天の響

07:聖堂

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 地下は、漸く聖堂と言うに相応しい静けさに満ちた。
 各々の得物を収め、知らず詰めていた息を付く。
「良くやったな」
 節立った手が風の流れのままに跳ねた銀ねず色の髪を軽く押さえて、少年の働きを褒めた。ジーニアスの大きな目は一瞬更に大きく見開かれ、やがて笑みに変えられる。
 思わず、ロイドは声を出していた。
「……俺は?」
 聞いてしまったのは、恐らく彼が容易く人を褒めた事が意外だったからだ。
 クラトスは一瞬眼を細め、ふと唇に曖昧な笑みを浮かべた。
「一度で疲弊していては役に立たんな」
 返された言葉自体は手厳しく、同時に事実でもあったので、ロイドはただ首を竦めるしかなかった。
 第一、褒められたかったのだろうか、自分は。そう考えてみると何かが少し違うような気もする。だが何がと説明を付ける事は叶わず、胸の奥底にもどかしさが落ちていった。
 その代わりのように、ジーニアスが態とらしい動作で鼻を擦りあげた。
「えへへ、調子出てきたね」
 親友の表情には、何処か得意さと照れが同居していた。協力してクラトスを見返そうとしていた宣言は何処にいったのだろう。自身の噛み合いの悪い感情は忘れ両手を宙に投げ出して見せると、今度は可笑しそうに口許を覆って肩を震わせる。
 軽く拳を突き合わせ、二人は更に笑いを零した。近寄って来たコレットも、そんな友人達の様子に笑顔を見せる。
 何時もの光景だった。場所と、先生とは別の大人の存在を除けば。
 その、日常と別の存在であるクラトスは子供達の様子に一瞥を与えると、今は道と化したゴーレムの元へ歩み寄った。手を付いて確認し、それから静かに足を乗せる。足場として実際に使えるのか確認しているのだ。
 気付いたロイドは駆け寄り、足を土塊の上に乗せた。密かな戦きは胸の奥底に隠して。
 意外にもゴーレムの身体は頑丈だった。軋むこともなく、しっかりと詰まったような印象だ。四人同時でも乗れるだろう。横顔を窺うとクラトスも同じ感触を得たらしい。
 だがその上を歩くとなると、凹凸が激しい上、体重を掛ける度に爪先が少し沈む感じがする。コレットは転びそうだな──ロイドは彼女に振り返った。
「コレット」
「神子」
 期せずして同時に二人は同じ少女を呼び、ロイドは右手を、クラトスは左手を差し出していた。その事に意識を取られたのはしかしロイドだけだったようで、コレットは戸惑うことなく両手を伸べ、二人の手を取った。
 握り込んだ白い指先が手袋越しに仄かな温もりを伝える。
「ボ、ボクも!」
 除け者は嫌だとでも言うのか、ジーニアスが空いた左手を取った。
「あのなぁ……ま、良いか」
 滑稽な図ではあるが、他に見る者もない事だ。聖堂が祀る女神マーテルですら眠っているのだから。
 四人は揃ってゴーレムの背を渡り始めた。案の定直ぐにバランスを崩し始めたコレットを、左右から支える。
 村の門からジーニアスの家までもない距離を渡り切ってみると、見えていたのはやはり台座だった。色の違う石が組み合わされて出来た丸い台の中央で何かが煌めいている。不思議と惹かれる光に誘われ、ジーニアスの手がするりと抜け出て行く。その後を追ってロイドも足を速めた。
「あ……」
 吐息の先のような微かな声が意外なほど大きく木霊する──あるいはロイドにだけ。ふと振り返ったコレットの左手は、ゆっくりと握り締められ下がっていった。
 その時はしゃいだ調子の声があがった。
「これがソーサラーリングかぁ!」
 身を乗り出すようにして台座を覗き込むジーニアスに並び、ロイドは顔を寄せた。
 そこにあったのは、紅い石の指輪だった。
 思ったのは、まるで炉に宿った火のようだと言う事。息を吹けば赤い粉が飛びそうなほど熱く燃えたぎったその滑らかな石からは、炎が吹き出しそうだった。
 遅れていた二人も追い付き、コレットはロイドの隣に、クラトスはジーニアスの後ろから指輪を眼にする。
「マーテル教会の聖具なんでしょ!」
「ああ、これがあれば大抵のからくりが解けるとか」
 そんな風に言葉を交わすクラトスとジーニアスの、その話の中身はロイドに分からない。分かったのは、この聖具に依れば魔法のような力が働き、あの扉も開くらしいと言うその一点だ。それで充分であったけれど。
 台座の上の小さな指輪は、しかし確かな存在感を主張していた。
「なぁ、俺に使わせてくれよ」
 それでなくとも、直接触って細工を良く見てみたい。その欲求は抑えれず。
 コレットの同意の言葉を受け伸ばした指先が得たのは、微かに冷気を帯びた硬い金の輪に過ぎなかった。抱いていた恐れの方がよほど熱を持っている。
 親指と人差し指で慎重に掴み上げたそれを、ロイドは手のひらの上に転がした。地金の絞まり具合に反して、まるで羽のように軽く触れている実感がない。或いはこれも魔法なのだろうか。華奢な作りだが、輪は幾分大きいようだった。ロイドの中指にするりと滑り込む。その瞬間――
「うわっ! はまった!」
 まるで生き物のように指輪が身震いしたかと思うと、ぎょっとして挙げたロイドの指に金輪はしっかりと収まっていた。
 思わず動きを止めたロイドに、驚きを込めた視線と、もう一つ、のんびりとした声が掛けられる。
「きっと、ロイドが持ってなさいってマーテル様も仰有ってるんだよ」
 言われて動かした指は、戦きに震えていたが意思の通りに動いた。はめている感覚もあまりない。装飾具とは言え、これならば邪魔にならないだろう。
「そうかな……そっか」
 そうと決まれば、使ってみたい気持ちの方が先に立つ。
「早くさっきの扉に戻ろうぜ!」
 次はどんな魔法が飛び出ると言うのか、楽しみだと振り上げた腕の向こうで、ジーニアスが盛大に肩を竦めた。