと息を吐いた。知らず力が入っていた肩が楽になる。
「まずは此処より南の方角に在る火の封印を目指すがいい。彼の地の祭壇で、祈りを捧げよ」
「はい、レミエルさま」
 神託の時は終わった。天使の翼がもう一度大きく羽ばたかれ、一度も下ろすことはなかった祭壇から、足が離れていく。ああ、帰るのだなとやけに鮮明に理解できた。たぶん天使と言うものは本当に空に住んでいるからだろう。
 ふと動かした視線の先で、胸の輝石の上で組まれた手が、強く、力を込めたのをロイドは見た。
「――待って!」