傭兵──
ロイドはその単語を口の中で復唱した。それは金で雇われる戦士の事だ。成程、この腕前ならばそう言う職業も成り立つのかも知れない。イセリアに金持ちはいないから分からないが、他の町にはこの男を雇えるような者もいるのだろう。
それを裏付けるかのように、男はロイドと結んでいた視線をファイドラに向け直した。
「金さえ用意してもらえるなら、神子の護衛を引き受けよう」
再生の神子を助ける見返りに金か。ロイドはむっとしたが、否定はしなかった。野菜を売るのも鍛冶の腕を売るのも、そして剣の腕を売るのも一緒だ。これが男の職業なのだ。
だが近年は特に土壌の荒れが酷く、不作が続いているのだと聞いた。マナの血族ですら慎ましやかな生活をしているイセリアに、傭兵を雇う金があるのだろうか。
「……背に腹は代えられんな」
沈鬱な頷きだった。
「お願いしよう」
「契約成立だな」
クラトスは頷きを返すと何故か聖堂とは逆、即ちロイドの方へ向かって来た。思わず腰を落とし身構えたロイドの脇を、しかし彼は何の反応もなくただ通り抜ける。なんだ? と首を回して見ると、彼の荷であるらしい背負い袋を拾い上げていた。一行の助けに入る際投げ捨てたのだろう。なんだ、と今度は安堵と妙な緊張をした自分への照れが混じった感想が胸の中を滑り落ちる。
それから彼は荷を背負い直すと、仕事を果たす為、不安そうに祖母を見つめるコレットを促した。
また自分が置いて行かれている。その事に気付いて、ロイドは思わず一歩前に出た。
「待てよ! 俺も行く!」
皆の視線が集まる。
何故咎めるような顔をするんだ。自分はコレットを守りたい、それだけなのに。
「ロイド」
静かに制止の声を掛けたのは、今度はクラトスだった。
「お前は足手まといだ。大人しくここで待っていろ」
言われた瞬間、熱い感情が喉元にまで迫り上がった。純粋な怒りではない。怒りによく似ているが、それ以上に釈然としない想いだった。
確かにクラトスは強い。けれど弱い者には戦う資格がないと言うのか。コレットを守ろうと思う気持ちすら否定されるものなのか。
ロイドには学がない。だからこの気持ちに付ける名など知らず、ただ憤然とクラトスを見上げるだけだ。
この男の言う通りにしてたまるものか。
「……わかった」
唸り声のように低くロイドは応えた。言って、視線を一人一人に巡らせた。
瞳を伏せるコレットと、あからさまに頬を緩めるファイドラと、性格を良く知るが故に怪訝がって名を呼ぶジーニアスと、そして何を考えているのか微動だにしないクラトスと。
けれど自分の想いと戦いは誰にも否定させない。
「だったら勝手に付いていくまでだ」
子供の理論だ。そう抗弁してくるかと思われたが、意外にもクラトスは溜息を一つ落としただけでそれを受け容れた。
「強情な奴だ。ならば勝手にしろ」
否、勝手にする人間の事は気にしない事にしたのか。腹は立つが都合が良い。
「勝手にするさ」
その言葉にコレットが喜びの色を浮かべ、ロイドはそれに向かって拳を掲げてみせた。
転がされた拍子に裾がはみ出た服を整え、腰に穿いた二本の剣を確認する。懐の荷を確かめるように数回服の上を叩く。無論、剣の他には何の荷物もない。すべて学校に置いてきてあるのだから。精々ポケットの中に金玉糖があったくらいか。実際には旅慣れているのだろうクラトスに対抗した、ただの格好付けだ。
だがそれでもロイドは自分の準備に満足して、最後に親友を振り返った。
「よし、いくぞジーニアス」
ジーニアスはその声に一瞬上体を反らした。幾らか間が空いてから、媚びるような上目遣いに窺ってくる。
「……やっぱりボクも行くの?」
「当然」
にかりと意識して笑みを浮かべてやれば、降参と言う風にジーニアスも手を挙げた。もっとも、ジーニアスが聖堂の中や神託の内容に興味があるのは承知の事実だった。純粋な好奇心のロイドと違い、知的好奇心であると言うのが年下の親友の弁であったけれど。
クラトスは二人の算段が終わったのを見て取ると、軽く肩を竦めた。二重に重ねられた不思議なマントが揺れる。
「子供の遠足ではないのだがな」
魔物に気を付けろよ、等と聞こえよがしに言う辺り本格的に嫌な奴だと思ったが、これが本人にとって嫌味や冗談の類だとしたら少し再考が必要だろう。これは子供の遠足等でない。男の意地の掛かった冒険だ。
無論まったくの努力なしにクラトスを無視出来た訳でない。コレットとジーニアスに話し掛ける形でロイドは自身を鼓舞した。
「魔物なんて蹴散らしてやるさ。俺が勝手にな。行こうぜ」
聖堂へ向かって指を指し示したところで、しかし再度の制止がロイドの動きを止めた。
「待て」
確実に自分に向けられた言葉を無視出来る程、ロイドは意地悪くなれなかった。
仕方なく見れば、荷の口を緩めたクラトスが中から一冊の書を取り出していた。まさかこんな場所で読書をはじめるのか、と自分でも脈絡がないと思える想像をしたロイドは、それが自分の前に突き出された事で、思わず顔を顰めた。
自慢にもならないが、読書は苦手だ。
「何だよ。これ」
さほど厚くはない。リフィル先生お手製の教科書を二冊も重ねた程度だろう。クラトスの、剣を握る者らしい大きな手が掴んでいるには少々不釣り合いだ。
「剣を扱うのなら基礎くらい学んでおけ」
ロイドは反射的に顔を上げていた。クラトスの前で剣を振るった事はない。一瞬構えを取っただけだ。それも彼の視界の隅で。それだけでロイドの剣が我流だと見破ったのか。
イセリアはディザイアンとの不可侵条約を結んでいる。その為比較的安全で──条約が破られた今となっては危うい安定だったが──自警団と言っても村人が畑仕事の合間に交代で勤め、精々魔物を大人数で追い払う程度の仕事しかしない村だ。当然、剣を本格的に学んだような者がいる筈もなかった。
基礎が大切なのは、ロイドにも分かる。鍛冶仕事とて同じだからだ。しかし彼はこの書をロイドに渡してどうしようと言うのか。
困惑を読みとったのか、クラトスはふと瞳を細めた。
「神子を、守りたいのだろう?」
癇に障る言い方だと思ったが、ロイドは押し黙ったまま書を奪い取り、吊りベルトの合間にねじ込んだ。
クラトスはそれを最後まで確認もせず、コレットを促し聖堂の中へ入っていく。その姿一つにも隙がない。先程ロイドの前に立っていた時も同じだった。
同じようにエクスフィアの恩恵に与っていながらこれほどまで力量に差があるのは、経験なのか、生まれ持った技量なのか、それとも基礎からの問題なのか。
けれど必ず追い付いてやる。
蒼い背中を見据えて腹の底に力を込めると、ロイドはもう一度ジーニアスの名を呼び、大きく息を吐き出しながら聖堂へ足を踏み入れた。